2014年6月9日月曜日

平和の価値

 集団的自衛権とか原発再稼動とかキナ臭いことに世間はなっているようだが、あれほど『おどされた』にもかかわらず原発は無くても経済は順調に動いているし、いやむしろ「止まる前」より良くなったみたいで20年ももがいていた「デフレ」から何とか「脱却可能圏」に入ったようで喜ばしい限りだ。東アジアの緊張が高まっているからと云う理由で「集団的自衛権」行使を認めさせようと政府はあれこれ理屈を並べているが国民はどう思っているのだろう。よくよく考えてみると戦後70年、ひとりの戦死者も出していないということは『凄い』ことでそれは「戦争できなかった」結果であることは記憶しておいてよい。
 徳川幕藩体制下の17世紀から19世紀の300年近いあいだ戦争や局地的紛争ばかりか内乱さえなかったことは驚異に値する。この期間は大航海時代を経て今の欧米諸国が近代国家として成立を果たした時代であるから、国家間の戦争はもとより国内の動乱も度々繰り返した大変革の時代であった。その同じ時代に極東の島国と云う地理的条件はあったにせよ『平和』で過ごせたからこそ維新の開国を無事に切り抜けることができたのだ。我国の何倍もの国土を有し世界第一の強国であった隣国「中国」は西欧列強の暴力的植民地政策によって壊滅的打撃を受け以来150年近く臥薪嘗胆の苦しみにあえいだ。
 
 後進国が円滑に経済発展を果たすためには「人的資本やインフラなどのストックが重要で膨大な時間と資本が必要」であり「(貧困国の)人口の50~80%が従事する農業または農村の発展なくして貧困削減はありえない」という開発経済学の知見(大塚啓二郎著「なぜ貧しい国はなくならないのか」)からすれば「平和であった徳川時代の蓄積」にいかに価値があったか分かる。人的資本を識字率で計ってみれば武士階級は100%であったし庶民の男子は50%前後読み書きそろばんができた。だからこそ西欧先進国から輸入した「新技術」を瞬く間に我が物にすることができたので、今途上国が苦しんでいるのはこの面での蓄積がないことが大きく影響している。
 農業の発達程度に関しては幕末から明治初頭にかけて来日した外国人の見聞が役に立つ。「カッテンディーケ(長崎海軍伝習所教育隊長)は言う。『日本の農業は完璧に近い。その高い段階に達した状態を考慮に置くならば、この國の面積は非常に莫大な人口を吸収することができる』。またオールコック(初代英国駐日公使)によれば『自分の農地を整然と保つことにかけては、世界中で日本の農民にかなうものはない』。江戸近郊の農村で彼は『いたるところに熟練した農業労働と富を示す明らかなしるしを見かけ』た。ハリスも日本人の農業に対して讃嘆の念をおぼえた一人である。ハリスは言う。『私は今まで、このような立派な稲、またこの土地のように良質の米を見たことがない』。(略)メイラン(長崎商館長)は言う。『日本人の農業技術はきわめて有効で、おそらく最高の程度にある』。幕末から明治初期にかけて観察者がひとしく認めた、前工業化段階としては最高の経済的・物資的繁栄(以下略)(渡辺京二著「逝きし世の面影」より)」。
 徳川時代の始まった当時1300万人だった人口が幕末には3000万人にまで増加したがその人口を大量の餓死者を出すこともなく養った我国農業の生産性の高さは大いに誇っていい。
 
 安倍政権が成長戦略の柱と位置づけ農業改革を打ち出しているが効果のほどは不透明である。
 そもそも外国人の評価が非常に高い日本農法を完全否定して「お雇い外国人」の指導の下に「農事試験所」を開き『先進農法』を取り入れようとした明治政府の取り組みは、米作に経験のない西欧技術者と農業経験のない下級武士が主導したのだから結果は惨憺たるものになった。農事試験所はやがて「東大農学部」となり日本農業を技術的に主導し今日に至っているが、明治以降日本農業が迷走を続けてきた背景にはこうした歴史的経過があるわけで、『江戸後期の日本農法』は再評価されて然るべきである。
 
 
 「自衛権」とは「自らの國を守るために戦争できる権利」である。

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