2021年8月9日月曜日

金メダル交換してあげて下さい

  名古屋市の河村市長が金メダルをガブリと噛んでしまいました。ソフトボールで優勝し表敬訪問した日本代表の後藤希友投手の金メダルを了解も得ず突然ガブリと噛んでしまったのです。当然のことながら怒りや非難、SNSの炎上などで追い詰められた彼の言い訳は「最大の愛情表現だった。迷惑をかけているのであれば、ごめんなさい」というものです。意味不明です、優勝の称賛と努力への敬意こそ市長としての表敬への返礼であるはずで、「愛情」など誰も期待していないし予想すらしていなかったにちがいありません。後藤さんは金メダルを大事にしていくことでしょう、それを取り出すたびに、あのいやらしい「おっさん」が唾液まみれにした「おぞましい」場面を思いだすにちがいありません。一生その記憶は消えないでしょう。最高の栄誉と称賛のしるしが彼女にとってはいやらしい、おぞましい記憶として一生ついて回るのです。

 IOCかJOCか、どちらでもいいです、金メダルを取り替えてあげて下さい。スペアの1個や2個はあるでしょう。どうか彼女の金メダルをまっさらキレイなものにしてあげてください。

 

 しかし彼は何故こんな暴挙に出たのでしょうか。その後もいろいろ言い訳をしているようですが納得できできるものではありません。ただ言えることは、余りに「子どもっぽい」振る舞いであったということです。テレビで何度も見たシーンを前後不覚で衝動的に実行してしまった、ということなのでしょう。そういえば最近政治家の子どもっぽい振る舞いや言動が多すぎるように感じます。最たるものは安倍元首相と菅総理の「キチンとやります」でしょう。それはまるで出来の悪い子供が親に叱られて、「チャンとやらなあかんやないの。言うた通りキチンとしいや」「うん、分かった。チャンとやる、言われた通りキチンとする」。

 キチンとする、とは普通おとなは言わないでしょう。目上の者――親が言いつけた「プログラム」を百点満点めざして一所懸命努める場合に言う言葉遣いです。おぼろげですが歴代の総理が「キチンとやります」と言ったのを聞いた記憶がありません。安倍さんという人は祖父、大伯父、父親ともども非常に優秀な人たちでした。彼もそのあとを踏襲すべく平沢勝栄復興大臣(元東大生)の家庭教師の薫陶を得たのですが祖父たちと同じ学歴を得ることはできませんでした。そんな安倍さんの生い立ちをみると彼が「キチンとやります」を常套句としていたであろう幼少時が彷彿とします。

 菅さんは安倍さんと後継の「中継ぎ」ですから彼独自の政治目標というものがないままにコロナ禍という「国難」に対応させられましたから「無策」なのも仕方ないのです。とにかく周りの提案する施策を懸命に実現する以外ないのです。したがって「キチンとやる」という言葉が自然と口をついて出るのです。

 政治家としての信条と政策体系を具備した「ひとかどの」政治家でなければこの難しい状況を打破できません。現状は「子どもっぽい」連中による弥縫策の連続で最悪の状況に陥っていくのを手を拱いて静観するしかないのです。

 

 「ピーター・パン症候群」ということがマスコミをにぎわした時期がありました。年齢的に大人なのに、精神的に子どものままでいる「おとな・こども」の男性のことで、社会人としての能力に疑問のある人が多いといわれています。先の政治家の皆さんは一応それなりの成果を上げてこられましたからこの範疇に入れるのは気の毒な気もしますが精神的にはどうなのでしょうか。『ゴルゴ13』で外交を勉強する大物政治家はいますが……。

 「おとな買い」というのがあります。シリーズ物の漫画本を全巻まとめ買いする、子どものころ欲しかったヒーローの合金フィギアを何体もコレクションする、などですが妻や恋人の「冷ややかな」視線に気づいていません。回転寿司や外食チェーン店での日常的な外食通いも一種の「子どもっぽい」習慣的行動といえるかもしれません。

 

 おとなと子どもの差の大きなポイントは「欲望管理能力」ではないでしょうか。子どもにはこの管理能力が不足していますから「だだ(駄々)をこねる」ことになるのですが、要するに湧きおこった欲望を堪えることができるかどうかに大人と子供の根本的な分かれ目があるように思います。河村氏はこれがなかったのです。

 戦争を経験したわれわれ世代は「物資不足」の時代を実体験しました。生活を営む上で最低限必要な食糧や道具、住むところさえ無い状況を知っています。急速に復興して「まがいもの」で必要を満たす時代を経て間もないうちにドンドン「もの」が溢れる時代が来ました。「大量生産・大量消費」の時代が来たのです。ところがそのうち「自分が本当に欲しいもの」かどうか分からないものを「買わされる」時代がやってきます。そして「コンビニ」と「100円ショップ」が現われたのです。

 この頃から「何でも買ってもらえる時代」になっていきます。『まがいもの』でも『安い』から『かたち』だけは「欲望の満足」が得られるようになったのです。そして「辛抱のきかない時代」になってしまいました。『今』です。

 

 わたしが大事にしたいのは『本もの』と『本当に欲しいもの』です。「ファストファッション」はつくられた流行を超低廉価で提供される衣装です。二年もてばいい方で、というのは明らかに二年前に流行ったファッションだということが誰にでも分かってしまうからです。親子四人で5千円もあれば腹一杯食える寿司やハンバーグ店があります。合成調味料と過剰な塩分糖分で「味覚」が成長できなくなっています。

 一方で美術館や博物館は勉強好きの高齢者で溢れていますが、彼らは掛け軸の草書が読めませんし読めても意味の分からない人がほとんどです。

 

 「子どもっぽい」大人たちが政治をし、子どもを教える「悪循環」。何とかしないといけないのですが、もう余り時間は残されていません。

 

 

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