2013年1月7日月曜日

何を犠牲にするかを考えよう

立や年 既に白髪の みどり子ぞ/吉川五明。還暦を迎えた正月の句ですが私にとって今年はそれから早一周りした当り年の正月です。

 年末年始見たテレビで印象に残っていることがあります。年末に放送された世界遺産条約採択40周年・NHK京都放送局開局80周年の記念番組「未来への叡智みつめて-京都からの提言」にあったものだと思いますが、「パリの人たちが一日に使えるお湯の量を規制している」ということと「京都市が建築物の高さを原則15米に制限している」の二つです。パリでは一日に利用できる湯量が200l(場所などで変動はあるようですが)に制限されていてしかも深夜電力を利用するように義務付けられているのです。また京都では今後新たに建てられるものや改修されるものは(これも場所や建物の種類によって差はありますが)原則15米に高さが制限されるようになるのです。
 フランスは原子力発電が欧州最大の国ですからまさかこんな制限が課されているとは考えてもいませんでしたが、実際は住居を探す時に備え付けの給湯タンクの大きさや使い勝手が重要なチェックポイントになっているようで驚きました。又京都の景観条例がここまで強化されているという認識はもっていませんでした。10年程前から制限が強化され建築業界や広告業界の強い反対にあってその進捗具合に懸念がもたれていたのですが市長をはじめ行政の粘り強い取り組みで今日に至ったのでしょう。
 京都市内のマンションの値段は高くなっているようです。でも30年も経てば京都のどこからでも「大文字の送り火」を拝めるようになることでしょう。比叡山も望めるでしょうし何より『大きな空』と『きれいな空気』が京都の市民皆のものになるはずです。豊富な文化財と恵まれた環境は間違いなく人々の『憧れ』になるでしょう。京都市民の『今の犠牲』が『未来の豊かさ』に繋がっていくのです。

 明治維新と第2次世界大戦敗戦という2つの大変革期を経て我々が求めてきたものが「地下鉄サリン事件」と「東日本大震災」で否定されたことは明らかです。サリン事件が『精神的否定』であるならば3.11は『物質的否定』です。疲弊し病んだ精神が「オーム真理教」というオカルト集団に否定され、物質面の究極の到達点としての象徴「原子力発電」が自然の脅威によって否定されたのです。
 にもかかわらず我々はまだ「過去との訣別」を受け入れることができずその延長線上に未来を託す以外に道を見いだせないでいます。過去の意味するものは?極言すれば『アメリカの繁栄という幻想』でしょう。歴史という過去のしがらみをもっていなかったアメリカで近代の理念―民主主義と資本主義―は最大限実現されました。その繁栄が今大きな変節点を迎えて呻吟しています。

 歴史をもっていた我々は何を犠牲にして繁栄を追い求めてきたのか?今の繁栄の中の何を犠牲にしてこれからの新しい時代を築こうとするのか。我々はそれを決断しなければならないのです。パリの人たちや京都市民がしたように。

 政権は変わったがそれを本当に新しい時代に繋ぐのは我々国民です。

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