2013年10月7日月曜日

「頼山陽とその時代」を読む

 中村真一郎の「頼山陽とその時代」を読んだ。A5版細字2段組本文総頁644ページの大作である。京都府立図書館所蔵のため返却期限の関係もあって3月から半年、断続的に8週間を要して読了した。1日当り12~13頁の読書量に過ぎないから威張れたものではないがよく読めたと思う。というのも読書好きではあるが長編が苦手であったので「戦争と平和」も「大菩薩峠」も、ましてプルーストの「失われた時を求めて」など思いもよらない私がこのような長編を読めたのは、この著作が山陽の史伝的エッセーであり半分近くが漢詩とその訓み下し文なので途切れ途切れに読んでもさして内容の理解の妨げにならないものであり、興味が継続したのは『江戸漢詩』を読みたいと願っていたからである。

 ここ数年、 鴎外、荷風を集中して読み進んできて江戸後期の漢詩の完成度が相当高いことを知り、又その系列を牽く漱石の漢詩が本場中国の学者から頗る高い評価を得ていると我国現代漢学者の筆頭吉川幸次郎氏が伝えているのを読み、攻めてみようと思い立った。荷風の「下谷叢話」中村真一郎の「江戸漢詩」等を読むうちに李杜に代表される漢詩とはいささか趣を異にする、同じ日本人であるが故の微妙な感情の一致があってズンズンとその魅力に惹かれていった。その過程で出会った「頼山陽」という名にかすかな記憶があった。幼い頃、父や叔父など大人たちが山陽の名を口にしていたし、戦前の絶対的天皇観との関係にも興味があった。そんなこともあって岩波文庫「頼山陽詩選」の解説でこの書を知ってどうしても読んでみたくなり挑戦を試み、青息吐息ながら読み終えたという次第である。
 国民作家司馬遼太郎の影響もあって維新ものが大人気であるが彼ら維新の若者のバイブル的存在が山陽の「日本外史」であったこと、尊王倒幕史観を幕末の我が国に定着させたのが外史であり、倒幕運動の思想的支柱であった吉田松陰が山陽の弟子―森田節斎の第一の弟子であったこと、など幕末、維新、そして明治から戦前までのその絶大な影響力が戦後の僅か70年の間にかくも雲散霧消してしまった原因はどこにあるのか。今我々が日常的に使っている「敵は本能寺にあり」という常套句が山陽の漢詩「本能寺」の「吾が敵は正に本能寺に在り」に由来していることを知るにつけ山陽と、併せて江戸漢詩の再評価を願わずにはいられない。
 読了して作中に紹介された200人を超える江戸漢詩人等のなかで「柏木如亭」のリリシズムに最も強く惹かれた。

 ところで最近同世代の友人知人の多くが本が読めなくなったと嘆いている。そして大概が目がかすむなどと眼のせいにしているがそれは間違いだと思う。目が悪ければ天眼鏡―今はルーペという―を使えばいいので慣れればなんの不都合もない。そうではなくて好奇心が無くなったり興味のあるテーマが見つからないのだ。そしてもうひとつ、体力減退による集中力劣化が大きに災いしている、これは自信を持って言える。7~8年前まで私は体重が52Kgもない虚弱体質であった。ところが64歳の時に煙草を止めて、テニスを始めストレッチや身体の鍛錬に努めるようになって急速に体力が強化され体重も今では58Kg前後にまで増えた。こうなるまでの私は本好きではあったが一度に15分位しか続けて読むことができなかった。そのせいもあって長編が苦手だったのだが、とにかく机に向かって30分も1時間も肉体を維持するだけの体力がなかったから、小学校の通信簿にはいつも「落ち着きがない」と注書きされていた。結婚して妻と映画に行ったとき「ゴソゴソしないでじっと見て下さい」と叱られたりもした。とにかく身体を同じ姿勢に保持するということは想像以上に体力を要するもので、だから読書するにも相当『体力』が必要なのだが普通の人はそれに気づいていない。

 体力を保持して好奇心を失わず、読書も続けて、老いを楽しみたい。

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