2013年12月23日月曜日

便利さと贅沢

 最近ショックなことが三つあった。「グルチャ殺人事件」「ヘリコプター配送」そして「日本語では無理だと思ってフランス語訳の『好色一代男』を買った」という女性のはなしである。

 グルチャというのは今はやりのLINEのアプリで、決められたグループ内でチャットするものだが中・高校生の間で爆発的に流行しているという。メールを開くと即時それが送信側に分かるようになっているため送られた方はスグ返信しないと「無視」ととられることが多い。そのため参加しているメンバーが多くなると絶えず送信―返信を繰り返す必要があり、勉強や健康にも影響が出ているらしい。7月新聞を賑わした「広島16歳少女殺人事件」はこのグルチャが原因だった。16歳の少女同士がチャットで「殺す」「死ね」と興奮してやり取りするのに10人近いメンバーが加勢し、バーチャル世界のはずがいつの間にかリアルに転換、仲間はずれされた少女が山中に呼び出されて集団暴行を受け、殺人―死体遺棄事件にまで進展した。我々世代には理解の及ばない世界だが、思春期の多感で敏感な『極めて視野の狭い』年代の子供たちは親などグループ外の人とのコミュニケーションから隔絶されると、簡単に仲間はずれ、イジメ、暴行に走る危険性が高いと専門家は伝えている。
ヘリコプター配送は、インターネット小売り最大手の米アマゾン・ドット・コムが小型無人ヘリコプターを利用して商品を配送する計画をしている、というのだ。注文から配送まで30分以内を目指し2015年にサービスを始められるようにしたいとしている。ヘリコプターは最大2.3キログラム程度の荷物を運ぶことができ、同社が扱う商品の86%が対象になって物流センターから10マイル(約16キロメートル)以内に住む利用者を対象にするという。
最後の「好色一代男」をフランス語訳で買ったというのは中村真一郎の小説「仮面と欲望」の中の話なのだが、決してありえないことではない。それというのも最近は樋口一葉や二葉亭四迷は勿論のこと森鴎外や漱石までもが現代語訳が出るご時世になっているから、小説の女主人公のようにハーフのインテリでフランス語が堪能なら原文(日本語の古文)は読めなくてもフランス語訳で「好色一代男」を楽しむという選択肢は十分あり得る話である。

この三つの出来事或いは事件に共通しているのは「便利さと引き換えに何かを失っている」ことを誰も指摘していないことだ。グルチャについて言えば、文字特に『日本語の書き言葉』という極めて不完全な道具を使いこなすための学習をなおざりにして、短文で会話が成立すると仮定したグルチャというツールをインターネット上に解放している『危うさ』を誰も批判しない。ヘリコプター配送についていえば、今でもネット通販はほとんど翌日配達が常態化しているのにそれ以上の『早さ』が何故必要なのか。大資本の圧倒的な物量と組織力で街の商店はシャッター商店街へ追い詰められているのに…。フランス語訳で日本の古典を読む話は、我国国語教育の根本的な欠陥の結果であり、このままでは母国語でさえ深く考えることができないために―英語では十分な思索などできるはずもなく―『理解力』と『創造力』の決定的に劣った人間ばかりになってグローバル化する世界の中で競争にもならない『劣化国家』に落ちぶれてしまうに違いない。
便利さを無批判に追求した究極こそ『原発』ではないのか。もういい加減に「便利さ」「効率性」一辺倒の選択から脱却しようではないか。

最近私は近所の書店で本を買うようにしている。インターネットでなく大型書店で実物を手にとって買っていたが近所の書店をこれ以上減らさないためにささやかな貢献をしようと思ってである。本の届くのに2、3日かかるがそれ位の我慢は何でもない。

晴れた日曜日の昼下がり、フラッと近所の書店へ行って文庫本でも買って、行きつけの喫茶店でパラパラと斜め読みする『贅沢』を失いたくないからである。

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