2021年9月6日月曜日

菅首相はなぜ辞めなければならなかったか

  ズバリ「コロナ政治」です。コロナの政治は日本国民全部のための政治です、一部の人の利益のための政治ではありません。菅さんは――自民党といってもいいのですが――国民の一部、前回の衆議院選挙でいえば48%(得票率―投票率を勘案すれば25.7%の支持者)の人の利益を中心に政治運営を行うことを公言してきました。それを端的に言い表しているのが「自助・共助・公助」です。自助できる人を大切にする政治を目指してきたのです。ですからコロナ対策も自助=「自粛」を感染対策の中心に進められました。ところが感染症対策は国全体で取り組まないと効果の出ない政治課題です。だから国民全部に利益をわたらせるマクロな対策――ワクチン、PCR検査、病床の拡大、治療薬の開発投資など――が後手後手になってしまったのです。しかも感染拡大の緊急時にもかかわらず「GoToキャンペーン」や「オリ・パラ開催」など一部の利益享受者のための政策を断行したのですから国民の反発が高まるのは当然の成り行きでした。

 菅さんが首相を辞めなければならなかったのはコロナ対策という国民全員のための政治を遂行する能力が無かったからです。

 

 しかし国民の一部のための政治を行なってきたのは菅さんだけではありません。「小選挙区制」を導入した1996年(1994年制度成立)以降徐々にその傾向が進み、小泉純一郎首相の出現(2001年)で一気に加速したのです。彼の政治手法は「郵政民営化」で顕著にみられるように「賛成者対反対者」という構図を描いて争点を単純化し、「短フレーズ」で選挙民へ訴えることでさらに「対立」を際立たせて選挙民を自らの陣営に誘導するというものです。要するに自分の進めようとする政策の「敵」対者を設定し、味方か敵かという「二項対立」に問題を単純化して――結果として国民を「分断」する政治手法であり選挙手法なのです。そしてこれが「小選挙区制」という選挙制度の「勝利の方程式」として定着し、安倍さんの森友、加計学園問題、「桜を見る会」で頂点に達し菅さんに引き継がれたわけです。

 小泉さんが推し進めた政策は「新自由主義」にもとづく「規制改革=民営化」でした。竹中平蔵という知恵者を懐刀に急速に、急激に推進しました。しかしこれは世界経済の歴史的観点からすれば、戦後一貫して生産力優位を保ち世界経済の覇者として君臨してきたアメリカが、急追してきたGDP世界第二位の日本の経済力を衰退させようという経済政策でもあったのです。戦後復興という困難な課題を達成するためには「国力」を集中し「復興目標」に効率的に配分する体制が必須であったわが国において、先達が編み出した「社会主義的資本主義」と揶揄された「護送船団方式」をなんとか潰そうとわが国に圧しつけた「規制改革」に「服従」したわが国は見事に「日本沈没」してしまいました。バブルは崩壊し「失われた二十年」をへてわが国はゼロ成長に呻吟している中、アメリカは2~3%、ヨーロッパ諸国も2%近い成長を維持しておりわが国ひとりが世界の成長から取り残されている始末です。

 

 小選挙区制と内閣人事局制の弊害が露呈した安倍・菅の自民党政権は曲がり角に立っています。安倍さんから菅さんへの政権移行でみせた自民党領袖の政治感覚は今回の菅退陣で国民感情と齟齬をきたしていることが明らかになりました。ここで自民党が自浄作用を見せないとわが国の政治体制は一挙に改革の方向に展開するにちがいありません。

 その際考慮されるべきは「多様性の時代」だということです。LGBTQや#Meto、Black lives matterなど世界の潮流は多様性が先鋭化しています。これに「南北問題」―世界の貧困問題と環境問題を加えるとこれまでのように二項対立の問題単純化ではどうすることもできない複雑な状況になっています。米中対立の激化を考えると今までのような「対米従属」でアメリカ頼りの「思考停止」でしのげるような時代ではないのです。

 

 菅さんの退陣は単なる自民党内の勢力争いや国民の自民党批判に矮小化できるものではありません。そもそも菅批判の端緒は「学術会議会員任命拒否」にあることを菅さんは自覚しているでしょうか。この問題を「是非」の二者択一に単純化して学術会議存続か否かに問題化しようとした菅さんの対応に国民は違和感を感じています。学術会議というものは国民の一部の利害を超越した存在なのではないかという違和感がわれわれの心に残っているのに菅さんは気づいていませんからほったらかしなのです。身近な存在ではありませんが「国民全体」の問題として考えられるべきにもかかわらず相変わらず一部の人の利益に引き付けて対処しようとした菅さんの対応が、国民を「身構え」させた最初となって今日につづいているのです。

 「蟻の一穴」という言葉があります。思わぬところから「破綻」ははじまるのです。

 

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