2012年4月23日月曜日

つれづれに

水温む、とか、山笑う、とかいう常套句がしみじみと心にしみ入る季節になってきた。同様に、何気ない日常の無聊にフト手に取った川柳が人生の機微を見事に写し取っていてほのぼのと感じ入るときの嬉しさも捨てがたいものがある。

 「本降りに なって出ていく 雨宿り」/チェッ、降ってきやがった、暫くここで雨宿りだ、と若い衆の声。でも若気の短気はものの5分も待っていられない。面倒くせぇ、と飛び出していく気配。雨足は最前よりずっと激しくなっている。
 古川柳には味なものがある(カッコ内は前句、小学館・日本古典文学全集による)。「模様から 先きへ女の 年がより(うちばなりけり 々 )」/渋く上品に落着いた服装をするのが老婦人の教養とされた。だから肉体の老化より着物の模様が細かく地味になるという指摘。「三十振袖」「四十白粉」などと顰蹙をかったものである。
 色っぽいのもある。「年寄りが ないでさいさい ねだが落(くるひこそすれ  々 )」/核家族が主になってしまった今では考えられないが、昔は新婚といえども同居する親兄弟や家族を気にして存分に夜を楽しむことができなかった。たまたま夫婦きりの新生活を始めた若夫婦を「(夜が激しいから)床が落ちるぞ」とひやかしているのである。
 「くまの皮 見て女房の ぎりをいい(はずみ社(こそ)すれ 々 )」/お世話になっている主家へ挨拶に伺う。ご主人はご立派な熊の毛皮を敷いていらっしゃる。黒く艶々とした剛毛の熊の皮を見た男は「そうそう、女房もよろしくと申しておりました」。
 艶笑川柳も現代ものになると少々品が落ちる。「死にたいわ にの字を取って欲しい後家」。
 古川柳を読んで感心するのは江戸庶民の教養の豊かさである。「阿房宮(あぼうきゅう) 今は虚(うつけ)の 名に成りて(使い捨てたる金の惜しさよ)」/万里の長城を築いた秦の始皇帝は1万人を入れるという阿房宮を造ったほどの絶大な権力を誇ったが僅か三代で潰えてしまった。そして今に残っているのは馬鹿の別名「あほう(阿房)」だけである。

 江戸の粋―小唄を最後に記しておこう。「羽織かくして、 袖ひきとめて、 どうでもけふは行かんすかと、/言ひつつ立って檽子窓(れんじまど)、 障子ほそめに引きあけて、/あれ見やしゃんせ、 この雪に」。帰るという客の羽織を隠して袖に縋りついても出て行こうとする。あきらめ風に檽子窓の障子をそっと開けると雪がちらついている。纏綿たる情緒である。

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