2019年8月5日月曜日

蝉と小鳥とどちらが早起きか

 答えは小鳥。窓の外がだんだん明るくなってもうすぐ日の出かなと思う頃ムクドリらしいちょっと濁った「キュルキュル」という鳴き声が道ひとつ隔てた公園の方から聞こえてくる。蝉は陽が昇ったらスグに鳴き声を上げ、それもはじめから「全開」でもうやかましいこと一挙に暑苦しさが湧き上ってくる。桂川畔の植栽の繁りの多いこの場所だけかもしれないが蝉より小鳥のほうが早起きということをはじめて知った。
 
 その公園の野球場の今週土日の予約が「ゼロ」。八月第一週の土日は家族旅行で子どもも親も野球はお休みという傾向がここ二三年前から定着したようだ。以前は夏休みになると少年野球で早朝六時からにぎわっていたのだが少年野球も随分変わった。先週、夏休みになってスグの木曜日の十時から六時まで、地元の名門チームで全国優勝を何度もしているチームの監督がバックネット裏の人目を避けたところで諄々とひとりの選手をコーチしているのを目にした。監督より少し背の高い少年がうつむいたまま監督の言葉に耳を傾けている。決して声を荒げることもなく低い声で諭すように話し続ける監督。十年前はこんなではなかった。割れるような大声で叱責罵倒、手こそ出さなかったが少年たちは怯み上って身をちぢこませていた。
 中学や高校でスポーツを指導する先生やコーチの暴力問題が後を絶たないが「学校以外」の場所では「コーチング方法」は格段の進歩をみせている。「学校」という閉鎖社会だけが取り残されている。
 
 少年野球もいろいろで、幼稚園の年中さんから小学二年までのチームがある。まだ二十代半ばのコーチは実に粘り強く子どもたちに接している。新チームがはじまったばかりのいまは投打とも手取り足取りの段階でテニスボールでティーバッティングを教えている。一球づつティーにボールをのせ、好きなスイングでこどもに打たせる。空振りもしょっちゅうで、それでも飽きることなく励まし続けてこどもとつきあっている。これが半年もすると立派に様になっているのだから彼の根気と粘りはすごいと思う。ちっちゃなこどもがユニフォームで走り回る姿はおもちゃのようでかわいい。十四五年毎朝毎夕、球場のカギの開閉をつづけているが少しも苦にならないしむしろ子どもや青年たちから若さを貰って元気の源になっている。
 
 『教育虐待』という言葉を知った。7月19日に判決のあった「2016年8月21日名古屋で12歳の中学受験生・佐竹崚太くんが父親に包丁で胸を刺され死亡した事件で、2019年7月19日名古屋地方裁判所は、父親の佐竹憲吾被告(51)に殺人の罪で懲役13年の実刑判決を言い渡した」事件を新聞で読んで知ったのだが、こんなことばが有るとは……、と唖然とすると同時に痛々しさを抑えることができなかった。
 
 被告は自分と同じ私立中高一貫校に合格させるため、日ごろから息子に暴言を浴びせ、暴力も加え、さらには刃物で脅してまで勉強をさせていた。
 佐竹被告は子煩悩な父親だった。しかし崚太君が中学受験塾に通い始めた小学4年生くらいから、崚太君に暴言を浴びせ、暴力を振るい、崚太君が大事にしていたゲーム機を壊すなどするようになる。勉強させるためだった。なかなか自分の思い通りに勉強の捗らない崚太君あるとき手元にあったカッターナイフを持ちだしたところ、怯えて勉強し始めたことに味をしめた。それがあるときからペティナイフになり、包丁になった。犯行に使われた包丁は、普段台所で使用していた包丁ではない。崚太君を脅す目的で購入した包丁だ。しかしなぜそこまでして中学受験にこだわったのか?
 佐竹被告の実家は祖父の代から薬局を営んでいた。被告人本人も被告人の父親も被告人の弟もみんな同じ名門私立中高一貫校の出身だ。国公立大医学部の進学実績では灘や開成をしのぐ、知る人ぞ知る超進学校である。しかしそれだけの理由でわが子に刃物で脅してまで勉強を強いる行動に出るとは思えない。
 それを明らかにする陳述が公判の中で行われた。被告人の父親T氏(78)「私も息子(被告人)を包丁で脅したことがある」という証言がそれだ。さらにはそのT氏も、その父親から教育虐待を受けていたようなのだ。名門進学校一家の親子3代にわたる『闇』がひそんでいる。
 求刑で検察側は、『教育』の名を借りた『虐待』といえ、身勝手な行動の末の犯行」と被告を非難した。
 
 「教育虐待」とは、「あなたのため」という大義名分のもと、子どもの受容限度を超えてまで行われる過度な教育やしつけのことである。折りしも1日、全国の児童相談所が2018年度に児童虐待の相談・通告を受けて対応した件数が15万9850件(速報値)に上ったと発表した。この中に「教育虐待」も含まれているだろうが、他の身体的・精神的な虐待とは異なり「教育」という大義名分があるだけに肉親でも表沙汰にしづらいにちがいない。峻太くんの母親も何度も被告を止めようとしたが「中学受験をしたことのないようなお前になにがわかるか」と一蹴され、峻太くんに「お母さんとふたりで家を出よう」と説得を試みても「お父さんとお母さんふたりがいい」と言って虐待に耐えていたという。
 
 共通一次試験を頂点とした文科行政は学校教育の多様性を毀損し序列化を亢進している。京都のように国の学制に先んじて地域で子どもの教育を育んできた都市でさえ、地域の公教育から逸脱して私立小学校、中学校への進学が過熱化している。入学試験に合格するためには、受験能力に特化した塾や予備校教育の横行を許してしまう。その結果、短期的に結果の出る「能力」ばかりが伸長されて、興味ある分野を自分で見出しじっくりと学習していくような能力は教育の場で評価されなくなってしまう。しかし、発見や発明はそうした能力の結果であって国の成長力はそうした「技術革新」によってもたらされる。もしそうなら今のわが国の教育の方向性は明らかに間違っている。
 
 幼稚園の年中さんの子にニコニコ笑いながらテニスボールをティーの上にセットしつづけるコーチ君の姿とそれを期待を込めて見やるお母さん、お父さんを心から応援している。
 
 
 
 
 
 
 
 

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