2022年5月16日月曜日

子育てのバイブル

  娘が1ヶ月検診に出かけました。約半日われわれ夫婦があずかることになります。「ちょっと見ててくれはりますか」と洗濯ものを乾そうとした妻がソファに座った私のヒザに孫を預けました。首の下に手を回して据わりを確かめあかちゃんを受け取りました。「無心」ということばそのままの黒目勝ちの眼がみつめています。なんとかわいいのでしょうか。黙ってただ見つめる、ただそれだけ。「無為」といってこれほど無為はありません、何するでもなくそっと両手でからだを支えて見ているだけ。ときどき消えているテレビの真っ黒の画面を見つめます。画面に映った白い自分と画面の黒が分かっているのでしょうか。至福の三十分でした。

  はじめて母親が自分の傍から消えるのですから不安を感じるにちがいありません。泣き止まずに手を焼かすのではないか、不慣れな紙おむつを変える時にむずからないだろうか。ミルクは充分にのんでくれるだろうか。そんなこっちの不安を気づかってくれたのか普段母親が世話している時よりもスムースに孫の世話を終えてほっとして娘夫婦にバトンタッチ。ところが娘が抱いたとたんにあかちゃんは猛烈に泣き出したのです。生まれたはじめての「大叫喚」。体を震わせのどが潰れるのではないかとおそれるほどの爆発的な泣き喚きは沐浴の間も授乳中も絶えることなく二時間近くつづきました。

 これはどうしたことでしょうか。

 あかちゃんはまだ誕生から1ヶ月ですから完全に「母体との同一性と均衡」の状態にあります。胎内で十ヶ月、生まれてからも三時間に一回の授乳、おしっことウンチの不快感からの解放などすべての「欲求」は母親が満たしてくれますから胎内でいるのと変わらない同一性と均衡が母親の体熱の伝わり方や臭い、触覚を通じて保たれています。

 それが突然前触れもなく「同一性と均衡」が消失したのです。本能的に「警戒心」を抱いたにちがいありません。大声で泣いて攻撃を受ける危険性、泣き喚いて授乳や排泄の世話をしてくれなくなることも本能的におそれるはずです。すべて「本能」で警戒心を貫いたのです。「あかちゃんは分かったはるんやね、おばあちゃん下手やから手ェ焼かしたらアカンて」と妻は言っていますがそれはない、本能的警戒心がそれをやらせたのです。

 母親が帰ってきて、気配と声と触覚などを総動員して母親を感じ取ったあかちゃんは警戒心から解放されて一挙に「不安」を訴えたのです。最大限の表現で「同一性と均衡」を消失した不安を伝えようとしたのです。もう二度と「放置」されないように、母親が「おそれ」を抱くくらいに極限の大音量と動きで訴え続けたのです。二時間もそれをつづければあかちゃんもシンドイはずですがそれでも「身の危険」にかかわることですから必死の訴えを決行したのでしょう。

 

 孫を一ヶ月観察していてヒシヒシと感じたのはこの「母体との同一性と均衡」でした。母親と他のもの――おばあちゃんも父親も、勿論おじいもはっきりと分別しています。母親には甘えるし怒り(?)もぶつけますが他のものには「直接的」な訴えはしないように感じます。「泣く」ことが最大の訴え手段であるあかちゃんの鳴き声は多様です。本能的な欲求を訴える時とほったらかしにされている不満を伝える時は鳴き声はまったくちがいますし、一ヶ月にもなると「ひとりごと」をしゃべるときもあるのに気づきました。

 いづれにしてもあかちゃんにとって一番大切なことは「母体との同一性と均衡」です。今どきの育児法では窒息をおそれて「添い寝」を禁止しているようですが、寝つきの悪いときの入眠導入には有効だと思うのですが娘はガンとして受けいれようとはしません。

 

 川上未映子さんが『きみは赤ちゃん(文春文庫)』というエッセー集を出しています。妊娠・出産・子育ての体験を関西弁のオカシさを巧みに活かした文体でつづられたこの本はどんな高級な育児書よりも赤ちゃんをもったお母さんに寄り添った「子育て応援歌」になっています。一番驚いたのはおかあさんがこんなに「泣いている」ことです。根本原因は「不眠」です。三時間ごとの授乳、おしっことウンチの清拭それに沐浴、これを昼夜を問わず行なうのですからよくて二時間、普通は一時間か半時間ほどの断続的睡眠ですから「熟睡」は不可能です。人間の三大欲望――食欲、性欲、睡眠欲のうち睡眠がもっとも根源的な欲望だと川上さんは述懐しています。ストレスが極限まで嵩じて、感情のバランスが崩れ、孤独、無理解、夫との隔絶感、劣等感、このどれもがささくれだった神経に突き刺さって感情を破壊して「泣く」のです。娘も妻の前で泣いたことがあり驚かされたと言っていました。

 全ページが男性にとっては未知の領域ですからすべてを写したいのですがそうもいきませんから次の一節を読んでいただきましょう。

 産後クライシス(略)出産をした女性が、激変してしまった生活に感じる現実的なしんどさにくわえて、ホルモンのバランスの崩れによる根元的&精神的な大不安、簡単にいうと全方位的に「まじ限界」という状況におかれることであって、なーんにもなくても涙がでて止まらないし、不安で体が震えるし、もうこのさきなにをどうやってのりこえていけばいいのかがわからなくなってほとんどパニックになってしまうような状態がつづくさまをいうのだけれど……。(略)それにくらべて、父親はどうよ。/ちょっと手伝っただけで「イクメン」とかいわれてさあ、男が「イクメン」やったら女の場合はなんて呼べばいいんですか、そんな言葉ないっちゅうねん。(略)そう。ないのよ。母親が感じるこの手の「申し訳ない感」を、おそらく父親のほとんどがもたないのではなかろうか。(略)知らないあいだにわたしのなかにあった、その「赤ちゃんはわたしの身体の延長なの」的感覚を、意識して排除することにした。わたしだって、あべちゃん(川上さんの夫さん)とおなじように、する。「ごめんね」も「すみません」も、金輪際、口にしないし、ぜったいに思わない。だってオニ(赤ちゃんの愛称)はふたりの赤ちゃんなのだから。そう決めて、実行するようにしたら、いろんなことがずいぶんらくになったように思う。/なにかが苦しかったり、悲しかったり不安だったりするとき。(「父とはなにか、男とはなにか」から)

 

 子育てとは母と父と赤ちゃんがともに成長しながらやっていくもの。それを実感させてくれる『きみは赤ちゃん』は子育てのバイブルとして読んで欲しい、世のお母さんお父さんたちに。

 

 

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