2016年12月5日月曜日

センテナリアンへの道

 私の誕生日は十二月二日です。従って先週、目出度く七十五才になりました。友人の中には「この歳になって…」と素直に喜ばない連中も居ますが私は心から嬉しかった。
 幼少期に小児結核を二度患った。丁度そのころペニシリンとストレプトマイシンという抗生物質が我国に出回るようになって救われた。それでも虚弱体質に変わりはなく劣等感に苛まれて青春時代を過ごした。妻とは見合い結婚だったが一目見て決めた。シンの勁さと見るからに健康そうな肉体と精神を感じたからだ。娘二人に恵まれふたりが社会人となって自立したとき、妻に迷惑をかけないで出来るだけ長生きしたいなぁと思った。その頃になってもまだ年に六、七回も風邪を罹くほど虚弱だった。
 
 転機は六十才をすぎてきた。六十三才になった翌年の一月十一日深夜、目が覚めて煙草が欲しくなって手探ったがキレていた。いつもなら真夜中でも起きて近くの自販機かコンビニまで買いに出るのだがなぜかその時、「まぁいいか…」と我慢した。一日が過ぎ三日経っても煙草を買おうとしなかった。何時の間にか禁煙できていた。
 飯が旨くなって、たまたまうまい中華料理店を見つけて、週に三、四回「お昼のおまかせ」を食べていたら僅か半年で体重が56キロに増えてしまった、生まれてこの方52キロを超えたことのなかった虚弱体質の私が。
 ちょっと前からテニスを始めていた。六十才を過ぎて…、と家族全員に反対されたがやってみるとハマってしまった。思いの外に上達が早くスグに初心者クラスから中級クラスに上った。そうなると欲がわいてスタミナ強化のために毎朝公園へ行ってストレッチと「壁打ち」に精出していた。
 食事が益々すすむようになって二年も経たないうちに60キロ近くまでになった。さすがに重いと感じてダイエットすることにした。この私がダイエット?信じられなかった。毎朝体重と体脂肪率を測り記録するようにした。これが意外と健康管理に有効だった。
 動体視力の衰えを感じて眼科に相談し目薬を処方してもらう。あわせて眼の運動もするようになって半年、1.0と0.7に視力が回復した。
 
 毎日公園へ行くようになったある朝、「お兄さん、わし来週入院するねン。それにもう八十六才やねン。わしの代わりやってもらえへんやろか」と公園のゴミ拾いを頼まれた。昭和五十年代後半にできたこの公園のゴミ拾いを二十年近くつづけているご老人の依頼を無碍に断ることができず引き受けた。以来もう十二、三年になる。当初は毎日4㍑のゴミ袋が一杯になるほどヒドかった子どもたちのゴミ捨てが、学校との協働のお陰で今では週に一袋出るかでないくらいまでに減った。
 ゴミ拾いのお陰で公園へ来る幾人かのひとと口をきくようになった。月一回の公園愛護会の清掃日に参加すると顔を知ってくれている人が意外と多いのに驚かされる。
 
 体力がついて一番嬉しかったことは本が読めるようになったことだ。読書好きだったけれども継続して20分も読み読みつづけることができなかった、集中力がスグに途切れるから。いまは三時間くらいならラクに読める。小説ばかりでなく硬めの本も読んでいる。新しい知識を得ることは幾つになっても楽しい。
 読めば書きたくなる。ネットにコラムを連載しはじめて十年を超えた。五百篇もつづけると習慣になって生活のいいリズムになっている。読書の知識が書くことで体系化されて物の見方が多面的になってきた。
 パソコンは強力な援護者だ。書いて消して、の繰り返しが容易にできるので簡潔な文章が書けるようになる。データの収集が簡単だからアイデアの裏づけが可能になり論理の展開に自信が持てる。もしパソコンがなかったら〔読む―書く―見る―考える〕の良好なサイクルは構築できなかったに違いない。
 
 今年のエポックは「予防接種」を受けられたことだ。幼少期の重篤な病歴があって疱瘡も今でいう四種混合もパスして大人になった。高齢になってインフルエンザのワクチンもこれまで受けずにきた。ところが今年、八月九月に近しい友人がふたり肺炎で亡くなった。ふたり共ここ二三年病床に臥していたが直接のきっかけは肺炎だった。丁度今年肺炎予防の定期接種の年令に当たっている。九月の中旬から悩みに悩んだ。かかりつけ医に相談した、友人の医者にも頼った、ネットでも調べた。そして先月十日過ぎ肺炎の予防接種を受けた。何事もなく二週間が過ぎた。先週インフルエンザも受けた。腫れも熱の出ることもなく健やかでいる。七十五才になってやっと普通になれた!
 
 今の健康がどこからきているのか?煙草を止めたことは大いに良かったはずだ。体重が増え体力がついたのは幸運だった。妻と娘たちが病気知らずなことは有り難い。友人の多くが奥さんか本人のどちらか、いや両方とも「病もち」でいることを考えたら私は誠に幸せと言わざるを得ない。歯がすべて自前で28本まるまる残っているのは食べ物をおいしくいただけるから結構なことだ。人並みの年金があるから贅沢さえしなければ食うに困らない。週に何日か美人店主の居る喫茶店で過ごす時間は快適だ。ゴミ拾いと野球場の管理を手伝っているので少しは世の中の役に立っている。毎朝公園で体を動かすのは爽快だ。読書とコラムの執筆で知的な刺激も好調を保っている。
 このうちのどれが欠けてもバランスが崩れてしまうように思う。すべてが相乗効果となって健康なのだろうと思う。
 
 百歳以上の人をセンテナリアンという。私もあと25年。しかしそこへの道は余りに遠い。
 彼らは生きる達人だ。
 
 
 

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