2017年7月10日月曜日

100歳から始まる人生

 ショッキングなニュースがあった。安楽死の適用範囲を拡大して「健康上に問題はなくても『生きるのに疲れた』などと訴える高齢者に安楽死を認めよう」というオランダ政府の提案がそれだ。7月5日の毎日新聞に掲載されていた。
 
 オランダは2002年に世界で始めて医師による安楽死の実施を認める法律が施行された。▽心身の「耐え難く絶望的な苦痛」がある▽苦痛緩和に他の手段がない▽患者本人の明確な意志がある、ことを条件に患者本人の要請に基づき複数の医師が基準に従って可否を判断して実施される。実施した医師は地域審査委員会(医師や法律家、倫理学者などで構成)に届出て事後検証が行われる。医学的な症状や疾患がない人は原則対象外になっている。
 2015年の実施件数は5516件で全死者数の3.9%に相当しその7割はがん患者だった。
 
 法施行後も「死を自分で決める『自己決定権』」を主張する団体などから要件の拡大を求める声が高まって今回の政府提案に繋がったようだ。
 政府提案の概要は、「熟慮の末に人生が完結した」と感じる高齢者は「厳格で慎重な条件の下、自身にとって尊厳のある方法で人生を終えられる」ように範囲を拡大した。
 これに反対している王立オランダ医師会のルネ・ヘマン会長は次のような意見を述べている。政府案に沿った条件の緩和により「人生の終盤を迎えた人々が肩身が狭く感じることを懸念する」とし、「高齢者を社会で守るための施策に投資するのが望ましい」と語り、現制度を維持すべきだとの考えを述べた。更に政府案を「その先に死しかないトンネルだ」と批判し、「すべきことは、年を重ねたときに選択肢を与えること」だとも述べている。「死だけが望みだと考えている患者」が医師から一時的に苦痛を和らげる措置を提案されると意志を撤回する例もあると説明している。
 
 「熟慮の末に人生が完結した」と感じた高齢者、という語句は衝撃的だ。そこまで『生』というものと真摯に向き合って生活している人が当たり前のようにオランダに存在していることがそもそも凄いと思う。勿論、心身の「耐え難く絶望的な苦痛」があることが条件として残るだろうが、それでも「もうこれで死んでも悔いがない」と自分の人生を振り返れる生き方のできることを尊敬せずにいられない。
 もともとオランダや北欧では流動食や胃ろうを介した摂食は用いられず、自分の口と歯で食事が取れなくなったら静かに死を迎えるという考え方が一般的な社会だから我国とは相当『死生観』が異なっている。それを差し引いても死に向き合う姿勢は真摯だ。しかも死は彼らにとって『非日常』でなく、明日死を迎えることも当たり前のこととして生きている。
 死を『忌むべきもの』とは決して思っていない。
 
 三年前から(無職になってから)毎朝仏さんのお世話をしている。仏壇を開けてお水を換え、お花を供えて仏壇を整えた後、ロウソクに線香を燻らして数珠を頂いて般若心経をお唱えする。我家は浄土宗なので位牌と過去帳があるからその日に亡くなった先祖があればその戒名の方をお祀りする。亡くなった父母の写真が仏壇のすぐ横に掲げてあるからいつも見上げている。毎月墓参するからお寺さんとの付き合いも密な方だ。こんな環境だから「死者」との関係が途絶えていない。死者が近くにいる、死が間近にある。
 痛みには極めて弱い方だし苦しいのもイヤだ。歯は全部自前で眼も老眼鏡をかければ長い読書にも耐えられるがそのうち徐々に衰えることは覚悟している、しかし命の流れに抗うのは避けたいと思っている。
 
 NHKのBS世界のドキュメンタリー「100歳から始まる人生」が面白い。先日の番組は世界最高齢のブロガー、スウェーデンのダグニーさん。100歳でパソコンを購入したことをきっかけに一躍有名ブロガーとなったダグニーさんの刺激に満ちた日々に密着していたとても101才とは思えない背筋をピンと伸ばしてサッサッと歩く姿が驚きで、90才を超えた最高齢のディスクジョッキーとダンスに興じる姿は軽快であった。
 
 

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