2020年6月15日月曜日

中国脅威論を疑う

(横田滋さんが亡くなりました。安倍総理は「拉致問題解決は私の内閣の一丁目一番地の仕事です」と公言して憚りませんでした。にもかかわらず終始アメリカのトランプ大統領の威光を借りるばかりで身を賭して北朝鮮の金正恩氏と向き合うことはありませんでした。これほどの裏切りはないと思います。拉致家族の皆さんは腸の煮えくり返る思いでしょう。コロナ禍を百年に一度の「国難」と呼ばわりながら、まだまったく解決の端緒も開けていない現状で「国会閉幕」するというのは国民に対する裏切り以外の何ものでもないでしょう。今のわが国の政治家は一体何をするために政治家でいるのでしょうか。)
 
 時折無性に漢詩を読みたくなることがあります。先日も夜中に目が覚めて枕元に置いてある本を読もうと思ったのですがどうも食指が動かない。のこのこ起きだして書架を漁っていると陶淵明詩選(石川忠久編・NHK出版』が目につきました。ベッドに戻ってパラパラとページを開いていると「歳月人を待たず」という雑詩に目が留まりました。
 「(人の命などというものは風に舞う塵のように頼りない。歓楽の機会があればおおいにたのしむべきだ)盛年(せいねん) 重ねては来たらず/一日 再び晨(あした)なり難し/時に及んで当(まさ)に勉励すべし/歳月 人を待たず」。訳をみると「若い時は二度とは来ない。一日に朝が二度くることはない。時を逃さず、十分歓楽を尽くさなくてはいけない。年月は人を待ってくれないのだから」とあって「チャンスを逃さずおおいに遊べ」という意味の詩であると書いてある。わが国では「若い時は二度とないのだから勉強に励みなさい」という意味でこの詩を用いるが間違いである、こうした文章の局解を「断章取義」というと注書きしてありました。ちなみに断章取義(だんしょうしゅぎ)とは、詩や文章の一部を引用して別の意味に使うことです。
 
 中国は儒教の国という思い込みがあって礼儀正しい固い人生を送っていると誤解していますが、実は快楽主義が彼の国の人たちの生活信条とみたほうが真の姿が理解できるようです。インバウンドで大勢の中国の人たちがわが国を訪れるようになってその余りのマナーの悪さに閉口していますが、「旅の恥は掻き捨て」という快楽主義が彼らの生き方と思えば容易に理解できる行儀作法になるわけです。
 こうした生活態度は中国の歴史を少しでも知っておればさもありなんと合点がいくはずで、三千年の歴史は本土中国人と辺境の異民族の絶えざる皇帝の交代の歴史であったのです。夷狄は武器や武具の優勢を誇って侵略と暴威をふるいたやすく『支配』するのですが、治世が長きに及ぶと中国の快楽文化に染まって堕落し、追放されてしまいます。しかし中国人の統治も長つづきせずまた侵略をうける、そんな繰り返しが中国という国なのです。支配層が本国、異民族と移り替わっても一般人民の過酷な搾取に苦しめられる現実はいつの時代も変わらないのです。ならば一時の安寧であってもそれを楽しまない法はない、そんな刹那主義の快楽主義に陥るのも当然の成り行きです。そんな歴史を三千年も甘受してきたのですから今われわれの国を訪れている彼らの振る舞いにも理解が及ぶのではないでしょうか。
 
 こうした中国の歴史は「易姓(えきせい)革命」という歴史観を生み出しました。天は己に代わって王朝に地上を治めさせるが、徳を失った現在の王朝に天が見切りをつけたとき、革命〈天命を革(あらた)める〉が起きるという考え方です。王朝が変わって当初は新しい理念をもってまつりごとを行う皇帝も年を経るに従って国民性が快楽主義ですから奢侈を好み賂(まいない)が横行するようになり搾取が過酷になり苛政が人民を苦しめる。異民族の政治も同様でどんなに中国式の文化に染まらないように厳しく行政を律してもいつの間にか快楽に身を委ねて堕落してしまう。こうした支配層の緩みをみて一般人民は長い歴史の教訓からそろそろ王朝が崩壊するぞと身を竦ませていると、遠からず政権交代が起こる。
 
 三千年の歴史を遺伝子に組み込まれている中国人民には「易姓革命」も快楽主義同様彼らの深層心理に埋め込まれた歴史観として現在も息づいていることはまちがいありません。
 
 1949年中華人民共和国が建国され今年で71年、この間中国は驚異的な発展を成し遂げました。最貧国からスタートした国力は今や世界第二位の強国に成長し1人当りのGDPも1万ドルに達しようとしています。年率10%を超える高度成長は沿海部から始まった豊かさを内陸部にまで及ぼそうとしています。しかし14億近い国民にあまねく豊かさを及ぼすためには最低でも6%の成長が必要でそのためには膨大な食糧と原材料の確保が必須の条件です。そのためには国土の維持・拡張が必要であり国富を活用して食糧と原材料を有しているアジア、アフリカなど諸国を「一帯一路」網に取り込む必要がある。物資の輸送には海路が望ましいので「ゴリ押し」で「海の支配」を強行しようとするのです。
 こうした中国支配層の外交戦略をみて多くの人たちは「中国脅威論」を唱えます。しかしこの脅威論は中国共産党と中国人民を混同する誤りを犯しています。
 
 中国共産党員は9千万人といわれています、人口の約6%です。6%の共産党員というエリートが14億人の中国人民を支配するという体制は相当無理があります。それを何とか今日まで維持しつづけてこられたのは高度成長で人民への配分が彼らを満足させていたからです。しかしここにきて富の最適配分の最低限度の6%の成長を維持するのが難しくなってきました。人民への富の配分が減少するのは明らかで1万ドルの1人当りGDPを世界第二位の国力にふさわしい富裕国レベルの2万ドルに高めるのは決して容易い目標ではありません。一方で支配層は国際的地位を誇示するために膨大な軍事力と世界経済支配のため外への富の配分を拡大せざるを得ません。人民の所得は1万ドルの中所得国のレベルで停滞しているにもかかわらず――沿海部と内陸部の格差が放置されたままで国富が国内配分よりも国外への援助支出が増えつづくならば人民の不満は高まるでしょう。数年前まで公表されていた反体制運動は2万件を超えたあたりから公表されなくなりました。今や人民の体制への不満は相当なレベルに達していることが想像できます。
 
 富の配分が国内に十分行なわれている間は少々の格差は抑えられていましたが配分が低下し格差が臨界点を超えたとき、「易姓革命」への期待が高まるのは中国三千年の歴史の必然です。支配層が世界制覇を強行しようとしても人民はそれを許さないでしょう。中国共産党の野望は中国人民が許さないのです。習近平『皇帝』への中国人民の不満の臨界点はもうすぐ沸点に達するに違いありません。それを知っているから支配層は「香港国家安全法」を強権的に成立させたり台湾独立の動きへの武力行使へ傾斜するのです。
 
 中国政府の覇権構想と中国人民の快楽主義にもとづく豊かさの追求はかならず衝突するときが来るはずです。それがいつになるか?そう遠くないのではないか。それが私の見立てです。
 
 

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