2015年3月9日月曜日

老いについての断章

 最近気に入りの章句がある。
 君に庭と書斎があるならもう何もいらない―キケロ
 数年前からの習慣で、父は元日にちょっと私に礼を云う。その時もやった。「だんだん齢をとっていよいよもうろくになって、おまえたちに面倒をかけることもますます多くなった。去年はことに世話になった。今年もまたおまえたちの世話になって。」ここまで云って息を切り、絶句したかたちになった。私は眺めた。血色のいい顔がにこにこしてまっすぐを見ている。だんだんに笑が深くなって、しまいに、はははと屈託無く笑いだし、「や、めでたい、いや、めでたい」と云ってなおも笑った。わたしもつれて笑った(幸田文著『父』―「正月記」より)。
 
 キケロの辞は「じゅうぶん豊かで、貧しい社会(R&Eスキデルスキー共著村井章子訳)」からの引用でこの書のエピグラフ(文書の巻頭に置かれる引用)には「ほんの少しで十分だと思っている人でも、もう十分と思うことはないものだ―エピクロス」という言葉もある。私の現状は庭も、そこそこの書斎も無い生活だがこの齢になると『欲心』が薄れてくる。いやそう言い切ってしまうと嘘になる、毎日でなくていいから旨い酒は飲みたいし美味なものも偶には食したい。しかし別にそれがなくとも不満は起こらない。本を読める視力が保てて疲れたとき気を休め目を愉しませてくれる草花や樹木があればいい。庭は無いが幸い歩けばスグの処に植栽豊かな公園がある、散歩がてらに赴けば運よく小禽(ことり)の囀りを耳にすることもあり気候のよい頃には頬を撫でる微風が心地よく、隣の小学校が授業中なら人影も無く公園は独り占めで我が庭のようなものだ。
 ほんの少し前まで「もっともっと」と我欲に身を苛まれていた。他人(ひと)を謗(そし)ったり足を引っ張ったりして胸がザラついていた。賭事―競馬の刹那の陶酔に身を任せていたこともある。世間は賭事―博打を『悪』だと一言で切り捨ててしまうが事はそれほど単純ではない。その歴史は古代にも遡れるもので呪術的であり祭祀的でさえある。長年の社会生活の便宜主義宗教の力添えもあってタブーとなっているけれど博打をしたいと思う気持ちは本能に根ざして人間の心の奥底に眠っているから「満たされた豊かな社会」になればいつこれが覚醒されるか予断がつかない。今しも「カジノ」解禁が喧伝されているけれども先ず十分な文明論的検討が加えられるべきであって拙速で近視眼的な産業論や地域振興の視点で判断を下せばのちに禍根を残すことになるだろう。
 エピクロスの言は深い。ほんの少しでも『慾』があればその残滓は「もっともっと」を呼び覚ます。余程の覚悟と思い切りをもって慾を手懐(てなず)け宥めながら慾を遠ざけなければキケロの境地には到れまい。
 
 幸田文の章句は父―露伴が晩年に正月の度に娘に漏らした言葉を書き止めたものである。家父長制の時代であり、まして文豪の名をほしいままにし周囲からも相当な尊崇と讃美の礼をもって遇せられていた厳父・露伴がある歳を境にこのような労いと感謝の辞を述べ始めたのだから文には随分戸惑いがあったに違いない。何年経ってもその感が拭えないから「わたしもつれて笑った」になるのだろう。
 それにしても偉い人は軽々と真情が吐露できるものだと感心する。人間七十歳も超えるとどんな男でも、たとえ僅かでも妻や子に負い目があるものだ。しかしそれを云うと贖罪になって自分だけが身軽になれて卑怯ではなかろうかなどと余計なことを考えてついつい口にできないでズルズルと正月を迎えてしまっている。今度の正月にもし妻を労えたら、娘に苦労を償えたらどんなに楽だろうと思うけれど多分今年もそうはなるまい。「小人閑居して不全をなす」はこんな時に使う成句ではないが『小人』という語だけはこのような男に相応しいのであろう。
 
 戦後七十年、まっしぐらに「核家族」に突き進んできた。今更大家族の復活でもあるまいが失ったものの大きさと今の「空々しさ」を秤にかければ、正月に老いたおとこが妻と子に感謝と労いの言葉を交わすような家族の姿に思いをめぐらし「慾」からの解脱が図れれば随分身軽に生きられるようになるかもしれない。
 
 最後にもう一度。「私には庭と書斎があるからもう何もいらない」。

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