2013年12月16日月曜日

日本昔ばなし

先日行きつけの喫茶店でこんな話を聞いた。5歳の孫を預けられた女性が「おばあちゃん、何か他にないの?」と今風のマンガCDを見終わった孫にせがまれて「日本昔ばなし」を見せようとした。「こんなんイヤや」と最初は興味を示さなかったがものの数分もしないうちに黙々と見るようになって、気がつくと3時間近くも経っていたという。
今風の動画のマンガは画面が細密で色彩も豊かだしストーリー展開にスピード感があるから子どもにとって魅力的なのだろう。しかしそれは「受身の楽しさ」で、一方的に与えられる面白さを経験しているのだと思う。ところが「日本昔ばなし」は古臭い絵柄で色彩も単調、話の内容も徳目(道徳)をテーマにした単純なものだ。徳目は日頃大人たち―両親や先生それにキビシイおばあちゃん―に口やかましく躾けられたが素直に納得できないでいたもの、それがお話でゆっくり語りかけられると心の中で会話が発生し自問自答しているうちにすーっと理解できるようになった。日頃の疑問が解けてみると今まで退屈だったものが結構面白い。そこで次のお話次のお話と見たくなったというのが真相ではないか。押し付けでなく双方向の会話を経て納得できたことがスムースな受け入れにつながったに違いない。
大体道徳などというものは「移ろいやすい」ものだ。50年ほど前『清貧』という言葉があったが今や死語に近い。不正をして贅沢をするよりもひとに迷惑をかけずつましく貧しさに甘んじて生きる方が『美徳』である、という時代があった。でも時代の都合に合わないものはいくら押付けようとして受け入れられなくなってしまう運命にあるのだ。

今月2日文科省の有識者会議が、現在正式教科でない小中学校の「道徳の時間」を「特別の教科(仮称)」に格上げし、検定教科書の使用を求める報告書をまとめた。文科省は中教審の議論を踏まえて2015年度の教科化を目指す、という小さな記事が目に付いた。ニーチェが「あることが〈善い〉とか〈悪い〉とか言う評価はその価値判断を語る者を分析しないと意味がない」と言っているが、特定秘密保護法といい安倍首相は一体何を目指しているのだろう。もし戦前の「儒教的道徳」を教科として教えることで今の我国に国民的アイデンティティを植え付けようとしているのだとしたら大変な誤解をしている。戦前の道徳教育が効果を発揮したのは教科単独の成果ではない。家父長制という家族制度があったうえに儒教思想を漢詩や論語など文化として日常的に受け入れる環境があった。娯楽も今ほど多くなく、映画(芸術作品は別にして)、歌舞伎や文楽、浪花節でもすべて儒教的色彩の濃いものだった。諸々のものが相乗的に作用して「道徳」が教科として成立していたのだ。こうした事情を安倍首相はまったく考慮していない。

安倍首相はグローバル化の時勢を捉えてTPP交渉に精力的に取組み英語教育を小学校の早い時期に繰り上げる試みも進めている。一方で武田薬品工業の次期社長が始めて外国人になり世界的に大企業の多くが「タックスヘイブン」を求めて無国籍化しているという一連の傾向もありグローバル化のもとでは「国民国家」という枠組みが最早成立しないという時代の趨勢を表している。
特定秘密保護法や道徳教育の制度化をTPP交渉や英語教育の早期化・充実化と同時に進めようとしている安倍首相は混乱しているし矛盾している。それは時代認識の洞察が浅いことと国家経営の哲学が定まっていないことに起因しているからに他ならない。

フーコーは「これまでの権力は『排除する』『抑圧する』『隠蔽する』『取り締まる』などの否定的な用語で考えられてきた」と語っているが、特定秘密保護法はまさに古い権力むき出しの法律である。

直近の共同通信の世論調査で安倍内閣の支持率がはじめて50%を割り込んで内閣成立以来最低になったという。改めて言おう、「自民党よ、驕る勿れ!」と。

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