2016年1月18日月曜日

ベースアップを考える

 ベースアップが新聞紙面を賑わし始めた。トヨタ労組が今年の要求額を昨年の半分の月額3000円これはトヨタ労組平均給与の1%にも満たないとする方針を固めたと伝えている。1955年に「春闘」が始まって物価を翌年の賃金に反映させる方式として「ベースアップ」が登場し、要求額の足並みをそろえる「統一要求」と相俟って我国の賃上げ方式として定着した。しかし産業別の成長に格差が出るようになり企業別にも業績にバラツキがある現在、ベースアップを根本的に再考する必要があるのではないか。
 戦後直の異常な高インフレ期は別にしても昭和時代は40年代約8%、50年代は5~6%と高インフレがつづいた。しかし平成に入ってインフレ率は急減し00~09年代2%未満から10年代はマイナスに転じ20年代は0%近辺でデフレからなかなか脱出できないでいる。このような状況の中で「インフレ解決のためのベースアップ」の正当性には疑問を感じざるをえない。
 しかしベースアップには労働分配率を向上させるという機能があり21世紀に入ってからはこの側面において存在価値が増しており、特に08年の金融危機以降は世界的に労働分配率が低下し、このことが「格差拡大」の大きな要因になったと考えられている。我国においても2000年前後は80%を超えていたものが08年以降80%を割り込み近年は70%台に落ち込む急激な減少を示している資本金10億円以上の大企業においては60%以下にまで低下している。このため企業の「内部留保」が増え続け2014年には354兆円を超えている。
 
 企業は利益を株主(配当)、従業員(人件費)、会社(設備投資と剰余金)と国(税金)に分配する。近年は配当や自社株買いなどの形で株主への分配は活発に行っている反面、設備投資と賃アップには消極的な傾向が続いている。これはグローバル化が進展するなか、将来見通しが困難で設備投資に踏み切れない経営者が多い結果であろうが従業員への配分については別の事情がある。
 グローバル化景気変動が循環要因以外の地政学的リスクや天候などの自然変動によっても惹き起こされるようになり更に国際化した金融環境が景気変動を瞬時にかつ増幅して各国の経済に影響を与えるようになった結果、経営者は景気変動に機動的に対応できる経営体制を保持したいと考えるようになっ。ベースアップは賃金の固定的な増加につながるから経営の機動性を阻害する。従業員への利益配分に意欲のある経営者でもコストの固定化は極力避けたいと思うのは致し方ないのではないか。「ボーナス」の形なら利益配分に前向きな経営者が多いのはこうした事情の反映であろう。
 
 ベースアップに拘る従来の春闘形態にはソロソロ終止符を打って短期利益の配分は「ボーナス」型に移行し、より本質的な「労働条件の改革」に運動の力点を変えるべきではないか。
 日本経済の根本的な問題は「人口減少」であり労働力人口の不足であることは周知の事実であり労働界としても真剣に取組むべき課題である。解決方法としては「女性と高齢者」の活用が近道だといわれているが実現を阻んでいるのが正規社員の『無限定な職務と長時間労働』である。長時間労働に関していえば「毎月の生活費は残業代で賄い基本給部分は貯蓄に回す」という人がいたこれは極端な例としても比較的恵まれているといわれている正規社員の賃金も「時間外手当(残業代)}を含めての給料がベースになっておりそれからみれば「ベースアップ」の金額は微々たるものである。
 何故労働側(労働組合)はここに踏み込まないのか。職務範囲を限定し時間外労働を排除した正規の労働時間で「基本給」の額を現在の「月給残業代を含む」とするような取り組みを考えるべきで、全額が基本給に組み込まれることはないにしてもれこそが実質的な『正当性』のある
「ベースアップ」なのではないか加えてこうした労働界の運動は『雇用の増大』にもつながる日本の労働環境の根本的な改革にも貢献する。何故なら若年者の雇用不足、女性雇用の非正規化、高齢者雇用の問題点なども結局「正規雇用の男性社員」の働き方に問題の『大元』がありこのことがひいては「わが国労働生産性の低さ」にも大きく影響を及ぼしているからだ。
 基本給が低いからダラダラ残業をして残業代を稼いで給料をかさ上げする、大事な会議も残業時間することが多くなる。こうした『働き方』が日本全体の生産性を低下させる、女性のフルタイム労働を困難にする、何人かの時間外労働で「1人分の雇用」をカバーしてしまうから結果として若年者の雇用を奪ってしまう。こんな悪循環が日本の経済や労働市場を競争力の弱いものにしているの
 
 雇用の流動化と生産性アップ日本経済の根本的な問題はこの二点に凝縮されている。その解決策の一つに『正規男性社員の働き方改革』があることを認識すれば春闘も変わらざるをえないのは自明である。                
                       

0 件のコメント:

コメントを投稿