2014年9月16日火曜日

もうマスコミには踊らされまい

 今年はマスコミに翻弄されているなぁ、とフト思った。錦織のテニス全米オープンがそうだし、サッカーのW杯もそうだった。ちょっと前の小保方晴子氏と理研のスタップ細胞は結局ヌカ喜びだったし佐村河内氏のゴーストライター事件は後味の悪い幕切れに終った。すべてマスコミの過剰な演出で『熱狂』に浮かされ、直後に『失意』に突き落とされるというパターンだった。新聞やテレビのマスコミを「社会の木鐸」と信じてきたが彼らにはもうその矜持のかけらもないのだろうか。
 
 まず直近の錦織選手の全米オープンについて。ジョコビッチを破った準決勝直後から繰り返し繰り返し、専門家素人を問わずまるで既定の事実のように優勝の予想を口にした。しかし、少しでも冷静に考えれば不安のほうが募るはずなのだ。全米オープン前、足親指の手術をしなければならない状況に追い込まれ術後1ヶ月ばかりで試合に挑んだ。前哨戦をこなしてその後の2試合を4時間超のハードなゲームに勝利してようやく準決勝に臨んだ。下馬評では不利を伝えられた中でNo1ジョコビッチを熱闘の末下したのだから疲労は頂点に達していたはずだ。決勝前のインタビューで「体を切り替えて決勝に臨みます」と答えた言葉に違和感を覚えた。普通はこうした場合「気持ちを切り替えて」というはずで「体…」と言わざるを得ないほど体力的に辛かったに違いない。勿論精神的にも限界を超えていただろう。ハードなゲームを技術と肉体の限りを尽くして勝ち上がり強敵ジョコビッチに挑戦してとにかく勝ち切った、ここが「頂点」であったというのが真実であろう。だからチリッチとの決勝は相手が誰とかという次元でなく錦織自身がとにかく心身をもう一度リセットして戦う状態に高められるかどうかが問題だったのだ。加えてテニスのプレーで「サーブ」が最も体力を反映する技術だからこの大会で目覚しい進境をとげたサーブが有効に機能しないおそれも考えられた。
 案の定錦織にそれまでのキレはなくサーブ威力は消えて0-3の完敗となってしまった。でもこれで4強につけいるスキがあることが分かった。しばらくは実力接近の6~7名の選手による混戦が続きそうだが錦織選手の成長に期待しよう。
 
 W杯サッカーについて。メンバーは欧州組も多く個人技ではほとんど遜色がないのではないか。ヨーロッパの試合では本田にしろ岡崎にしろ長友にしろきっちりと機能しているにもかかわらず日本チームになると実力が十分に発揮されないのは日本人のDNAにサッカーがまだ組み込まれていないからで頭では分かっていても1個のボールを相手陣営のゴールに『本能的に』蹴り込む『つながり』がないのだろう。そう考える以外にヨーロッパチームの長友や岡崎と日本チームの彼らの違いが説明できない。
 毎朝公園でサッカー少年の練習風景を10年近く見ていると、年々サッカーが体現化されていくように感じる。今小学校6年の子どもたちが日本チームの過半を占めるであろう8年後頃からわが国チームも世界の第一線で互角に戦えるようになりそうな感じがする。
 
 スタップ細胞騒動はマスコミの「科学担当記者」の劣化が原因であり新聞社(を中心としたマスコミ)が専門スタッフや記者を手厚く擁するだけの経済的余裕を維持できなくなったことが遠因となっている。しかし専門性をもたない「マスコミ」は報道機関なのだろうか。南海トラフによる地震・津波被害予測の記者発表資料『垂れ流し』にしても同様の事情であろうがこちらは「疲弊した地方」に『追い討ち』をかけるという甚大な影響をも与えているから事は重大である。
 
 佐村河内氏問題は30年、いや15年前にはあった報道機関の「通常の鑑識眼」が喪失の危機に瀕している証左であろう。数年前偶然目にしたNHKのドキュメント「うさん臭さ」を感じた。よくNHKがこんなものを総合テレビで放送するなぁとスグにチャンネルを切り替えたことを覚えている。常識人なら薄暗い部屋の壁にゴンゴンと後頭部を打ちつける髭モジャの盲目の天才作曲家に嫌悪感を覚えるはずだ。
 
 このままでは既存のマスコミがITメディアに駆逐される日もそう遠くないろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿