2020年5月25日月曜日

これからの教育はどうあるべきか

 寺田寅彦が「科学に志す人へ」という随筆を書いています。内容をかいつまんでまとめると次のようになっています。
 (1)学生時代の修業がどれだけどう役立つかと考えてみる。――大抵綺麗に忘れてしまったように思われる。――(けれども)講義も演習もいわば全く米の飯のようなもので、これなしに生きて行かれないことはよく知りながら、ついつい米の飯のお陰を忘れてしまって、ただ旨かった牛肉や鰻だけを食って生きてきたような気がするのであろう。(略)入用なときに本を読めば、どうにか分かるようにちゃんと頭の中へ道をあけておいてくれたものはやはり三十年前昔の講義や演習であった。云わば実践に堪える体力を養ってくれた教練のようなものであったのである。
(2)先生方や諸先輩の研究に対する熱心な態度を日常目の当たりに見ることによって知らず識らずに受けた実例の教訓が何といっても最大の影響をわれわれ学生に与えた。――(輪講会で)先生方や先輩達の、本当に学問に余念のない愉快な態度が嬉しかった。――快活で朗かな論争もその当時のコロキアムの花であった。(輪講会〈りんこうかい/コロキウム〉というのは数人から数十人のグループ論文または書籍の内容を互いに発表し合うこと
――学生のいうことでも馬鹿にしないで真面目に受け入れて、学問のためには赤子も大人も区別しない先生の態度に感激したりした。
(3)先生から与えられた仕事以外に何かしら自分勝手のいたずらをした。(略)興味の向くことなら何でも構わずに貪るように意地汚くかじり散らした。それが後年何の役に立つかということは考えなかったのであるが、そういう一見雑多な知識が実に不思議な程みんな後年の仕事に役立った。――勝って放題な色々の疑問を、――自分にこしらえては自分で追求し、――自由に次の問題に頭を突っ込んだのであったか、そういう学生時代に起こしかけてそれっきり何年も忘れていたような問題が、――三十年後の今日ようやく少し分かりかけて来たような気のすることもある
(4)問題をつかまえ、そうしてその鍵をつかむのは年の若いときの仕事である。年を取ってからはただその問題を守り立て、仕上げをかけるばかりだ。(略)それで誰でも、年の若い学生時代から――「問題の仕入れ」をしておく方がよくはないかという気がする。それにははじめからあまり一つの問題にのみ執着して他の事に盲目になるのも考えものではないかと思うのである。
 
 寅彦は1878年生まれ、東大理学部を卒業後物理学者として学究生活の傍ら、夏目漱石の薫陶を受け(熊本の五高で英語教師をしていた漱石に教えられて以来師事)俳人、随筆家として活躍、今に名をとどめています。上の学生時代の追憶にあらわれる学校はいうまでもなく東大になるわけでわれわれ一般人とは比較にならない存在ですが、学校生活の重要な側面を分かりやすく書かれているので引用しました。二十世紀初頭の帝国大学は「エリート」養成が教育目標でありましたから現在の学校(特に大学)の目標としているところとは大きな隔たりがあります。その辺のことは後段にゆずるとして、(1)に書かれている学生時代の学びの意義は今日でも同様でしょう。確かに学んだことがそのまま役立つということはめったにあるものではありませんが、仕事で必要になった本や資料を理解する必要に迫られたとき、学生時代の勉強が有用な力となることはまちがいありません。
 この随筆を引用したおおきな意味は(2)~(4)にあります。学校で学ぶのは知識だけではありません。知識――とりわけ受験のための知識の吸収なら塾や予備校で学ぶ方が近道です。学校教育が大切なのは先生や先輩、同期や後輩の友人たちとの交わりのなかで学ぶ、学問への取り組み方、協働の仕方や友情の育みです。学部や専攻の範囲を超えた学習を周囲の人たちから刺戟を受けるなかで自分の興味にしたがって自主的に行うところにこそ――塾や予備校のように与えられるだけでなく――学校の存在意義があるのです。
 
 現在の学校の学びの目標としているところはどうなっているのでしょうか。戦後教育が大きく方向転換したのは「高度成長時代」であったと思います。特に1970年前後の大学紛争の後、明確に方針転換されました。簡単にいえば「エリート不要」の「社会の歯車」に収まって効率よく組織を動かしてくれる人材の養成が学校教育の目標になったのです。戦後すぐの時代は理想であるとか、正義、平等・公正、博愛などどちらかといえばヨーロッパ的な啓蒙主義的な価値を重んじる教育が行われました。戦争に対する深い反省と民主主義という新たな価値がとても大事にされたことと「マルクス主義」が優勢な哲学としてわが国を支配していたことも影響したでしょう。それが1970年代を境に一挙に「アメリカ志向」に価値転換したのです。成長至上主義が唱えられ平等よりも「競争」が、公平な分配より「自己責任」が優先される社会になりました。社会は不平等でしたが、国の経済が1970年から80年に3.2倍に、80年から90年は1.8倍、90年~2000年は1.15倍に増え30年の間に約7倍(6.89倍)になり、1人当りのGDPは約2千ドルから9千ドル、2万4千ドル、3万6千8百ドルに増加しました。最貧国から2000年には世界第2位の「富裕国」に大躍進したのです。少々の不満はあっても国全体が豊かになるのですから我慢しよう、努力すれば明日はきっと良くなる。全国民が希望をもって国の進もうとする方向に「従った」時代でした。
 
 なぜこんな大躍進が遂げられたのか。それはアメリカというはっきりとした『目標』があったからです。わが国の官僚機構は目標が示されたら世界有数の結果を出します。国民も『お手本』があるとそれに向かって信じられないほどのスピードで上達します。1970年代の教育は『お手本』をいかに効率的に、ひとりでも多く、できれば全国民を一定のレベルに到達できるような教育が求められたのです。国定教科書を充実し、全国一律の「検定試験」で教育レベルを測定し、レベルに応じた高等教育(大学)で学ばせる。そんな教育体制が望まれたのです。
 
 安倍総理は1954年生まれですからまさに70年代教育を受けた第一期生です。彼のコロナ禍で見せた「問題解決能力」はどうだったでしょうか。世界のリーダーと比べて余りにも差のある「無能」振りではなかったでしょうか。コロナ禍のような「未曾有」の有事には70年代教育は「役立たず」なのです。
 これからは『お手本』のない時代です。全国一律ではなく子どもの能力を思いっきり伸ばす教育が必要になるのです。
 
 オンライン教育やリモート学習が脚光を浴びていますがそれは寅彦のいう(1)です。(1)には適したメソッドですが(2)~(4)はできません。そこをどのようにして補っていくかが重要なポイントになります。初等教育では「社会性の涵養」も大切な教育目標です。コロナ禍で日本国民の見せた「協調性」「思いやり」はこれからもわが国の教育の重要な目標として保ち続けてほしいものです。
 
 国のかたちを考えるとき経済封鎖解除後のキューバのまちで市民をインタビュウした番組の「生活は苦しかったけれども病院と学校が無料だったから昔の方がよかったね」という言葉が忘れられません。今のわが国の学費は高すぎます。アルバイトしなければ学校生活が送れないような大学教育のあり方はまちがっています。誰もが意欲と能力に応じて好きな教育が受けられるような日本にしなければポストコロナの時代を生きぬくことはできないのです。
 
 
 
 
 
 
 
 

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