2018年4月23日月曜日

蕪村をよんで

 齢がいくとどういうものか俳句や和歌、詩――現代詩や西洋詩に興味が惹かれるようになる。根気がなくなって小説など長文のものが億劫になるせいもあるが、ある種の「赤ちゃん返り」なのかもしれない。幼いころはじめて書くものは詩のような断片的なものになってしまう。それは語彙が不足していることと書く技術が未熟だからそうなるのであって、しかしそれだけに貧弱なことばに処理しきれない「意味」を盛り込んでなんとか「思い」を伝えようとする。こうした作業は字数を限られた「短詩形」の制約と通ずるところがあると言えるかもしれない。
 そんなこともあって最近、新聞に載る幼い子たちの俳句(?)や書がおもしろい。坪内稔典さんが京都新聞で添削している「子ども俳句」に時々面白いのがある。小学一年生か二年生のもので知恵がつく高学年の作はつまらない。書もそうで幼稚園から小学低学年の紙からはみ出そうな奔放なものがいい。俳句は毎日放送が毎週木曜日に放送している「プレパト俳句」も面白い。芸人やタレントが発句の出来栄えを競う番組で今のところ梅沢富美男、藤本敏文(漫才のHUZIWARA)、東国原英夫が名人クラスでトップ争いしているが浜田雅功(ダウンタウン)の軽妙な司会と講師の夏井いつきの添削が見事で俳句のつくり方鑑賞の仕方を面白おかしく手ほどきしてくれるから私も随分教えられた。
 
 最近読んだ『蕪村俳句集―岩波文庫ワイド版』はひとりの作家の俳句を系統立てて鑑賞したはじめての経験だったので新鮮だった。とくに「春風馬堤曲」は「澱河歌」「北寿老仙をいたむ」とともに『俳詩』とよばれるジャンルのもので、俳句、漢詩と漢詩和訳風の文体を混交させた自在な形式の清新な詩情をただよわせた他に比をみない優れた文学作品で蕪村の先進性を認識させられた。勿論俳句にも好きな句が数々あったのでそれらをつなぎ合わせて『わたしの蕪村』をつくってみた。
 
 うたゝ寝のさむれば春の日くれたり/春の夕(くれ)たえなむとする香をつぐ/花ちりて木間(このま)の寺と成(なり)にけり…この三句が200番から202番に並べてあってつづけて読んでいると暮春の山里のうつり行きが鮮やかに感得された。寒かった冬が終わって春が来てそのうららかな暖気に眠気を誘われうつらうつらしてフッと目が覚めればもう暮れ方になっている。先祖のおひとりの祥月命日だったので仏壇に線香をあげておいたのがまさに燃えつきかけている。あたらしく線香に火をつけて縁側に出る。道の向こうのお寺は門をくぐって本堂へのみちの両側が見事な桜のアーチになって本堂を覆いかぶせていたのだがその桜も散り果ててなん日ぶりかで木の間から本堂が姿を現している。
 この句の少し前に「一片花飛減却春」という前書があって「さくら狩美人の腹や減却す」がおいてあり「一片ノ花飛ンデ春ヲ減却ス…杜甫『杜律集解』上、曲江二首」と脚注がある。そこで杜甫の漢詩集をひもといてみる。曲江二首 其一「一片の花飛びて春を減却す/風は万点を翻して正に人を愁えしむ」云々。ひらひらと花が散っても春の色を減らすのに、風が万片を吹き散らして人の心を愁えさす。と解説してある。つづいて其二はとみるとその二聯に「人生七十古来稀…人生七十古来稀なり」と訓み下してあって古稀の出典となったものという解説が添えられている。そうか、杜甫の「曲江」という漢詩が「七十歳/古稀」の謂れになっているのだ。少し賢くなったと得心する。(NHKライブラリー『漢詩をよむ――杜甫一〇〇選』石川忠久著より)
 前書のうちに「もろこしの詩客は千金の宵ををしみ、我朝の歌人はむらさきの曙を賞す」いうのがあった。その脚注を読んで合点した。「千金の宵――蘇東坡『春宵一刻値千金』(『詩集』春夜)/むらさきの曙――清少納言『春は曙、…紫だちたる雲の細くたなびきたる』(『枕草子』一)。中国の春を象徴的に詠ったものとしては蘇東坡の漢詩が、我国では清少納言の枕草子にある「春は曙…」が代表的なことばとして当時人口に膾炙していたのだろう。
 同じく前書に「芭蕉庵会」というのがあって「芭蕉庵――京都一乗寺村の金福寺境内に蕪村らによって建てられた草庵」と注書きがある。ネットで調べてみると今も一乗寺才形町20にあって、こんぷくじと読むらしい。864年(貞観6)円仁(慈覚大師)の遺志を継ぎ安恵僧都が創建したもので、芭蕉が鉄舟(当時の住職)と親交を深めたという芭蕉庵は荒廃したがのち与謝蕪村が再興したと記してあった。今度一乗寺方面へ行った節には訪れてみよう。
 
 春の句で最も好きなのはこの句だ。「筏士(いかだし)の蓑やあらしの花衣」。保津峡は昔木材を筏に組んで嵐山まで川流れに送り込んでいた、その筏にのって川下りする筏士の蓑に川沿いの満開の桜が散りおちて降りかかる。その様がまるで花ごろもを着たように見えたのだろう。「足よはのわたりて濁るはるの水」足よわというのは女子供のことをいうがここは文字通り足の弱った年寄りの手をとって若い嫁が狭い川幅の川を渡っていると見よう。飛び石伝いによたよたと進むうちについフラッと足を滑らして川床の砂をまきあげてしまう。冷たく刺す様な冬の水でなく水温む春の川水の澄きとおった美しさが鮮やかにうかびあがる。「花に暮れて我家遠き野道かな」。花見に遠出したのだろう。うっかりして時間を忘れて楽しんだ帰り道、家につくにはまだまだかかりそうだが別に急ぐわけでもない、のんびりと野道を歩いている様がうらやましい。「ゆく春や逡巡として遅ざくら」。行こう行こうと思っていたのに仕事の忙しさにかまけてつい行きそびれてしまって今日は遅咲きの桜がぽつりぽつりと残っているばかり。来年はきっと満開の桜を見たいものだ。
 「けふのみの春をあるひて仕舞けり」。あわただしく春も過ぎようとしている。春をさがして歩いてみたがもう花のかげはない。青々した若葉は初夏のおとずれをつげている。季節の移ろいと春の名残り。
 
 こんなにゆっくりと本を読めるのも後期高齢者の贅沢。今回は巻之上、春之部を楽しんでみました。
 

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