2017年4月3日月曜日

スポーツジャーナルに物申す

 清宮の早実が敗れた。
 勝った東海大福岡のバッテリーが「インコース高目が弱い」と仮説を立てていた。初回の顔合わせでエースの安田は2球目をそのコースに投じた。するとファールを打った清宮が「『ウッ』という顔をした。振れていないんだなとわかった」と捕手の北川は振り返る(日経29.3.28p41関根慶太郎)。
 マスコミが大仰に騒ぎ立てた「超スラッガー」清宮選手は春センバツ2回戦で姿を消してしまった。彼の「内角高めのウイークポイント」は早い時期から指摘されていた。サンデーモーニング(TBS日曜日8時~)の張本さん(彼の炯眼は筒香を2年目のキャンプで見出し将来DeNAを背負う中心打者になるであろうと見抜いていた)の評価は彼の一年の時から辛かったが内角高めの弱点が矯正されなければ「プロでは…?」と疑問を呈していた。それから二年まったく克服されていない、指導者は何をしていたのだろう。要するに腕をたたんで腰でバットを振り抜くバッティングができるようにならなければ清宮は簡単に抑えられるバッターということだ。コントロールが悪く威力のない高校野球の球なら、甘いコースを腕を伸ばして力まかせに振り回すバッティングでも通用するが、東海大福岡の安田投手のようにちょっとコントロールのいい投手なら高校生でも牛耳ることは難しくない、清宮はそのレベルの選手ということになる。
 この程度の選手でも騒がれるくらい近年の東京の(野球)レベルは低くなっている。春夏通じて東京のチームが優勝したのは例の「ハンカチ王子」の平成18年夏・早実と平成23年夏の日大三高の二校のみ、それ以外では日大三高平成22年春の準優勝、帝京高平成19年春、関東一高平成24年春と27年夏のベスト4があるだけである。ところがマスコミは東京中心主義だから少しでも目立つ選手はハデに取り上げる。清宮選手の場合はお父さんがラグビーの名門早稲田とラグビー・トップリーグのヤマハの元監督というネームバリューがあったからマスコミも飛びついた。いずれにせよ、まだまだ未熟な高校生である若い才能を、中途半端にはやしたててツブすような上っ調子な報道を戒めると同時に、周りのチームメートにも気を配って不必要な不協和音を生じさせないように細心の注意で取材に努めてほしい。
 
 大阪場所の稀勢の里優勝の報道もスポーツ報道としてはどうかと思う面が無きにしも非ずである。ケガを押しての強行出場の涙ぐましい敢闘精神は賞讃に値するが、彼の今場所みせた格段の成長をもっと専門的に評価してほしい。千秋楽の照ノ富士を破った「奇跡の逆転優勝」も本割の勝利は相手の油断負けの要素が強かったが(前日の痛々しい相撲からは予想もできなかった稀勢の里の力強い反撃に泡を食った土俵際のツメの甘さ)優勝決定戦は横綱快心の理詰めの相撲だった。左肩のケガで上半身は思うに任せないが下半身は万全だったから動き回って右上手を抱え込んで「小手投げ」、これが横綱の作戦だった。本割の反省で冷静に四つに組んで正攻法の力勝負を挑むであろう大関とまともにぶつかったのでは力負けするのは必定と読んだ横綱が唯一、勝機を見出せる相撲は「早い流れの小手投げ」だったのだ。
 横綱昇進で精神面でも磐石に上り詰めた稀勢の里が窮地で冷静に勝負を見窮めた最高の作戦と技術の『奇跡の逆転優勝』であった。
 
 スポーツ新聞の有力コンテンツのひとつ「競馬」でもその報道姿勢に不満がある。
 例えば「凱旋門賞」。ここ数年ディープインパクト産駒が有力馬として挑戦し賑々しく喧伝されたが結果は無惨なものであった。父のディープインパクト自身は3着失格で、その産駒は2013年キズナ4着、2016年マカヒキは14着であった。これまでの日本馬の挑戦で良積をあげているのはエルコンドルパサー(父キングマンボ)とナカヤマフェスタとオルフェーヴルのステイゴールド産駒の3頭である。ディープもステイゴールドもサンデーサイレンス産駒だがその子どもの特徴は、軽快な決め脚の短、中距離で良積を上げるディープに対してステイゴールド産駒は典型的なスタミナ血統である。凱旋門賞は深い洋芝の重い馬場での2400m戦である。これだけディープインパクト産駒の不成績がつづくからにはなにか根本的な原因があるのではないかと疑問を抱いて当然ではないか。
 日本競馬は戦前の軍馬としての馬匹改良に起源をもち頑丈で耐久力優先の育成でスタートしたが、戦後は一転、米国に範をとった競走馬として速く、長距離よりも短中距離に適正をもつ「軽い馬」が主流の馬匹改良を重ねてきた。種牡馬も米国産の2冠馬サンデーサイレンスを輸入することが画期をなし、競馬場改良、トレーニングセンターと育成牧場の充実もあって、例えば芝1600mの走破タイムは1960年代の1分36秒台から1分32秒台にまで競走馬の質は向上した。しかしそれはあくまでも「速い短中距離馬」のカテゴリーでのことで、そのことはここ数年の香港国際競馬でのロードカナロアやモーリスの活躍が証明している。
 しかし凱旋門賞はまったくカテゴリーの異なる競馬である、「速い軽い短中距離馬」では絶対に勝てないレースと決めてかかる必要がある。そのレースに勝てる競走体系を確立しなくては勝利は覚束ない。日本人は凱旋門賞に拘りをみせてその勝利を悲願としているが、それなら覚悟を決めてかかるべきで、例えば中央では無理かもしれないが地方の競馬場に「擬似ロンシャン競馬場」コースを造るくらいの対策を講じて挑むべきだ。中央馬場のオープンクラス2400mでは走破時計が少々劣っても「擬似ロンシャン」でならオープン馬に勝てる、そんな競走馬を育成するくらいの「構想」で挑む。それほどの「発想転換」をしなければ、凱旋門賞に手は届かない。
 凱旋門賞はそんなレースではないか。この十何年かのJRA競走馬の挑戦をみて、そう覚悟した。
 
 同じく競馬について、「調教師」にもっと注目すべきではないかと思う。先にも記したが、競走馬の近年の質的向上は目ざましく、その中心にいるのが「調教師」に他ならない。昨年の香港国際競馬でモーリスとサトノクラウンの優勝を果した堀宣行調教師の「国際競馬同日複数優勝」という稀有な業績はもっと華々しく賞讃されるべきで、勝ち馬予想でも「調教師」を重視する視点で検討されても良い。
 有力騎手偏重の勝利傾向も近年の顕著な趨勢で、一日の三分の二(12レース中)以上のレースが有力2、3騎手の勝利で占められることも少ないない。であるなら、勝ち馬検討も十年一日の如く競争成績、レース展開などからする「伝統的手法」ばかりでなく、「騎手・調教師」主体の予想があってもいい。
 競馬予想にも大胆な「発想の転換」が望まれる。
 
 日本のスポーツジャーナルは不毛である、こんなことを言えばその方面の専門家からどんな反論を受けるであろうか。

0 件のコメント:

コメントを投稿