2012年4月16日月曜日

遼と真央と翔

ゴルフの石川遼とフィギアスケートの浅田真央の不振が続いている。1992年のバルセロナオリンピック競泳女子200m平泳ぎで金メダルを史上最年少(14歳6日)で獲得した岩崎恭子のようにジュニア期に活躍した選手がその後伸び悩む例が少なくない。何故なのだろうか。
 
女子シングル史上初となる3回転アクセルに成功(ISU非公認)した浅田真央がトリノオリンピックへの出場を期待されたがISUの定めた「五輪前年の6月30日までに15歳」という年齢制限に87日足りず代表資格を得られなかった。この措置について賛否両論あるが私は賛成派である。フィギアスケートという競技の場合特にそうかもしれないが、体重の軽い子供の身体が優位に働く傾向があると考えているか。肉体が幼いジュニア時期に驚異的な記録を上げた選手が成人の肉体に成長した後以前同様のレベルに到達できない例を繰り返し見てくると、その間に因果関係があるのではないか、一定以上のレベルに到達した技術・技能を幼い肉体から成人の肉体へ移し変える過程が必要なのではないか、そう考えているのだ。ところが選手はそれに気付かず結果が伴わないうちにジレンマに陥り才能を埋もらせてしまう。指導者もこのことに気付いていないかコーチング技術がない。
日ハムの中田翔はこの時期をうまく乗り越えた。超高校級スラッガーと期待されながら2年間は泣かず飛ばずでいたが3年目の昨年目覚しい活躍、そして今年は押しも押されぬ中心選手に成長した。翔の晴れ姿を見るのは嬉しい。
苦しむ遼と真央、乗り越えた翔。スポーツ医学等関係者の奮起を望む。

却説。若い彼らを眩しく見詰めざるを得ない高齢期。かといって「アンチエイジング」で老いに抗う醜悪さを晒す愚も厭わしい。そんな危うさを戒めるような言葉があった。
疾病と老耄とはかえって人生の苦を救う方便だと思っている。(略)老いと病とは人生に倦みつかれた卑怯者を徐々に死の門に至らしめる平坦なる道であろう。天地自然の理法は、頗妙である。(永井荷風「正宗谷崎両氏の批評に答う」より)

老いを高みから眺めると「可笑しみ」に満ちている。それをそれとして認める余裕がまだ無い。生まれて初めて食中りに罹り経験の無い「痛み」に怯んで先端医療特約を見直す周章狼狽。まだまだ荷風山人の域には程遠いふつつか者であります。

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