2013年7月8日月曜日

成長戦略と女性

 アベノミクスの第三の矢―成長戦略の中心戦略として「女性の活用」を掲げている。しかしそれは少子高齢化による労働力不足を解決するための便法という色合いが濃い。そうではなくて現在の混沌とした状況を解決するためにはこれまでのような男性中心のシステムでは対応が不可能なのだという文明史的必然として受け止める必要がある。グローバル化した世界経済は先進国のデフレ傾向と新興国の成長鈍化に加えて地球温暖化の危機的状況という未知の領域に陥っているうえに日本経済のデフレ脱却も含めてイノベーション力の劣化は世界経済の活力再生は過去の延長線上にはないという発想の転換を迫られている。更に経済のグローバル化は国益の錯綜を招き世界の平和的均衡をさえ危うくしている。
 
 スイスの文化人類学者バハオーフェンは古代の最低次の段階と人間のこれまでの発達の最高段階たる父権制段階との中間に母権制社会があったと説いている。彼によれば歴史は前合理的な母性的世界から合理的な父権制的世界へと発展を遂げるが、しかし同時にそれは自由と平等からヒエラルキーと不平等へと至る歴史でもある、と述べている。父権制では、父親が法、理性、両親およびヒエラルキー的社会組織の原理の代表者として統治する。父権制的社会構造は支配機構の外的強制を最も効果的に補完し階級社会の安定のために有効に働く、幸福よりも義務に重きを置き権威に対する従順さを生み出すことによって社会を支える最も重要な支柱として機能してきた。義務の履行および成功が生活上の中心的な動因となり、幸福や生活の享受は副次的な役割しか果たしていない。このような態度は、最も強力な生産力の一つとなって巨大な経済的文化的成果を生み出した。
 しかし今、このような父権制社会が大きな曲折点を迎えている。

 では母性的なものの本質とは何か。胎児を育むうちに、女性は男性より早くみずからの自我の限界を超えて愛の配慮を他の存在に及ぼし、己の精神に備わる一切の創造力を異なる存在の養育や美化に発揮できるようになる。他者に対する愛、養育、責任意識、これが母親の創造するものである。母性的愛こそ、あらゆる愛とあらゆる利他主義が生まれるもととなる種子である。しかし、それだけではない。母性的愛を基礎として、普遍的人間主義が発達する。母親は子どもを愛する。だが、それは、子どもが子どもなるが故であって、子どもがあれこれの条件を満たしたり期待に応えたりするがゆえにではない。母親は子どもたちを分け隔てなく愛する。こうして子どもたちはお互いが同等であることを知るようになる。それは、子どもたちの中心的な絆が母親との絆だからである。子を産む母性だからこそ、あらゆる人間を兄弟姉妹とみなす普遍的な友愛意識が生まれる。母系中心的文化の根底にある原理は自由と平等、幸福と生の無条件的肯定にある。(以上はフロム著「愛と性と母権制」による)。

 父権による統御と資本の論理による文明は成長の限界を迎えているのではないか。考えてみれば世のなかの半数を占めるもうひとつの「性」の力が等しく生かされていない世界は持てる能力の半分を「死蔵」していることになる。「男性と女性の関係を本質的に対等な人間と人間の関係として捉え、男性と女性が各々の特性を認め合い互いに相手を支配することなく関係し合える状況に到達することを目標とするべきであり、父権制の原理と母権制の原理の特徴を究明して、この両方の原理の『総合化』によって人類の未来の可能性を託したい」というフロムの提言は、今最も傾聴すべきものではなかろうか。

 アベノミクスが単なる労働力の補完という皮相な観点で女性活用を行うなら成長戦略は必ず失敗するに違いない。

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