2018年2月5日月曜日

ビットコインは土地である

 コインチェックの資金流出問題を受けて「仮想通貨」批判が喧しいが本質を突いた論議が皆無であることに驚きを覚える。専門家の多くが早くから警鐘を鳴らしていただけに、今日の騒動は誤った報道を繰り返したマスコミの責任といっても過言ではない。
 通貨を考える場合、先ず最初に点検すべきはそれが「本位通貨」か「管理通貨」かということである。本位通貨とは「金兌換通貨」のように「金」で流通保障し、銀行に当該通貨を持っていけばその価値に相当する金と交換してもらえる通貨のことである。たとえば一万円が銀行で一グラムの金(金貨)と交換してもらえることが保障されることを意味する。従って通貨の発行量は「金」の総量に規制され、上限がある。それに対して「管理通貨」は「不換通貨」とも呼ばれ、「金」という「実物」に代わって流通保障を通貨当局(日銀や政府)の『信用』をもって行う通貨である。通貨の発行量を通貨当局が調節することで「通貨の価値」を変動させて物価の安定を図りそれによって経済成長雇用の改善、国際収支の安定などを実現しようとする制度である。
 タイトルを敢えて「ビットコインは土地である」という表現をとったのは仮想通貨が「本位通貨」であることをはっきりと解かってほしかったからで、「土地」という言葉を使うことで今起こっている「バブル」の原因を分かり易く伝えるためであった。
 
 「金融論」という学問は非常に難しいもので経済学者でも苦手にする人が多い。おまけに最近はノーベル賞級の「高等数学」を使った理論が幅をきかしているから尚更その傾向が強くなっている。仮想通貨も最新の金融理論を応用したシステムなのでその詳細をすべて理解して説明できる人――学者も少ないであろう。その超難解システムを生半可な理解で解説したり、その解説を聞いて理解したつもりで「手を出す」から「暴落」の被害にあう、それが現状である。
 はっきりしているのは「仮想通貨」は「本位通貨」であるということで、したがって流通量が限られているから人気が加熱して市場参加者(購入者)が増加して競争が激化すれば価格が「乱高下」することは至極当然である。そのことを解かりやすくするために「土地」に例えたのだ。では信用保障はどのようにおこなわれているかというと、「ブロックチェーン」というネット上のテクノロジーがそれなのだが、正直言って私程度では説明が困難な理論である。だから説明しないが「仮想通貨」が「本位通貨」ということはまちがいないから「土地バブル」があったように「仮想通貨」でバブルが起こるであろうことははじめから予想できた。マスコミを怒りをもって批判するのはそこにある。(知らないことを知ったかぶりしないこと、知らないことのどこが解からないのかを知ることはむつかしい)。
 
 リーマン・ショックがあったのは2008年だったが、このときは「サブ・プライムローン」が原因といわれた。これもアメリカのノーベル賞受賞の経済学者らの難解な金融理論にもとづいて発明された「金融商品」だった。それをわけもわからず世界中の銀行が売買を繰り返してバブルが破裂してしまった。1929年の世界恐慌は土地と株のバブルであったし1970年代後半のアジア経済危機も通貨危機だったように二十世紀以降の経済危機はすべて『アメリカ発』の「金融危機」であるといっていい。
 そこで最近疑問に思っていることがある。
 一千億円の土地と工場を持ち大がかりな機械・装置を備えた企業がある。一方でグーグルや楽天のように資本量は少なくてネット上の仕組みやソフトをつくることを仕事としている企業がある。このようにまったく成り立ちの異なる企業が同じ「株式市場」で取引されていることに問題はないのだろうか。しかも現状では大資本を有する製造企業よりもネット関連企業のほう「株価」が高いから「自社株評価額」はネット企業のほうが断然多いというケースが少なくない。すると、株式交換によってネット企業に製造業の会社が買収されるということも可能になってくる。一方は何千億という資本を何年もかけて蓄積し技術を築き上げてきた「実物企業」であり、片方は起業から数年で上場したソフト会社が同じ「株式市場」という土俵で比較・評価される。これは不合理ではないのか?
 物を知らないアホが詰まらん理屈をこねている、そう切り捨てられるのがオチかもしれない。しかし、営々と何十年の歴史を守ってきた製造業の経営者は「憤慨」しているのではないか。
 こんな理不尽?が「金融市場」というものの『介在』によって至極当然のこととして通用しているのが『現在』なのだ。
 
 それはさておき、現在の通貨制度はこれまで経験した数々の経済危機を教訓として、可能な限り「投機家」による暴力的な「市場介入」を排除し、可能な限り一般市民に不利益をもたらさない制度として「管理通貨制度」を樹立したのである。「金」のしばりから通貨を解放して、通貨当局が通貨供給量を調節することで「任意の望ましい水準」に通貨価値を設定できるような制度をつくったのである。決して完全な制度ではないけれど、通貨量に「上限」のある「本位通貨」よりはマシな制度である。グローバル化が進行して「世界共通通貨」を創造しようという気運もあるが、それが「仮想通貨(ビットコイン)」でないことは確かである。
 
 自分が理解できないものに「お金」を賭ける愚を人間は何度も繰り返してきた。今度もまた…。
 

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