2016年10月17日月曜日

地方創生と農業

 「日本の農薬は品質がいいんですよ」と知人の農家の方から聞いた。小泉進次郎議員のJA改革について会話しているときのことである。JAの農薬や肥料・農業機械は韓国など外国の2~3倍もする高価格で販売されている現状を改善して日本農業を改革しようという小泉議員の挑戦は評価に値する。しかし、300種類以上あるといわれている日本の農薬は農産物の種類や耕作地の特性に適したものを希望する農家の要望に応えようとした農薬会社の苦労の結果でもあって、だからこそ外国製品よりも効き目がよく効果も長続きする商品になっているという側面もある。
 ことほど左様に、日本農業は世界でも有数の繊細で緻密な計算をもとに組み立てられた農法を誇っている。その年の雨量や土質の変化、気候などに合わせた品質の良い作物を育成する高い技術力は「安心安全」な上質の食品を生産する農法として注目を集めている。
 
 一体なぜ日本のコメ生産の基本技術たる「水田農法」が必要かといえば、「雑草と害虫駆除」を必須とする「湿潤多雨」地帯の「米生産」を最適に行うための窮極の生産方法だからだ。
 有名なミレーの『落穂ひろい』を想像すれば明らかなように、西洋の「ムギ生産」はバカ広い農地に直播きして、ただ成熟を待って収獲するだけの実に粗放な(?)生産方法でも通用する作物なのだ。なぜなら「乾燥少雨」地帯では「雑草」は生えにくく「害虫」も発生しにくい土地・気候だからで、それだけに農薬が発明されて「収量」が安定するまでは「ムギ」は天候に左右される栽培の非常に難しい作物だった。従って農業が中心産業だった中世・近世までのヨーロッパは貧富の差の激しい階級社会で貧困層は飢餓に苦しめられ短命な生き方を強いられていた。その結果中国を初めとしたアジア諸国におくれをとっていたヨーロッパだったが、ジャガイモの発明、避妊の普及、皮下着の綿製品への転換はヨーロッパを一挙に発展させることになる(勿論産業革命の効果は絶大だったが)。
 「皮下着」には違和感を覚えるだろうがギリシャ・ローマ時代からヨーロッパ諸国の発展を度々衰亡させてきた「ペスト(黒死病)」と「皮下着」とは大きな関係があった。14世紀には英国の人口の3分の1が死亡するほどの猛威をふるったこともあったペストは「死病」として17世紀、18世紀までヨーロッパを悩ませてきた。19世紀になって香港から中国インドに伝染し1200万人を死亡させるなど近代以前の世界を震撼させた一大伝染病ペストの撲滅は国の発展成長のカギを握る重要政策だった。その原因が「皮下着」で、通気性が悪く汗や体液まみれの不衛生な下着はペスト菌などの黴菌を繁殖させる最悪の下着だった。それが綿花栽培の発達によって綿製の下着が貧困層にまで普及して衛生面の飛躍的な改善につなりペスト撲滅が可能になった。
ジャガイモは小麦に比べて生育が簡単で収量も安定・多量だったから貧困層にも十分にゆきわたることになり栄養分豊かな食生活をもたらし、避妊意識の広まりと技術の普及は多産のもたらす食料の逼迫を改善した。ペストの撲滅、ジャガイモと避妊の普及は相乗してヨーロッパ諸国の人たちを「飢餓からの解放」に導いた。
 湿潤・多雨の我国で稲栽培を行うためには水田耕作が必須技術だったが、平家物語にある白河法皇「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」と嘆いたという逸話のように「治水・灌漑」がそのための最重要事業だった。狭い国土が300以上の藩に分割統治された江戸時代は各藩の努力によって治水事業がきめ細かに行われ農業生産の基礎が全国的に完備した。そのうえで各地の豪農を中心とした農法の革新と蓄積は豊かな農業生産を実現し農産物は高価格商品として取引されたから庄屋階級は大坂の大商人と並ぶ富裕層であり土地持ちの自作農は中産階級として江戸の庶民より豊かな生活を保障されていた。しかし農業は「労働集約産業」であったから人口の8割以上必要とされ江戸時代を通じて2600~2700万人を上下して変わらなかった。こうした事情は第二次世界大戦直後も変わらなかったが「化学肥料と農薬」の出現、「稲の品種改良」は農業を一変させた。
 コメ生産の生産性が飛躍的に向上し余剰労働力が生み出されるようになる。一方我国の産業構造は農漁業中心の一次産業型から製造業中心の第二次産業中心へ、そしてサービス業中心の第三次産業化へと高度化し先進国として成熟していく。この間農業人口は減少の一途を辿り高齢化もあって平成23年には260万人、農業を専業とする農業従事者は186万人まで減少した。それにもかかわらず毎年の米の作柄状況が平年並み以上を保っているのは米の生産性が飛躍的に向上していることを如実に物語っている。味をある程度犠牲にして収量増に標的を絞って品種改良すれば生産性はもっと高めることも可能である。
 一方農業生産は平成22(2010)年度11兆1千億円第2次産業(関連製造業)と第3次産業(流通業・飲食店)を含めた農業・食料関連産業の国内生産額は94兆3千億円となり、国内生産額全体(905兆6千億円)の1割を占めている。
 
 見方を変えて現在の主食用米の必要量はどれほどかを見ると市場規模が縮小したとはいえ700万トンは下らない。この米の生産量を基礎として現在のその他の農業生産物を積算した「必要農業生産物量」を推計、それに基づいて『必要農業人口』を求めると、家族を含めて100万人、家族3人とすると農家は30万戸ほどあればいいことになる。先進国では大体人口の1%程度が農業に従事すれば十分という傾向を示しているから我国が100万人で十分という見方はあながち無謀とはいえない。そこで単純に平成22年の農業生産額11兆1千億円を100万人で割れば1人当りの農業収入は1千1百万円、30万戸の1戸当たり収入は3千7百万円になる。農地集約、企業の参入を認めるなどの「農業改革」を行えば農業は間違いなく成長産業に生まれ変わる。
 
 地方創生が叫ばれて久しいがいまだに実効を挙げていないのは農業にこだわり農産物生産の拡大による「発展・成長」を考えていたからではないか。そうではなくて、特色があり多くの人が憧れる文化を持つ「小都市」を地方に多く作ることが地方創生なのではないか、ドイツ・ロマンチック街道のような。
 
 明治維新は数々の『暴挙』をしでかしたが、「乾燥少雨」地帯の農学者を「御用学者」として、それも「酪農」を専門とする学者を採用したことは「暴挙」の最たるものであろう。そして四百年以上の蓄積の精華であった『日本農法』を捨て去った維新政府の行いは『愚挙』と言っても言い足りない我国農業にとっての『災禍』であった。
この稿は川島博之東大准教授「日経・やさしい経済学「農業の効率化と地方創生」を参考にしています
 

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