2017年10月16日月曜日

教育無償化の嘘

 今回の衆議院議員総選挙の争点の一つに「教育の無償化」があった。そして無償化を公約に掲げたいずれの党もそれが「党が独自に、恩恵として」国民に付与するものであるかのように訴えていた。しかし、これは『大きな嘘』である。教育の無償化は国際人権規約に定められた「社会権」のひとつであり、我国はこの規約を批准しており「国民に」「国際的に」速やかに実現すべき責務を負っているにもかかわらず、今日まで実現されていないのは「政治の怠慢」であり、それを赦しているのは「国民の無知」に他ならない。
 
 国際人権規約の「社会権規約――国際人権規約A」は1966年国連総会において採択され、1976年発効した。これによれば「第13条1 この規約の締約国は教育についてのすべての者の権利を認める」とあって「(a)初等教育は、義務的なものとし、すべての者に対して無償のものとすること」としている。さらに「(b)項では中等教育、(c)項では高等教育について『すべての適当な方法により、特に、無償教育の、漸進的導入により』すべての者に対して機会が与えられることを締約国が認めなければならない」と規定する。
 要するに、教育の権利はすべての者に平等に保障された権利であり、小学校は義務教育、中、高等学校と大学はすべての者に平等な機会が与えられ、漸進的に無償教育を実現するように、義務づけられているのである。
 我国はこの社会権規約を1979 年6月に批准したが、中等教育・高等教育の適用に当たり「無償教育の漸進的導入」という部分に拘束されない権利を留保した。すなわち、高校、大学の無償化は『直ちに実施することができないので暫く猶予が欲しい』としたのである。それから30年以上経過した2012年9月、日本政府は同留保を撤回した。ということは、「無償化を現実問題として実現に具体的に取り組む」と国際的に約束したことになる。
 
 こうした事情を知れば、憲法に定める「教育を受ける権利および義務教育に関する規定」は極めて『あいまい』かつ無償化の範囲が『限定』されているように思われる。即ち「第二十六条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」の条文からは、『能力に応じて』『義務教育は、これを無償とする』と権利が『限定』されているから国際人権規約との『整合性』を考えるとき、戦後70年の間に「人権」自体が大幅に「権利拡大」を果たしていることが分かる。そしてこうした国際的な潮流に我国の政治家が追いついていないのは誠に残念なことである。
 しかし中学校に関して我国は早くから「義務教育」としていたし、高校教育について2010 年3月に「高校無償化法」が成立し同年4月1日に施行された。同法は、公立高校について、原則として授業料の不徴収を地方公共団体に義務付けるとともに、私立高校等については、原則、公立高校の授業料相当額を就学支援金として生徒に支給することとしている(低所得世帯には加算支給あり)。また大学教育に関しても、2011 年及び2012 年に大学の授業料減免比率の引上げや奨学金充実等の経済的負担軽減策が採られ、関連予算が拡充されている
 
 以上から窺えることは、私たち国民は「義務教育は小中学校までであり、高校と大学は個人の経済的余裕と子どもの学力に応じて応分の高校、大学に、授業料を個人負担して子どもを通わせるもの」という既成概念を抱いているが、これは間違いなのだということをしっかり認識する必要がある。「高校無償化」を「お上の恩恵」と有り難がっていたが、ここまで高学歴化が進み、進学率が高まっている現在、当然の政策で実施が遅すぎたのだ。奨学金の多くが「貸与制」で、社会人になってから利用者の多くがその返済で「生活破綻」しているのを「自己責任」と突き離していたことがどんなに「無知」で「思い遣り」のない誤りであったかを反省すべきなのである。
 
 一旦『留保』を撤回して、中等、高等教育の無償化を実現すると約束したからには、国際的に、また国民に対して『誠実』にその実現に向って努力すべきである。そのための方策として次のようなものが考えられている。
(1)世界的に見ても高額であるとされている大学の学費を漸進的に低額化すること(2)貸与制しかない奨学金制度の抜本的な改革(給付制の創設など)(3)授業料減免措置を国公私立の区別なく充実すること(4)私学助成(50%助成)の完全実施(5)高等教育に対する公財政支出(対GDP比0.6%)をOECD諸国の平均(1.2%)とする、などである。
 
 グローバル社会が進展、定着した今、そして「AIと人工知能」の実用化がすぐそこまで来ている現在、教育は国家運営の基礎であり中心的な施策とならねばならない。戦後ここまで進めてきた「工業化社会」に対応した教育体制は時代遅れになっており、人工知能に「使われない」創造性と独創性に富んだ人材を育成するためには教育システムを根本的に改革する必要があり、そのためには「高等教育(大学・大学院)の充実」が最重要課題になってくる。
 
 国民はもっと「教育を受ける権利」を堂々と主張しよう。「お上の恩恵」ではないのだ、ということを肝に銘じて。それと同時に若者に「多様な選択肢」を提供することも重要な「おとなの責任」だということを、政治家だけでなく、われわれも自覚する必要がある。
本稿は外交防衛委員会調査室中内康夫氏「社会権規約の中等・高等教育無償化に関わる留保撤回」を参考にしています
 
 

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