2020年6月29日月曜日

歴史の美化

 NHKのドラマ『坂の上の雲』に対してわが国の歴史学者をはじめアジアの諸国からも強い批判のあることを知っている人はどれほどいるのでしょうか。いうまでもなくこのドラマは司馬遼太郎の同名の小説をドラマ化したもですが生前作者は「この作品はなるべく映画とかテレビとか、そういう視覚的なものに翻訳されたくない作品でもあります。うかつに翻訳されると、ミリタリズムを鼓吹しているように誤解されたりする恐れがありますからね」と述べ、各方面から寄せられた原作の映像化の申し出を断り通したことはよく知られています。にもかかわらずNHKはドラマ化を強行したのです。著作権承継者である遺族の了解を得たから問題はないというのがNHKの公式見解ですが同書は発表当初から、歴史観や日清・日露戦争の記述の仕方に多くの問題点が指摘されていました。
 私の周囲にも司馬さんの熱烈なファンが多くいます。しかし残念なことに彼ら(彼女ら)の多くは司馬さんに対して無批判で、むしろ司馬さんの「小説」から歴史を学ぶという読者がほとんどです。しかし司馬さんはジャーナリストであり小説家であって決して「歴史学者」ではないのです。司馬さんは自らの著作の中では独断的に言い切りますが、『日本の朝鮮文化(中公文庫)』という歴史の専門家との対談集では非常に謙虚に語っています、やはり歴史学者の前では言葉を選んでいたのだと思います。
 明治維新はわずか150年前のことですが軍国主義にかじを切った1930年代から第二次世界大戦にかけての異常な教育改変によって歴史的事実が軍部に都合よく歪められました、その当時の「歴史」の多くが今だに「本当らしく」信じられているように思います。いわば「美化された明治維新と日本の歴史」がわれわれ日本人に「受け入れやすい」歴史として通用しているのです。NHKの大河ドラマはその最たるものといっていいでしょう。
 昨年の大河は『いだてん』でした。「東京オリンピック噺」と題して「日本マラソンの父」金栗四三が描かれていましたが、1936年ベルリンオリンピックで日本マラソン初代金メダリストとなった孫禎基についてはまったく触れられていませんでした。孫さんは日本統治時代の朝鮮人でしたから「日本チーム」の一員として出場した日本選手の金メダリストとして我々世代は教えられましたがいつのまにか彼の名はめったに語られなくなりました。NHKもこの件に関しては「頬っ被り」を通したのでしょうがこれも紛れのない「歴史の美化」に他なりません。
 
 子供時分のことでいえば「富岡製糸場」は「女工哀史」とか『あゝ野麦峠』というかたちで教えられたものでした。明治期の紡績業――特に養蚕業と絹製糸業は殖産興業の主要産業としてその多くは国策会社としてスタートしました。明治5年創業の富岡製糸場は世界最大の事業規模で近辺各地の士族や戸長、農工商の娘さんたちが集められ「富岡乙女」と呼ばれる工女として働いていました。労働条件も過酷な一般企業とは異なり「理想的」な工場経営のモデルという採算度外視の実験工場として発足したのです。しかしこうした経営が長つづきするはずもなく経営は低迷、明治26年に民営化されます。これ以後シビアな利潤を追求する前期資本主義的な過酷な労働条件の私企業に変貌、就業する工女も貧困農村層の出身者に置き替わり文字通り「女工哀史」に様変わりするのですが、この状況は大正5年の工場法施行まで変わらなかったのです。
 この富岡製糸場が2014年富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産として世界遺産になるのですが、問題はその紹介のパンフレットなのです。そこに書かれているのは創業当時の実験工場であったころの「理想的」な「富岡乙女」に象徴される先進的な労働条件の姿だけが記されているのです。これは紛れもない「歴史の美化」です。前期資本主義の劣悪で不潔な労働者の姿は世界各国どこでも同じで、イギリスでもフランスでもそのあからさまな様子が多くの文学――チャールズ・ディケンズの作品などに描かれています。資本主義の発展過程としてどうしても経なければならなかった「人類の恥ずべき時代」なのです。二度とあのような人権を無視した、資本の論理だけが暴走した時代に逆戻りしないための教訓として、真実を明らかにしてこそ「世界遺産」の価値があるのではないでしょうか。
 
 「歴史の美化」の風潮は最近目に余るものがあります。「奈良監獄」で知られる旧奈良少年刑務所が星野リゾートによって「監獄ホテル」として生まれ変わる計画が進められています。明治41年竣工の奈良監獄は山下啓次郎設計の由緒ある建築物が現存しており重要文化財に指定された秀麗な明治期のレンガ造りの建築美は保存に値するものであることに異論はないでしょう。しかしその歴史を考えるとき、山下の設計に込められた先進的な「更生」思想とは裏腹に治安維持法下の劣悪・過酷な思想犯の収監と取り調べの不条理さは決して忘れられてはならないものです。昨今の厳罰化の傾向は奈良監獄で行われた不条理な拷問が歴史として保存されることによって行き過ぎが矯正されると思うのですが、監獄がホテルに美しく生まれ変わればその記憶が消滅するのではないかとおそれています。
 
 更に「軍艦島」を中心とした「明治日本の産業革命遺産」があります。これについては「戦時中、朝鮮半島出身者が強制的に働かされた」などの異議申し立てとユネスコ登録に反対する韓国の動静がマスコミに取り沙汰されていますが、それ以前に日本国民としても考えてみる必要があるのではないでしょうか。軍艦島が「廃墟ブーム」として脚光を浴びたのはもう二十年以上前だったと思います。1810年ころ端島炭鉱が発見されその良質な石炭を求めて1890年三菱が炭鉱経営に乗り出してから採掘が本格化、最盛期の1960年には5,267人の住む完全な都市として機能していました。石炭産業の斜陽化とともに業績も悪化、1974年閉山、4月には全島民が離島、以後無人島となって今日に至っています。島内には病院・学校は勿論のこと居酒屋や映画館などの歓楽施設、神社・寺院・派出所もあって島の施設だけで全生活が完結する都市でした。
 もし私が廃墟美を求めて軍艦島へ行ったとしたらこんな感懐を抱くにちがいありません。長崎から1時間(今の高速艇で約40分)の孤島に石炭採掘のために送り込まれて三交代で過酷な労働を強いられ、ほとんど本土へ行くこともなく生涯をこの島で終えた人がどれほどいたことだろうか、と。炭鉱といえば強烈に記憶しているのが1959年~1960年の三井三池争議ですが、真っ黒に炭鉱の灰燼に汚れた顔の底からギラギラと浮かび出ている憎悪の眼であり筑豊炭田のドキュメントのタイトルが「緑の地獄」だったことです。朝鮮半島の出身者にどんな過酷な仕打ちがあったかではなく、同胞の日本人労働者に対する「幽閉」にも似た「軍艦島」への閉じ込めと過酷な労働は決して忘れられてはならない現実であったことを知るべきなのです。
 
 コロナ禍で浮き彫りになってきた「格差」。資本の論理の暴走は、後代それを「観光資源」化してきれい事に粉飾できるほど生易しいものでないことを学ぶべきだと思うのです。  
 
 

 
 

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