2021年8月2日月曜日

金メダル考

  スケードボード女子ストリートで西矢椛もみじ)選手が金メダルを獲得しました。誠に喜ばしいことですが何故か「違和感」を感じました。別に西矢選手の優勝にケチをつけるのではありません、13才という彼女(?)の年令に頭をかし()げたのです。おんなの児と呼ぶのが普通の中学校2年の女子が優勝する、そして金メダルが授与される。授与されたその「金メダル」とはなにものなのかと考えずにはいられなかったのです。

 

 フト浅田真央さんが浮かびました。浅田さんはジュニア時代に日本最高レベルの演技を見せ、シニアも含めた全日本代表クラスに上りつめました。ところが2006年のトリノ・オリンピックは「五輪前年の6月30日までに15才」という年齢制限に87日足らなかったために出場がかなわなかったのです。もし彼女がトリノに出場していたら優勝したに違いないという関係者は少なくありません、もちろん素人の私もそう思っています。今から思うと15才のころが彼女の全盛期だったのかもしれません、シニアになって何度もオリンピックに出場しましたがとうとう優勝はかないませんでした。原因はいろいろあるでしょうが彼女の肉体が年令とともに脂肪のつきやすい体質だった、そのために年令と共に演技が衰えてきたのかもしれません。そしてアイススケートという競技が、とくに女子の場合、成熟した女性には適さない競技なのではないかという考え方も一方にはあるようです。その後オリンピックの年令制限が変更になって今の条件なら浅田さんは出場できたのですから彼女は本当に不運だったと気の毒に思います。

 

 アイススケートが成熟した女性に不向きな競技であった、それ以上にスケードボードは若い――幼い年齢層に有利な競技なのではないか。そんな気がしてならないのです。アイススケート以上に全盛期が若年化する競技なのではないか、そう思うのです。まだ歴史の浅い競技ですからこん後の趨勢を見てオリンピック競技として残すべきかどうかの結論を待ちましょう。

 

 さてそこで、です。中学校2年の女の子(あるいは高校2年)が世界最高レベルの技術を披露したのですからそれは称賛されて当然です。子どもが「遊び」が面白くて夢中になって、一所懸命努力して、他人の何倍も研鑽して今日をあらしめたのですから文句のつけようもありません。それが分かっていても、認めてもいて、それでもなお「違和感」があるのはなぜでしょうか。

 柔道男子73キロ級で2連覇を果たした大野将平さんの金メダルを思うとき、このふたつの金メダルを同列に並べることに抵抗を感じるのは私だけでしょうか。

 それなら水泳男子200米バタフライ銀メダルの本多灯選手は19才ではないかと言われればそれもそうなのですが。

 

 結局歴史が浅く、選手層が圧倒的に少ない競技だということが、そしてつい昨日まで「子どもの遊び」とみられていた(おとなが見ていた)競技だということが違和感の原因なのではないか、とにかく「子どもの遊び」という認識が根強く残っているのです。柔道は1882年に嘉納治五郎によって近代柔道が創設され今では世界200ヵ国が連盟に参加していてわが国の競技人口は約16万人もいます(ブラジルは200万人、フランスは56万人です)。それにくらべてスケートボードのわが国の競技人口はせいぜい3000人に過ぎません。競技としての歴史のちがい、競技人口の多少、年齢層の厚さ、そして競技技術の完成に至る道程の長さ深さ。すべての点でこの二つの競技を比較するのは無意味なことに思えます。

 

 「より速く、より高く、より強く」というオリンピックのモットーからはみ出た競技も最近は少なくなく、スケートボードもそうした競技種目の一つです。1896年の第1回のアテネ大会では8競技43種目だったのが2020東京では33競技339種目にまでインフレ化した近代オリンピックは、完全に「変質」しているのです。120年以上の歴史を経てオリンピズム自体も変質してしまったのです。オリンピックの政治利用、商業主義が批判されています。最近ではオリンピックは悪政を隠す「スポーツウォッシング(悪化した政治状況や社会的評判をスポーツによって洗い流そう、覆い隠そうとすること)」だなどという言説も出てきています。IOCという組織の「不健全さ」も無視できないところにまで高まってきました。

 オリンピックは完全に「変革期」を迎えているのです。

 

 ところで危惧されていた「東京2020」のオリンピックとしての価値に疑問を感じさせる事実が散見されるようになっています。男子サッカーで日本がフランスに〈4―0〉で圧勝してマスコミをはじめ多くの国民が浮かれていますがそれでいいのでしょうか。冷静に考えてわが国と彼の国の実力にこれほどの差があるとは考えられません。この酷暑のなかで3戦4戦闘いつづけて優勝できる可能性を考えたとき、その僅かな可能性に賭けるよりも、その後のヨーロッパリーグでのそれぞれの選手のパフォーマンスと評価(契約金)を考えて本気の勝負を避けたとみるのは私だけでしょうか。テニスも参加選手にばらつきがあるように思えるうえに、試合開始時間に批判が出て3時開始に変更されました。ゴルフ、柔道、体操なども優勝者に世界最高の栄誉がふさわしいか、これからはじまる陸上はそんな「おそれ」は皆無で終われるのか。

 

 新型コロナのパンデミック下で強行された「東京2020」の意味は終わった後も厳しく検討されるべきです。

 

 

 

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