2011年8月22日月曜日

私が公園のゴミ拾いをするわけ

 公園は「牛ケ瀬公園」といい桂離宮の南約1kmの桂川西岸にある。昭和57年に開設され南北170米東西90米約15㌶の大きな公園である。北側に公式の軟式野球場(有料)があり南側はフリースペースになっている。フリースペースの中央は壁打ちの壁のあるグラウンドで西側がテニス用東側がソフトボールやサッカーに適した設計になっている。その北側丁度公園の中央に東屋があって畳大のベンチが2基、日除け屋根がある。グランドの南は植栽を挟んでブランコ砂場鉄棒にベンチがある小さな子の遊技場になっている。その西側には中央のよりやや小ぶりの休憩所がありこちらは屋根が藤棚になっている。グランドの西側フェンスを挟んで登り棒平行棒腹筋用に設えられたベンチが2基ある野外の簡単なジムのようなスペースがあり、更に通路を挟んだその西側の植栽のなかに自然木のテーブル2基と長いすがあって木陰で憩えるスペースになっている。グランドの東側には水飲み場があり半径10米位のレンガ造りの縁石が配してあり丁度欅の大木の木陰で休める仕掛けになっている。楠、欅、椎、ハナミズキなどの植栽が公園中に施されており30年を経過して木々は立派に成長し野球場横の東西の通路などはさながら緑の回廊の様を呈し紅葉の頃ともなれば地域の人たちの目を楽しませてくれる。

 見事なものだ。これほどの構想力で建造された公園は他にないであろうしバブル期でこそ許された贅沢である。今後このような公園はつくれない、いわば高度成長の記念碑的なモニュメントといえる。我々は後世代にこうした公的資産を劣化させることなく受け継いでいく責務がある。では公園という資産の劣化とはどういうことか。来園者が減少すること、立派な施設が利用できなくなることである。劣化させないためには『維持管理』ではなく『ファシリティマネージメント』という視点が必要なのだが行政は相変わらず維持管理で十分と考え、年に数回の維持作業や月に何回かの巡回で十分と考えている。「破れ窓理論」を持ち出すまでもなく、日々のゴミの散乱や不法投棄の蓄積で僅かな間に来園者の足を遠ざけ荒んだ心にしてしまうことに行政は気づいていない。
 
 私が公園のゴミ拾いする理由のひとつは公園の劣化を防ぐためである、オーバーだがそう考えている。

 ところで公園は鬱屈した子供や閉塞感に押し潰されそうになっている子供のはけ口にもなっている。飲み食いしゴミやタバコの吸殻を撒き散らしてうっぷんを晴らしている。彼らが更に悪い道に行くのを踏み止まらせるには「誰かに見守られている」という安堵感が必要だ。学校で切り捨てられ親にも見離されたと追込まれている彼らに、捨て散らかしたゴミがチャンと拾われている、ただそれだけのことでそんな効果を与えられないか。
 ゴミ拾いをするもうひとつの理由である。

 早起きして公園へ行く、毎朝が清々しい。
 間違いなくこれがいちばんの理由だ。

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