2018年4月16日月曜日

 地下鉄道

 珍しく小説を続けて読んだ。一冊は小川洋子の『口笛の上手な白雪姫』でもう一冊はコルソン・ホワイトヘッドの『地下鉄道』。小川洋子は『博士の愛した数式』でファンになってから何冊か読んでいるが今度のは短編集だ。彼女の魅力は『博士の…』のように誰も思いつかなかった新鮮なものの見方と女性らしい繊細な表現で独特の「小川洋子ワールド」をもっているところにある。勿論著名な作家は誰でも「…ワールド」をもっているもので、逆にいえば「…ワールド」のない作家はダメ作家ということだ。短編には男性作家によくみられる随筆風で哲学や人生論を語るものと、アイディアが長編にするほどでないけれど捨てておくには勿体ない面白いものを短くまとめたもののふたつがあって、今回の小川さんのは後者の部類だった。タイトルにもなっている『口笛の上手な白雪姫』は、あるまちの公衆浴場にいつから住みついたのか誰も(若い経営者すらも)はっきりとは思いだせない小母さんが主人公で、赤ちゃん連れのお母さんから赤ちゃんを預かってあげて安心して自分のからだを洗えるように手助けしてあげる彼女のサービス(無料の)が評判になってこの公衆浴場が繁盛する、お母さんの利用者なら誰でもが欲しかったアイディアが短篇に仕立てられている。彼女は口笛がうまいのだがそれは赤ちゃんに聞かせて安心させるためのもので騒々しい女湯の脱衣場ではほとんどひとの耳にとどかないほど微かな音しか響かせない。なぜ「白雪姫」なのかは小説を読んだお楽しみとしてこの短編集には数々の彼女らしい素敵な表現がちりばめられている。そのうちのひとつ。「私はハンカチを裏返した。りこさんの刺繍が、表と等しく裏も美しいことを私はよく知っていた。ふと、爪の先が糸に引っ掛かった。ほんの微かな一瞬だった。はっと思う間もなく、するすると糸が解けていった。あらかじめ定められた決まりに従うように、りこさんの手つきをなぞるように、アルファベットはごく自然に一本の糸に戻っていった。気がつくと、ついさっきまで目の前にあったはずの一文字がなくなっていた。何が起ったのか確かめずにはいられない気持ちで、残りの一文字の糸に爪を掛けた。ただ同じことがもう一度起ったに過ぎなかった。小さな針の穴の連なりだけを残し、私の名前は宙に溶けて消えてしまった」(『亡き王女のための刺繍』より)。この短編集はゆっくり楽しみながら読もうと思っていたのだがこんな素敵な文章が各篇にちりばめられてありテーマのアイディアが秀逸なせいもあって一気に読まされてしまった。読み終わってスジを思い出そうとしても佳い短編の常でほとんど思い出せない。旨いエンターテイメント小説とはそんなものだ。(上の引用はこれを書くために再読して拾い上げたものです
 
 『地下鉄道』はアメリカ南北戦争前の「奴隷」へのすさまじい虐待と「自由」をもとめて脱走を企てる奴隷を救うために造られた「地下鉄道」の物語だ。鉄道をだれがつくったのかは定かでない、作家のフィクションなのだが鉄道が「唯一の救い」となっていく過程がリアルに迫ってくる。
 読みながら気に入った言葉や文章のあるページに付箋を貼り付けて読後採集するのが私の習慣なのだがこの小説では119頁にあった次の文章が強烈でこれを上回る文章に出会うことはなかった。
 老人はもはや失われたアフリカの部族の言葉と、奴隷言葉をごちゃ混ぜに使った。昔、母親に教わったことがある。半分ずつの混成言語が大規模農園の声なんだと。遥かなアフリカの故郷の村から拉致されてきた奴隷たちは、複合的な言葉を使う。大洋を渡る以前の言葉は、時とともに身体から叩き出されてしまう。主人にわかりやすいように、身元を忘れさせるために、反乱を起こさせないために。残るのはただ、自分が誰だったかまだ憶えている者の、身体の奥深くに鍵を掛けて仕舞われた言葉だけ。「そのひとたちは、このうえなく貴重な黄金のようにそれを隠すの」メイベルはそう言った。
 なんと惨(むご)たらしい表現だろうか。哀しすぎる『アメリカの歴史』。文中に描かれているようにアメリカはインディアンから「毟り取った土地」である。そして「広大」な土地とアフリカから「拉致」してきた『奴隷』という「無尽蔵」な労働力を使った「棉花」の栽培で「厖大な資産の蓄積」を果たし西洋先進国に追いつくための「国力」を備蓄することができた。だがそれを行ったアメリカ移民=「白人」は腐敗した旧大陸(ヨーロッパ)の先進諸国を『否定』し新しい土地で『新世界』を築くために『選ばれた』『清教徒』たちだったのだ。
 何たる『矛盾』!
 その後アメリカは「奴隷解放」を行い大量の移民と資産を受け入れ国力を充実し、二度の世界大戦を『利用』して『覇権国』に成り上がった。1964年、「ケネデイ暗殺」という代償を払って公民権法制定長年アメリカで続いてきた法の上での人種差別は終わりを告げることになる。
 
 しかしアメリカの250年近い歴史の中で「全国民の自由と平等」が保障されてからまだ60年にもならない。「差別してきた」側の国民の意識のなかで『差別』が「消滅」するには時間が短かすぎる。法の精神を実現するためには『学習』と『寛容』が必要だ。一方60年の間に「差別されてきた人たち」は『自由』を生かした。それによって富を占有してきた「白人」を「保護」する社会経済構造に「地殻変動」が起り、白人というだけで「保護」される社会ではなくなったのだ。
 それなのにトランプは35%の「支持層」のために歴史の流れに逆らって「アメリカの変化」を止めようとしている、アメリカ国民の意識の底に「執拗」に息づいている『差別の意識』を掻き立てて。
 この時期に『地下鉄道』の書かれた意義は大きい。
 
 アメリカばかりを批判してもおられない。我国で最近「神聖な土俵に『穢れ』のある女性が上がることは伝統として許されない」という言説が「表立って」マスコミで流布している現状は『人間存在』に対する根本的な理解が至っていないことを明らさまにしている。神道では古から『穢れ』思想があって女性は出産・月経時の出血で「穢れ」の存在とされてきた、などと知ったかぶりをする輩がいるが正しい知識ではない、神道や「穢れ」の歴史を深く知るべきである。そして21世紀のこの時代に、女性を「穢れの存在」と平気な顔をして発言することに「羞恥」する感覚をもつべきだ、知識としても倫理としても。
 
 「みんながいいということ、には眉に唾をつけるというのが私の主義です」、そういった芸人・小沢昭一さんの言葉が今の私の唯一の「哲学」である。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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