2021年3月22日月曜日

伝統という都合のいい言葉

  神前結婚式にはじめて出席したのはいつだったか。「歴史にのっとった伝統の」という形容詞が仰々しく貼りつけられたその結婚式が、大正天皇の結婚式を「まね」して一般民衆の結婚式に形を変えた「商業主義」の産物であるということを知って腹立たしい思いに駆られたのをありありと憶えています。少なくとも江戸時代、ひょっとしたら奈良・平安時代から引き継いでこられた「由緒」あるものではないかと密かに信じるところがあっただけにその裏切りは決して軽くはありませんでした。

 

 この種の類は気をつけて身の周りを見つめ直すと随分とあるもので最近では自民党が「選択的夫婦別姓」に反対を唱えるために持ち出した『伝統的家族制度』などというものもその典型的な一種でしょう。何が「伝統的」であってその元となる「時代」はいつごろなのか、についてはあやふやではっきりとしていません。

 そこで「伝統的家族観」というものをおぼろげながらですが整理してみると次のようになるのではないでしょうか。

(1)法律で認められた形で結婚し、子どもを授かって家庭をつくる。

(2)夫婦と子ども2、3人で構成される家庭。

(3)夫は外で働き妻は家庭経営に専念する。

(4)二世代、三世代同居する。

 これを総合すると、世間的に一人前と評価を受けるためには見合いでも恋愛でもいいから年頃になれば正式に結婚して所帯を持ち、妻たる人はお勤めをしていても家庭に入って専業主婦となって夫の会社勤めが心置きなく励めるよう家庭を守り、2、3人の子どもを成し、男の子は4年生の大学を、女の子なら短大くらいを卒業のあとお稽古事を嗜まして結婚準備、社会人として世に出し結婚させ、定年までには住宅ローンも終えて退職金は老後の備えとしながら年金生活で安穏に過ごす。余裕があって老いた両親の面倒を見ることができれば「恙無く」生涯を全うしたことになる。晴耕雨読、偕老同穴、こんな老後が送れれば誰もが羨む充実した人生設計といえよう。

 多分「伝統的家族観」のイメージはこんなものではないでしょうか。しかしこんな「家族観、家庭観」は歴史的にはいつの時代にもなかったもので、戦後の一瞬にだけ「標準化」された、そもそもは戦後復興を効率的に早期に達成するために「上級官僚」が構想した、「貿易立国」と「内需拡大策」のための『モデル家族観・家庭観』にほかならないのです。

 

 貿易立国のためには「製造業」がGDPの50%近くを占めるまでに成長させなければなりません。そのためには労働力の「農村から都市部へ」大移動させる必要がありました。その受け皿としての住宅政策が「持ち家制度」で、持ち家は「内需拡大策」の中心として構想されました。住宅建設と家電などの耐久消費財のすそ野は広く、やがて自動車産業の勃興・拡大は内需拡大に大きく貢献します。「住宅ローン」は金融機関確立にとって「設備投資資金」の供給と共に二本柱となって機能しました。また「労働力の高度化」のために「大学進学率の向上」は重要な政策でした。こうした政策の総合効果は意想外に発揮され、戦後10年足らずで「もう戦後ではない」と経済官僚が雄叫びするほどの成長をもたらし20年の長きにわたる「高度成長」を達成したのです。国内外の過剰需要に対応する「供給力増強」には「過剰労働時間」をもってし、「24時間働けますか」と尻を叩かれた夫と「専業主婦」の両輪は上級官僚の目論見通りの機能を発揮するのです。

 奈良・平安の「通い婚」でもなく江戸・明治の「内向きの切り盛り」型「武家の妻」「商家のお上さん」でもない戦後の一時期だけに「モデル」として称揚された『伝統的家族観・家庭観』は「伝統」でもなんでもない、戦後復興のために「上級官僚」の構想した「高度成長」のための「短期的・便宜的」な「家族形態」にすぎないのです。

 

 日本の「家族観」を規定する最も大きな要素は「イエ」です。イエは「余剰生産物」の発生が成立の淵源となってその再生産と蓄積が確立を促進しました。イエの本質は労働力の安定供給ですから多世代を包含する構造をとらざるをえず、嫁取り(婿取り)も労働力の交換に他なりませんから送り手が反対給付としての貢物(結納金のような形で今も残っている)を要求するのは当然でした。やがて都市化の進行は農業だけでなく商工業にもイエが形成されるようになり、富の永世相続形態としての「武士の格式」にもイエ制度は厳格に適用されました。封建制度の崩壊した後もイエは存続しつづけ「家業=自営業」として近代社会の経済制度の中核組織として機能しつづけます。それは明治以降の労働力構造における「自営業者と雇用者の割合」に如実に表れ、1900年代初めには70%を自営業者が占めていました(農漁業者を含む)。その構造に大きな変化が現れたのは戦後産業構造の製造業中心への転換によってもたらされ1955年には60%、1980年30%、そして2010年には自営業者の割合は15%を切るに至ります。自営業者が中心の社会では「専業主婦」の成立基盤はほとんどなく、主婦も貴重な労働力として経営に資していたわけで、専業主婦をベースとした「伝統的家族制度」と自民党や保守層の呼ぶ家族形態が社会の主流を占めたのは高度経済成長期の半ば(1970年代)から20世紀末までの約30年間という極めて「短期間」のことで、21世紀に入ると女性の社会進出は急激に進行して今や「共働き」が主流ですから「核家族化」と相俟って「伝統的家族制度」は主流の位置から「少数派」に転落しているのです。

 

 夫婦同姓が法律で定められている先進国はわが国だけです。江戸時代は一般庶民には「名字」は許されていませんでしたし、平安時代は通い婚が主流でしたからいわば「夫婦別姓」といってもあながち間違いではないわけで、江戸時代までは女性が「名を名乗る」こと自体が夫などのごく限られた人に対する時だけでしたから、更級日記の著者は今だに「藤原孝標女」になっています。

 

 「伝統」であるとか「仕来り」「習慣」「前例」という言葉は便宜的によく使われる言葉ですが、内容はいたって「あいまい」で「空疎」なことがよくあります。また「歴史」を知らなかったり誤解したりすることも珍しくなく付会――自分に都合のいい解釈で使われることが多いのです。

 

 「夫婦同姓」に関しては国連から改善勧告を2003年に受けています。20年近くも放置しておきながら今年は討議の俎上にすら上らせない後退ぶりです。しかもそれは「歴史認識の誤り」にもとづく「浅薄」な論拠によるもので、ある意味で日本人として「恥ずかしい」歴史の理解に基づいています。

 

 都合が悪くなると「伝統」という言葉を持ち出す悪弊は是非とも改めて欲しいものです。

 

 

 

 

 

 

 

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