2017年8月28日月曜日

お盆に考えたこと

 NTT職業別電話帳の職種の最も多い都道府県が京都だということを聞いたことがある。仏具や御香など他の地方にない職種が今も残っていることが原因らしい。そういえば伝統産業は種々の分業で支えられているから職種が多くなるのは当然で、例えば一本の帯ができるまでには数十の工程がありそれがそれぞれ独立した職種を形成している。伝統産業と近代産業が併存している京都が多くの職種の人たちの生きている街であることは至極当然のことになる。
 
 仏壇について最近こんな経験をした。友人Y氏のうちを久し振りにお邪魔すると小さな素朴な仏壇が設えてあった。最愛の奥さんを亡くして半年が過ぎ、初盆を迎えた彼は思いのほか元気な様子に安心したが奥さんとふたり暮らしだったこの家にはこれまで仏壇というものに縁がなかったことに改めて気づかされた。子どもがなくちょっとやんちゃな奥さんを彼が温かく包み込んでいるようでほほ笑ましいご夫婦だったが、七十才を超えた普通のいえの主婦であったのに通夜と告別式に三百人以上の参列者があったのは地元の名家の出であったこともあるがそれ以上に地域活動やボランティア、趣味の集いなど幅広い活動をされていた賜だろう。
 仏壇を新たに設えるということに軽い驚きを感じたのはどうしてだろう。今から五十年前、二世代三世代が同居するのは当たり前だったし先祖祀りは当然の仕来りになっていたから仏壇は厳然と家の一角を占めていた。神棚のあるいえも多かった。それが急速な核家族化と都市化で先祖代々の家から離れて暮らすのが主流になって長男が就職の関係で実家を離れて新しく家族と生活を営むようになれば仏壇や仏間を最初から備えている家を築くことはほとんどない。すると、子どもが独立して夫婦ふたり住まいになってどちらかが先に逝ったとき、はじめて仏壇の必要性が生じることになる。先祖の位牌があるわけでもないから小じんまりとしたもので十分だからY氏の家の様子が標準になる。五十年前と同じ感覚でいる方がズレているのだ。
 お墓についても事情は随分変わってきた。長男のお嫁さんが亡くなった夫が両親と合祀されるのを拒んで集団墓地での永代供養を希望する例があるらしい。お墓のお守りがしんどいという。核家族化が当たり前になった昨今、これも致し方ないと思うべきなのだろう。
 
 そもそも一般庶民が旦那寺に埋葬されるようになったのはそんなに古いことではない。「野辺送り」ということばがあるように村の一角やまち外れの共同墓地のようなところに葬られるのが普通だった。徳川時代、キリシタン禁制が国是になって各人の宗門改めが厳格に行われるようになり旦那寺が決められ、埋葬と彼岸や盆暮れごとの墓参りが義務づけられるようになる。墓参が厳しく監視されたのは人頭改めの意味合いが強かった。宗教が民生統治の手段として権力に利用されたことによって墓が一般化したわけである。明治維新になって廃仏毀釈が行われ寺が権力の庇護を得られなくなると同時に寺の庶民管轄の力も弱まる。そして戦後信教の自由が基本的人権として明確に付与されると寺と家の結びつきは以前とは比較にならないほど緩いものになった。現在の『墓参』は宗教行為というよりも一種の家族行事のようなものに変化しているといっても間違いではないだろう。
 こうした歴史からも明らかなように寺と人の関係、先祖祀りの意味合いが今大きく変わろうとしている。 
 
 そういう意味では病院(医者)と人との関係も随分変わってきた。病気になればお医者さんに診てもらう、臨終のときにお医者さんに看取ってもらうのは当たり前と思っていたがどうもそうではないらしい。なぜなら「病院(医者)は病気を治すところ」だからだ。
 たとえば癌になって、最終ステージに到って治療の施しようがなくなり、余命何日、何ヶ月と宣告されると病院には居られなくなる。ホスピス(緩和治療や終末期医療を行う施設)への移転を病院は求める。そうなると施設か自宅かを選らばなくてはならなくなる。これまで死に場所は「病院か自宅か」と考えていたが医療の進歩と長寿化は死をどこで迎えるかについても新たな考え方をしなければならない時代になっている。
 
 Y氏宅での数時間の語らいは、生と死、宗教など高齢期の人間が向き合わなければならない問題を具体的に気づかせてくれる貴重な時間だった。

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