2013年7月1日月曜日

政治家の失言はなぜ多いか

 吉田茂の「バカヤロー解散」池田勇人の「貧乏人は麦を食え」など昔の政治家は『放言』をしたが今の政治家は『失言、問題発言』を繰り返している。彼我の差はどこにあるのか。もしボキャブラリー不足が原因なら教養の問題で政治家に求めるのは筋違いだが日本語教育に問題があったとすれば底が深い。今や政治家の95%は戦後教育で育った人たちであるから戦後の日本語教育と戦前までの教育にどんな違いがあるのか検討する価値がありそうだ。

 日本語(書きことば、以下同じ)の語彙体系は和語、漢語、外来語、混種語で成り立っている。明治期の代表的辞書「言海」のキ部を例に取ると和語454語、漢語635語、和漢熟語140語、外来語15語、混種語12語となっている。和語と漢語の言葉の働きはどのような分担になっているのか。
 日本人は、その感情生活を日本語[ヤマトコトバ]で書いて、知的生活をシナ語、あるいは漢文で表現してきた。つまり思考を論理的展開したり人間性の洞察について明晰・簡明に表現する語彙を漢語に頼って来た。例えばヤマトコトバで「みとめる(認)」は一つしか言葉がないところを、認知、認可、認定、認識と漢語は多様に区別できる。日本人はこれらの精細な意味区別をヤマトコトバで行う工夫をせずに、輸入品である漢語(つまり漢文)に頼って語彙を拡大し、精密化し、それを消化して使いこなしてきた。つまり和語だけの体系は精確な意味区別を一語としては把握し確立することができない体系なのだ。
 同様に文章においても和文系の文体と漢文、漢文訓読体の文体を使い分け、和文系の文体(今我々が一般に使っている文章もこの系統に連なるのだが)で優しい心、自然を感受する心、情意を表現し「古今集」以下の和歌集や「源氏物語」を代表とする物語を生み出した。一方漢文、漢文訓読体の文体では明晰、簡明を要する論理的な学問や政治の公的文章を書いてきた。つまりこの二つの文体が日本人の心をはたらかせる車の両輪として機能してきたことになる。
 しかし中国語と日本語の間にはアクセントを含めて母音や子音の発音に大きな差があったので同音で意味のちがう単語(同音異義語)や異音同意語が発生したがその煩雑さを「振り仮名・ルビ」を発明することで解消した。
 その他、漢字の訓(よ)みも多様であった。例えば「弔」は「とむらう、いたむ・あわれむ、つる・つるす」とあったが今では「とむらう」に限定されつつある。字体も今一般に使っている新字とは別に旧字体・源字(康煕字典体)があったし、字形も楷書、行書、草書などを使い分けていたのが今では楷書以外は特殊な場合を除いて使わなくなっている。
 
 このように多様であった日本語の体系が明治中期からの100年、特に戦後の言語政策によって「日本語の書き言葉の『揺ぎ・揺動fluctuation―豊富な選択肢』」を無くし一つの書き方へ収斂させようとする傾向が推進されてきた。漢字を極めて少数(2000字前後)に制限し字体と訓(よ)みを可能な限り一つに収斂するように図り振り仮名の使用を原則禁止した。最も問題なのは日本語の両輪であった論理的機能を担う「漢文、漢文訓読体」を日本語教育の体系から排除してしまったことであろう。

 政治とは国という組織を運用する義務を背負う行為である。そのためには現実を「じっと見つめて、手にとって集め、選び出し、言葉を選び、言葉の筋を立て、論理へ、理性へ、」と展開する必要がある。こうした作業を「ロゴス」と呼ぶから「政治はロゴスである」と言っていい。今の政治家には日本語の両輪であった論理機能担当の「漢文、漢文訓読体」を使いこなせず「言葉の筋を立て、論理へ」展開できないからロゴスが欠け失言が頻発、政治が機能しないのだ。
 政治に留まらず経済の停滞も企業家のロゴス欠落が原因ではないかと危惧している。
(本稿は大野晋著「日本語の教室」、今野真二著「百年前の日本語」を参考にしています)。

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