2012年5月28日月曜日

科学報道のあり方について

3.11以降地震関連の科学報道が多い。例えば23日「全国の小規模な活断層(長さ15km以下)を詳細に調べた結果、北海道、福島、島根の3断層が警戒目安の20kmを超える可能性がある」と産業技術総合研究所の分析結果として伝えられているがほとんどがこの種の報道で、研究機関が従来の資料の見直しや従来を上回る被害の可能性を窺わせる新たなデータを提示するものとなっている。

 科学は実証学問であるから理論の深化だけでなく実証技術の進化も重要であり又科学は応用によって人間生活に恩恵を齎すから応用面の充実の伴わない発展は考えにくい。我国ノーベル賞受賞者のうち記憶に新しい小柴昌也先生や島津製作所の田中耕一さんは実証技術の画期性に対する受賞であった。
 最近の地震学に関する報道の多くは実証技術の発展に伴う新たな事実の断片的な発見を報ずるのみで、それによる理論的深化との関連にはほとんど踏み込んでおらず、それにもかかわらず新たなデータによる地震予知への影響を過大に報じている。南海トラフを震源域とする巨大地震が発生した場合、高知県黒潮町には国内最大34・4メートルの津波が襲うと国が想定した、などのように。
 一体「地震予知」は科学できるものなのだろうか。

 中谷宇吉郎に「科学の方法」という著作がある(岩波新書)。
 科学というものには、本来限界があって、広い意味での再現可能な現象を、自然界から抜き出して、それを統計的に究明していく、そういう性質の学問なのである(p17)。
 自然現象は非常に複雑なもので、(略)その実態を決して知ることができない。ただ、その中から、(略)生活に利用し得るような知識を抜き出していくのである。(略)科学の眼を通じて見ていくのである(p35)。
 科学は自然の実態を探るとはいうものの、けっきょく広い意味での人間の利益に役立つように見た自然の姿が、すなわち科学の見た自然の実態なのである(p39)。
 定性的な研究、すなわち測定の対象についてその性質を常に見守っているということは、(略)常に大切なことである(p142)。

 報道からは、「限界」を窺わせる表現はなく、科学が抜き出した以外のものに眼が届いていない、又統計のベースになっている「仮定」が捨象されている。
 メディアも合理化が進められているだけに、科学部門の人材が手薄なのかも知れない。

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