2018年4月30日月曜日

ひとは少し不幸な方がいい

 衣笠祥雄さんが亡くなった。広島第一期黄金時代の名選手で連続出場の世界記録保持者でもあった(衣笠さんは2215試合で今でも日本記録だが世界では大リーグ・ボルチモア・オルオールズのカル・リプケン選手の2632試合がある)。「鉄人」という称号をもった選手は今では阪神の金本さんが有名だが初代は衣笠さんで、金本さんはフルイニング出場のナンバーワン(1492試合)として今後も「元広島」のふたりが「鉄人」として並び称されていくことだろう。
 
 彼の栄光に至る数々のエピソードはテレビや新聞で伝えられているから重複を避けるが、身体に余り恵まれていない彼がなぜ名プレーヤーになったかについて少々書いてみたい。
 新聞などでは「平安の負けじ魂」と「広島の猛練習」が今日を築いたと分析しているがそれだけではなかっただろう。確かに当時の平安高校は中村という名監督が率いてハードな練習は有名だったし、広島カープ球団の猛練習は球界の伝説にもなるほどのもので入団当時の関根コーチの力も与ってトップに登りつめたことは疑うべくもない。しかしもうひとつ、『差別』にたいする『反撥心』があったのではないかと「京都人」として思う。そしてそれは戦後の我国を語るときの重要なキーワードでもあった。
 京都というまちは非常に「差別意識」の強い町だった。あえて「過去形」で書くが、そして慙愧の念をこめて私自身もそうであったと白状する。まず激しい「部落差別」があった。奈良もそうだが神社仏閣の多い地方は歴史的に「被差別部落」が存在したから自ずと差別が日常化していた。在日を含めた「朝鮮人」差別も少なくなかった。早くから朝鮮の人を受け入れていたのは朝鮮半島との交流が深かった歴史も影響していたのだろうか。烏丸紫明に「部落解放同盟」のビルがあるのはそうした歴史的な背景を物語る証拠である。「非健常者」差別もあった。今では「禁句」になっている「片輪」ということばが普通に流通して差別が行われていた。
 衣笠さんは黒人(アフリカ系アメリカ人)との「混血」だった。チリチリの頭髪と肌色のちがいが明白だったのだから「京都」で差別を受けないはずがない。伝聞だが、漢字もろくに書けない成績劣等生で手におえない悪ガキだったとしても当然と思わすほどの当時の京都の事情をはっきり記憶している。そんな彼が「野球」と出会って、優れた指導者とめぐり合い今日を成したことは幸せであった。しかし彼の中に差別に対する反撥心があったのは確かだろうし、その強烈さが彼を不屈の『鉄人』に育て上げたのもまちがいない。後年マスコミにみる穏やかで慈味深い容貌に接するとき、そして味わい深い言説を耳にするとき、一芸に秀でたひとの凄さを思い知るとともに、その胸底に秘められた青少年時代の『屈辱』を思わずに居られないのは、「京都人」としての猛烈な『慙愧の念』の然らしむところである。
 
 しかし私たちは忘れているが、いや知らないフリをしているのかも知れないが、野球界の伝説的な名選手にはそうした差別を受け迫害された人は少なくない(野球界に限らないが)。数え上げれば現役選手にもその存在は認められるのだがここでは「王貞治」さんと「張本勲」さんを上げておこう。王さんは台湾人の両親のもとで生まれ育った幼年期に公にされていない苦労があったと思うが我々が知っているのは国籍問題で国体に出場できなかったことである。全国優勝を果した直後の国体に優勝投手が出場を拒絶された「恥」と「屈辱」は本人の彼だけでなくチームメートの青少年たちの心も深く傷つけた違いない。一方張本さんは朝鮮生まれで終戦前に内地(日本)に移り広島で被爆した。極貧の中で差別にさらされながら野球人に成って今日があるのだが、いつだったか川上哲治さんが張本さんの被爆の傷跡(彼は決して他人の目にそれを曝さなかったが尊敬する川上さんに一度だけ見せた)を目にして「おまえ、ようこんなんで野球できたな」と驚愕したというからそれは惨いものだったのだろう。
 今やソフトバンクチームの会長として好々爺然としている王さんや毎週日曜日毎日放送のサンデーモーニングで「喝!」と楽しげに振舞っているおふたりからは青少年期の『屈辱』はうかがうべくもないが、それはそれは並大抵のものではなかったに違いない。
 
 閑却。年も年だから友人知人の喪中葉書は年々増加の一途だが、ここ数年本人自身の「鬼籍入り」を伝えるものが多くなってきた。それらを手にしながら友人たちの来し方を思い遣るのだが最近気づいたことがある。それは「戦争未亡人」の母親に育てられた「ひとり息子」には孝行息子が多いことで、何をもって孝行というかといえば、若くして「持ち家」を実現していることである。三十代前半で入手しているし当然ながら所帯を持ったのも早かった。各人とも成績優秀で「いい会社」に入っている。苦労して大学まで入れてくれた母親に早く楽をさせてやりたい、そんな気持ちが強かったにちがいない。親の苦労に子が報おうとして懸命に努力して、その親も恙なくおくり孫に囲まれて悠々自適。そんな彼らが誇らしい。
 
 今の時代は我々の若いころとは比較にならないくらい「豊か」になっている、と一般にいわれている。本当にそうなのだろうか。我々はゼロからスタートして徐々に生活が整い住まいを得て今日があるが今の若い人たちは生まれたときから全部が有る状態で人生をはじめている。それを「豊か」といっていえないこともないが彼らにとっては「当り前」、独立して生活基盤を整えてもそれは当然のことで達成感、充実感は稀薄であろう。そうした心情が今の『閉塞感』につながっているようにも思う。
 
 「豊かさ」や「喜び」というのはある意味で『比較』の問題だから全体のレベルが上って平均化している現代は「喜びの少ない時代」になっていると言えなくもない。だとすれば「比較」できない自分だけの豊かさであり喜びを見つける必要性があるのだが「SNSの時代」は他人さまの「いいね」の多寡を競って一喜一憂している。こうした矛盾を抱えながら自分だけの「豊かさ」「喜び」を見出すことは極めて難しい。
 
 人間は少しくらい不幸(貧乏)な方がいいのかもしれない。
 
 

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