2016年1月10日日曜日

胎動

 2015年は『セオリーなき強権』の一年であった。ロシアのクリミア編入、中国による南沙諸島の人工島による実効支配の企図、IS(イスラム国)のシリア・イラクへの領土侵犯と世界的なテロ、そして我国では安倍政権による憲法改正を経ない集団的自衛権の容認、など戦後70年国連を中心として維持されてきた「統治システム」が無視された一年だった言える。そしてこうした動きに同調するかのように北朝鮮が1月6日「水爆実験」を行ってしまった。
 しかしここで問題とすべきは『セオリー』が何であったかということではないか。「国連を中心として」というように、それは第二次世界大戦の『戦勝国』の権利を最大限に容認し保持・維持する「世界統治の論理」に他ならなかったのではないか。言葉を変えればアメリカを中心とした戦後支配体制の綻びがはっきりと形になって表れたのが2015年ではなかったか、ということである。
 
 第二次世界大戦の戦勝国――アメリカ合衆国、イギリス、フランス、ロシア(元ソビエト連邦)、中華人民共和国(元中華民国)の5ヶ国が国連安保理で拒否権を有する常任理事国であるような超越的な権利を保証した世界的な統治システムとして国連が構築され、それとともにIMF(国際通貨基金)と世界銀行やADB(アジア開発銀行)が経済システムとして併設された。ところが米ソの資本主義と社会主義の覇権争いが勃発するに及んで東西協調は均衡を失い『冷戦』が発生、やがてソ連の消滅によって「アメリカの一国支配体制」が確立し、又基軸通貨国として経済的にも「覇権国」となり「一国支配」は揺るがぬものとなった。しかし一方で第二次世界大戦の想定外の帰結は植民地支配の否定と「民族自決」をもたらしたのだが、旧植民地の独立は戦勝国の露骨な「利益保持」を目的に行われ「民族、言語、宗教・宗派」をほとんど考慮されずに「人為的な線引き」として実現された。
 世界を席巻した「アメリカ型資本主義」は「市場万能主義と止まることのない成長・拡大」を志向するシステムであったために「経済のグローバル化」を必然化し世界を『均一な市場』に巻き込んでしまった。加えてアメリカ金融資本は実物市場と跛行して異常に拡大したため世界経済を極めて「不安定なシステム」に導いてしまった。
 
 戦後70年、国連加盟国は1945年の51ヶ国から193ヶ国に増加した。世界経済は戦勝国の寡占状態から先進国、中進国、発展途上国が複雑に相互関係したグローバル体制に変貌した。経済面での最も根本的な変化は『資源』をめぐる変化である。今、世界で最も不安定な地域である中東・アフリカは石油資源の埋蔵量において最重要地域として戦勝国の経済的利益優先の『恣意的』線引きによって国境が定められた。民族、言語、宗教・宗派をほとんど考量されずに定めれられた「国境」は戦勝国の「経済的・政治的」権力によって維持されてきたがアメリカのシェール革命による石油自給率の急激な向上は中東・アフリカ産油国への戦力によるアメリカの介入の必然性を稀薄化し「世界の警察国」としての経済的政治的意欲を喪失させた。戦勝国、とりわけアメリカの『強制力』の箍(たが)の緩んだ産油国を中心とした中東・アフリカの『国境』は『溶融』する蓋然性が増し、ISの跳梁を許し大量の「難民」を生み出した。
 
 戦後70年経って、戦勝国の利益を最優先した『戦後システム』は根底からその存在意義を問われている。 
 G7という少数の先進国が優先的に利用していた世界の資源はG20から世界中の国が「共通だが差異のある責任」において利用の許される体制へ変化することが求められている。
 サブプライムローンを内包した『不可解な金融商品』の破綻に端を発した「アメリカ金融資本体制」の崩壊危機は火元のアメリカが最初に、唯一国、危機から脱出しようとしているがその影響は世界同時株安という形で早くもその身勝手な振舞いへの警告を発している。
 シリア内戦、イラクに於ける統治機能の欠如が生み出したISによる『国境破壊』はサウジアラビアとイランの国交断絶によって更に加速する可能性が高まってきたがそれはNation-state(国民国家)という概念をあいまいなものとしつつある。このことは『統治の範囲』という意味で「巨大国家」の存続を危ういものとしているし、EUという「国家統合」の実験と相俟ってNation-stateの意味を世界的に問いかけている。
 
 戦後70年経って劣化した「戦勝国による統治システム」の「再構築」への『胎動』は既に世界各地で勃発しており、『難民』や北朝鮮の水爆実験は「弱小国」或いは「脆弱国」のそうした動きへの果敢ない『挑戦』なのかもしれない。
 

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