2017年5月8日月曜日

詩人のことば


 こんなことを書けば、こんなふうにとられてしまうと恐れるのか、詩人たちは「フィクション」として詩のことばをつかうこと、動かすことを極端に避けるようになった。繰り返すがことばは詩のなかに置かれている以上、基本的には「フィクション」であるはずなのだ。そしてそこにこそ「詩の自由」があり、またその「自由」を主張することができるはずなのだが、作者たちは自分の詩のことばが「フィクション」であることを忘れてしまった。あるいは故意に忘れようとしている。そのため散文として読まれて事故が発生するような、危険性があるものは書かなくなった。(略)自分と他人の詩の区別をつける必要もないから(略)「詩はフィクションであってはならない」。それは詩そのものを恐れることに等しい。/「詩のことばはフィクションである」という理念を放棄したとき、詩はあたりさわりのない抽象的な語彙と、一般的生活心理を並べるだけの世界へとすべりおちる。「詩のことばはすなわち散文のことばである」とみられることへの恐怖心を、とりのぞく。そこから新世紀ははじまるだろう。(『詩を恐れる時代』p252)
 荒川洋治のエッセー集『忘れられる過去(朝日文庫)』のこのことばを読んだとき、私の「韻文音痴」がどこからきているのかが分かった、少なくとも原因の一つが明かされた。(カッコ内の『』は同書中のタイトル
 詩のことばがフィクションとしてつかわれていること、動かされていることに熟れていない。だから窮屈なイメージに閉じ込められてしまう。散文と同じレベルでことばを見てしまう。私の言葉には「現実の垢」がこびりついている。
  
 書いたことが、そこにこめたものが読者のもとではまったくちがうものに変えられてうけとられた。結城信一の作品はバランスを欠いていたのだ。/だが人間がつくる文学とはこういうものだ。これくらい「ぶれる」ものだ。自分には見えないのだ。また見えてはならないのだ。ひとりでつくる文学には、作者にも見えないものがあり、それがさらにそこにひとつの「世界」をつくるのだ。それがどんな「世界」なのか。結城信一を読む人は、それを知りたかったのかもしれない。(『ひとりの文学』p56)
 作者にも見えない、まったくちがう世界が開ける、そんな「読み取り」ができなければ詩(も文学も)は遠いものでありつづける。
 
 「私自身」と「人間の姿」は同じものながら、微妙に消息を分かつものである。島村(利正)氏はその文学が「私自身」に傾くことを警戒し、ひろく「人間の姿」を知るための視覚を注意深く見定めようとした。「私」という人間が、他のもの、見知らぬもの、遠くのものと、どのようにかかわるのか。またそれをつづる文章が、どうしたら、人間のための文章になっていくのか。それを「私自身」の生活者の感性を台座にして、みきわめようとしたのだ。「私自身をふくめた人間の姿」という「観念」は、一九七〇年代という最後の「文学の時代」においても、そのあとも、多くの作者たちの作品から(あるいは発想から)失われたもののひとつである。(『「島村利正全集」を読む』p125)
 フィクションであるために「私自身」に傾くのを警戒して視覚を見定め「人間の姿」を追い求める。そのために生活者としての感性を研ぎ澄ます。それだけが詩人と読者の共通の地盤で、詩人の飛躍と読者の想像力が競い合う。
 
 長生きをして、老いて、外界と隔たりができて、文学を楽しむ余裕ができてきた。読書の幅が広がって科学や法律や歴史にも興味を抱くようになって、それが肥やしになって多様に読めるようになった。それがよく分かるのは再読で以前見過ごしていた些細なフレーズに感じたり、意味が分かったりする。「ことば」のひとつひとつに惹かれるようになった。ことばの重なりにあらたなイメージを描けるのがおもしろい。
 
 でもどうしてこんなにもして詩(も文学も)を読むのだろうか?
 こうした作品を知ることと、知らないことでは人生がまるきりちがったものになる。/それくらいの激しい力が文学にはある。読む人の現実を生活を一変させるのだ。文学は現実的なもの、強力な「実」の世界なのだ。文学を「虚」学と見るところに、大きなあやまりがある。科学、医学、経済学、法律学など、これまで実学と思われていたものが、実学として「あやしげな」ものになっていること、人間をくるわせるものになってきたことを思えば、文学の立場は見えてくるはずだ。(『文学は実学である』p153)

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