2017年7月17日月曜日

安倍首相は政治史を変えた

 安倍政権の人気が凋落している。種々の分析がなされているが「加計学園問題」が戦後日本政治史上極めて異常な出来事であるという認識が提起されないのに疑問を感じる。
 
 安倍人気の根本に育ちの良さからくる「清潔さ」があったのは間違いない。清潔さには二つあって、お金に汚くない―賄賂などを受け取らない潔癖さと、権力を恣にしない―政治手法には若干の強引さはあっても自分のためや身内、友人に利益誘導するようなことはしない、という二面である。これは戦後政治を長く担ってきた「自民党歴代首相」が伝統的に保ってきた良さでもある。唯一の例外は田中角栄であったがそれ以外にも自民党支持層に有利に働く制度や法制を定めることがなくはなかった――そうであったが、あからさまに「身内や友人」に『利益誘導』した総理大臣はなかった。だから韓国の朴槿恵大統領が友人の崔順実に巨大な「権力」を与え利権をほしいままにさせたことを「やっぱり韓国は…」と他人事として嗤ってすますことができたのだ。
 森友学園問題まではまだ許容範囲にあった―籠池氏は安倍さんにとっては他人だし、偶々彼の教育方針が安倍色を色濃く帯びていたから『ひいき』しただけと見ようと思えば考えられなくもなかったから。しかし加計学園の加計孝太郎氏は安倍首相の「腹心の友」である、これは違う!これを許したら韓国の朴槿恵大統領と同じレベルになってしまう。これだけは許せない!
 人気凋落の深層には戦後自民党の、いや歴代の総理大臣が保ってきた矜持を汚す――絶対に超えてはならない「一線を超える」ことへの『嫌悪感』がある。安倍首相が実際に加計学園の獣医学部認可に直接関与したかどうかは結局解明されないかも知れない。しかし結果として「腹心の友」に「利益誘導」があったことに変わりはない。それで嫌疑は十分だ。
 自民党の諸氏はもっと怒っていいのではないか。70年以上に亘って歴代の首相が堅守してきた歴史が汚されるのだから。
 なぜこのような『権力濫用』が許されたかについての真相解明が待たれるが、少なくとも「内閣人事局」に集中している上級官僚の人事権が影響しているのは間違いない。早急な制度の改善が望まれる(ひょっとしたらこの制度は我国には馴染まないのかも知れない)。
 
 さて問題の「こんな人たちに、私たちは負けるわけにいかない!」という安倍発言だが都知事選敗退から自民党人気凋落の最大要因とされている。選挙応援演説の対立陣営に発した言動とすれば当然視されていいはずなのにどうしてここまで強烈な反発を招くのであろうか。
 現在の第二次安倍政権は小泉政権後の第一次安倍政権、福田、麻生の自民党政権から鳩山、菅、野田の民主党政権そして現政権へという目まぐるしい政権交代(在位期間平均約一年)とその間の「決められない政治」への『反動』から「決める政治」を望んだ国民の願いを現実化した形であった。その結果衆議院291参議院121の議席を有し公明、維新などを加えれば衆参で改憲発議を可能にする圧倒的な政治勢力を国民は安倍政権に与えた。「安倍一強」は2006年から10年をかけた国民の『総意』の現れである。ところが安倍自民党の得票率は平成26年の衆議院総選挙では小選挙区で48%比例区で31.9%であったから投票率を勘案すれば国民の25%(比例区では16.8%)の民意を反映しているに過ぎないことになる。秋葉原で「安倍帰れ!」と叫んだ人たちに向って「こんな人たち!」と『敵対視』した安倍総理だが「敵対者は最大で国民の8割」いることを彼は忘れていた。というよりも、安倍首相の政治手法は国民の「2割」の負託であるということをまったく考慮に入れずにひたすら『自説』を主張し、実現にひた走ってきた。
 「こんな人たち」発言にひそむ『分断思想』の危険性の最たるものは弱者切捨てで、声を上げて安倍さんに賛同する人たち以外が見捨てられることにある。
 今さら安倍さんに「民主主義とは…」とご託を並べる気もないが、少数者の意見をいかに汲み取るかが円滑に民主主義を運営する根幹であることは言うまでもない。「多数決の論理」を振りかざして「少数者の不利」を放置しておけば少数者の不満が累積して「社会不安」となり「政権の崩壊」につながることは政治学の初歩である。こんなことは安倍さんも先刻ご承知だろうに。
 なぜ彼はこんな誤りを犯すに至ったのであろうか。
 
 心を尽せば飼い犬は飼い主の言葉を理解するし意思が通じるという。負託を受けていない五割以上の国民を敵対視する首相とトランプ米大統領。確かに世界は変わった。

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