2017年8月7日月曜日

夕立

 過日馴染みの呑み屋で呑んでいるとき夕立があった。それもいわゆる「バケツを引っくり返した」ような激しい雨。宵のうちから呑んでいる客は私ひとりだった。
 
 「すごい雨ですね。でも最近の若い人はこんな雨でも平気で濡れて行かはりますね。ちょっとの間、雨宿りしたらいいのに」古い川柳に『本降りになって出て行く雨宿り』というのがあるよ。若いもんは辛抱が足らへんのやな。「へぇ…」夕立にあってよその家の庇を借りて雨宿りする。でも五分も待てずに『エエイ、面倒くせい!(江戸川柳だから)』と雨の中へ飛び出していく。すると急に雨足が激しく本降りなる。もう少し、二三分もすれば夕立は過ぎて行くのに。「ほんまですね。せやけどそれが若い人の元気ですは」そうやなぁ。
 「俳句か川柳か知らんけど『朝顔につるべ取られて貰い水』というのがありますね」千代女か。「夏らしい句ですね」そうやなぁ。しかし「朝顔」いうのは秋の季語なんやで。「へぇ、なんでですのん」旧暦は1月~3月が春で4月~6月が夏、そやから朝顔の咲く7月から9月は秋ちゅうことになるんやろなぁ。
 「さっき『庇』云わはったけど『庇を貸して母屋を取られる』いうの聞いたこと、ありますは」軒先を貸した積りがいつの間にか家全部を取られてしまう、という意味やな。恩を仇で返される、とも云うらしいからママも気いつけななぁ。
 加賀千代女の句に『起きて見つ寝て見つ蚊帳の広さかな』というのもあるよ。でもこれは千代女のではないらしいけどね。「わたし、蚊帳って知りませんは」ほんまかいな!「ほんまですよ。わたし、幾つやと思たはりますのん!」ゴメンゴメン。「どんな意味です」若い後家さんの句やろなぁ。亭主を亡くしてまだ一年も経っていない、多分はじめての夏やろ。蚊帳を吊って改めて気がついたんやなぁ、亭主の死んだことを。独り身にとって蚊帳という閉じられた空間のなんと空虚な広さなのかと。この心情はママも分かるやろ。「わたしずっとひとりやから分からしません」そうか、ほんならそうしとこ。
 独り身のママにはキツイかも知れんけどこんなんもあるよ。「どんなんです」蚊帳つながりで『女房のイヤよは脚を縄にない(綯い)』。「イヤらしそう…」蒸し暑い夏の夜。もようした亭主が、なぁと女房を誘う。暑くてとてもそんな気になれない女房は背を向ける。亭主はしつこく、エエやないかとちょっかいをつづける。『こっち向きいなぁ』とあっち向いている女房を無理矢理こっちに向けると女房は両脚を絡ませ合わせて頑強に拒絶する。『チッ』と舌打ちして亭主は蚊帳から出て行く。『ちょっと、蚊帳のすそキチンと閉めてょ!』『知るかょ!』不貞腐れて寝間を後にする亭主。こんなとこやろな。「やっぱりエッチなやつや」。
 
 例年以上に暑さのつのる今日此の頃。暑苦しい話は遠慮して慣れない戯文を書いてみました。
 暑さ厳しい折から、どなた様もご自愛下さい。

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