2019年9月23日月曜日

日本と朝鮮文化

 古書店の見切り本(一冊百円~二百円)のなかから絶品をさがし出すのは本好きの醍醐味である。小林秀雄の『本居宣長(上)(下)』(新潮文庫)、濱田儀一郎監修『誹風 柳多留(一篇~五篇)』(教養文庫)は見切り本ではなかったが古書店で見つけた掘り出しもので愛読書になっている。そんな古書店が見直されているのは出版サイクルの短期化がいよいよ加速して、専門書などにある参考文献が絶版になっていることが多く古書店に頼る以外にみちがないという事情があってその存在価値が高まっているのだ。そして好ましいのは本に対する愛情が伝わってくることで、ネット書店の古書に比べて保管状態が格段に良いのは嬉しい限りである。
 絶品中の最右翼『日本の朝鮮文化』(中公文庫)はまちがいなく見切り本で天満橋にある古本屋の店先にあった昭和六十年発行の六刷は日焼けがきつく相当長い間陽ざらしにされてきたのだろうが本文に劣化はなく新刊本を買った人はあまり読まないうちに手放したような気配を漂わせていた。
 
 近頃の書店の平積み(店頭に表紙を表にして積み上げて陳列してある本)には「嫌中・嫌韓」ものが氾濫している。週刊誌月刊誌も毎号毎号その特集の繰り返しで、ということはこの出版不況の時代にもかかわらずこの手の本がまちがいなく売れるからなのだろう。しかし度が過ぎて廃刊に追い込まれた雑誌もあるからなにをやってもいいというわけではない、というところに若干の救いを感じる。
 現物を読んだことはないが本の帯の惹句や新聞広告を見る限りでは、明治以降の国定教科書のみで歴史を見、しかも身の回りにある歴史的な文物に興味をもたず考えることもなく、現実の政治問題に感情的に反応している輩の言辞が毒々しく煽情的に書かれているのに違いない。不思議でならないのは、そして残念極まりないのは、出版社に勤める人たちはかなりの高学歴で知識人であり「社会の木鐸」として市民を導く存在である、との思い込みがもう通用しないことだ。しかもそうした書籍や雑誌を発行している同じ会社から学問的啓蒙的に上質な書籍も発行しているという矛盾…。そんな会社の社員同士はどんな付き合いをしているのか、そして配置転換があれば彼もまた嫌中、嫌韓ものを発行してしまうのか。
 
 身近な朝鮮文化の歴史はすぐそこにある、神社の狛犬だ。狛犬は「高麗犬」であり朝鮮の新羅、高麗、李朝の高麗が転じて「狛犬」になったので朝鮮由来にまちがいない。私の住んでいる桂の近くに太秦の広隆寺があるがここの国宝弥勒菩薩は朝鮮のものであり、そのすぐ傍の蚕ノ社は秦氏縁の神社である。大体京都は平安京造営の以前も以後も秦氏―朝鮮からの渡来人―の存在なくしてはありえなかった土地であり、秦氏以外に賀茂氏もあり朝鮮とは極めて密接な関係があることを知っている人も多いはずであるのに、やはり現今の情勢は「嫌韓」勢力が強盛になっている。
 
 それではそろそろ『日本の朝鮮文化』を繙いてみよう。この本は司馬遼太郎、上田正昭、金達寿の共同編集による座談会集で全編日本にある朝鮮文化であり朝鮮文化の影響を論じている。日朝の政治的関係をはじめ帰化人、仏教、神宮神社、歴史、神話などテーマは多岐にわたり、林屋辰三郎、湯川秀樹、梅原猛などその道の専門家を招いて専門知識とそれにもとづいた自由な発想を展開したすぐれた「日朝論」の集積の三百七十頁余(当時は文字が小さかったので新刊では450頁を超えている)の一冊である。全編を紹介したいがここでは唯一の女性で随筆家の岡部伊都子さんの言葉を引用する。
 
 たとえば高野新笠たかののにいがさ)ね、千年の平安京を定めた桓武天皇は朝鮮出自の母の子なんだということを知っている人は、まあ少ないんですね。そういった歴史がその後、明治からの偏見にみちた教え方にあるのでしょうけれど、歪んでね。ほんとうのことをもっとほうとうに教えていたらね。やっぱり本音のいえる社会というのは守らないと。今でさえまだ本音のいえないような、あたりまえのことをいうのに妙に命がけみたいなことを考えなければならない。それはやっぱり困ると思うんですよ。もっともっとそいうことが常識でなければならないでしょうに。(「古代の日本と朝鮮」より)
 高野新笠は光仁天皇夫人で桓武天皇・早良親王・能登内親王の生母にあたる方、のち皇太后を贈られた。
 この本が出版されたのは昭和四十七1972)年である。大学闘争直後で時代の相貌が一挙に右傾化に進み始めた頃である。それでも「あたりまえのことをいうのに妙に命がけみたいなことを考えなければならない」状況を岡部さんは嘆いている。もし今、桓武天皇の母が朝鮮人だったなどとネット上で言おうものなら炎上必死であろう。それが歴史的事実であっても学校で学習していないものは「フェイク」と思っている彼らから罵詈雑言、脅迫さえもうけるにちがいない。
 わたしはね、そのすぐれた先人たちのつくった文化の、のこされているものをみてね、それはやっぱり朝鮮から来た文化にはちがいないんだけれども、もうわたくしたちの文化だとしか思えないわけです。日本の文化としてうけとめているわけです。渡来の上は結婚し、子どもを生み、われわれだってその子孫ですわ。天皇家自体もそうだし、まして貴族、一般庶民にね、当然になってきているんでね。その当然さを誰も何も言わないのかとわたしは思うんです。(前掲書より)
 平安京ができて勢力分布も安定し官僚組織が確立するまでは、朝鮮からの渡来人があらゆる分野で活躍(貴族に登用された朝鮮人も多かった)しその知識と技術抜きに国家体制を築くことはできなかった。一方朝鮮では百済、高句麗、新羅の三国時代を経て七世紀中期に新羅による朝鮮統一が果たされると百済、高句麗の人たちが大挙して我国に渡来した。平城京、平安京造営に彼らがいかに重要な働きをしたかは既に述べた通りである。
 しかし国家が安定してみると人材過多の時代となって余剰人口を抱えるようになる。そこでまだ我国に組み込まれていなかった熊襲(くまそ―九州南部)や蝦夷(えみし―関東、東北)の開拓のために彼らを送り込むことになる。関東武士の多くは彼らと彼らの混血の末裔といってもまちがいない。
 
 我国の朝鮮蔑視の歴史は平安京安定期と明治維新の二度ある。今我々が抱いている「韓国蔑視」は明治以降の日清・日露の二つの戦争と韓国併合の過程でつくられた「歪められた歴史教科書」によってもたらされたものであり、さらに加えてここ十年ばかりの文科省の恣意的な「検定」によってそれが増幅されてきた。
 
 無知と不寛容。戦後七十年経った今、世界は暗黒時代真っ只中にある。
 
 
  
 
 

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