2022年8月8日月曜日

防衛費を増やせば国土防衛は可能か

  防衛白書が発表されました。プーチンの狂気による国際関係の緊張の高まりを受けて防衛費の増大を正当化し既成事実化しようという思惑が透けて見えます。しかし問題は『戦争』が『概念』として語られるばかりで『リアリティ』が希薄なことです。

 

 我が国の防衛を考えるうえで次の5つの視点から考えてみようと思います

(1)戦争は人を殺す、殺される

(2)国土が狭い。弓状の狭くて長い本州を中心に主な3つの島と幾つかのその他の島で構成されている

(3)米軍基地が全国に存在している(130ケ所)

(4)原発が全国に存在している(54基)

(5)シビリアンコントロールについて

 

 まず「戦争と死者」について考えてみましょう。その前に日本人の「戦争観」を概観すると①好戦論者は間違いなく存在します。とにかく戦争がしたい人たちです。②攻撃に備えて軍備を充実させるべきだ、と考えている人たち。③攻撃を受けたら防衛上反撃しなければならない、と考えている人たち。④どんなことがあっても戦争はしてはならない、そのために外交力を不断に向上させていくべきだ、と考えている人たち。

 ②と③の区別は②の人たちは「敵基地攻撃能力/反撃能力」を是としている立場を取っています。③はそれは認めない考え方ですから立場として根本的な差があります。

 ④の立場の人はひとりも国民を死なせてはならないという考え方を頑なに貫いています。先の戦争を教訓に世界平和の理想を抱いて軍備保有にも反対していますし米軍基地の撤廃も祈願です。

 ①から③の考え方をしている人たちが問題なのです。一体何人の日本人の死亡を「現実に起こる」こととして戦争に賛成しているのか分かりません。そもそも「こんな設問」をした調査が無いのです。しかし程度の差はあっても戦争を肯定する人たちは「敵と想定されている国の人民」の何人かを殺さずには済まないことを当然考えるべきですし、戦争によって我が国も国民の幾人かは「必ず死ぬ」と想定していると考えないと理屈が通りません。敵方に死者は出るけど我が方には戦死者は出ないなどという「楽観」は非現実的な夢想です。数十人、数百人の死者が出るようなことがあれば可及的速やかに「停戦」に向かうべきだ、と考えるのが③の立場だと仮定すれば②の人は数万人程度の死者がわが国に出ることも覚悟しているという立場かもしれません。「好戦論者」の立場の人たちは、論の展開において戦死者の発生などということはそもそも想定せずに、我が国と敵国の戦力比較のもとにどうすれば敵方を敗戦に追い込むかを考えている人たちだと思います。そしてこのタイプの人たちは戦争が始まれば敗戦するまで国民を追い込んで、何百万人の戦死者が出ようと責任を取ろうとしないのです。

 立場に違いはありますが戦争を論じる場合には必ず戦死者が出ることを「現実問題」として考えるべきで、そんなことより「国土と国民を守ること」が重要なのだ、などという人は『嘘つき』です。

 

 プーチンの狂気がウクライナと戦争を始めて(2月24日)からもう5ヶ月を超えました。なぜこんなにロシアが手こずっているのか。その大きな要因が「国土の広さ」にあると思います。ウクライナの国土は60万㎢で我が国の約1.6倍になりますが注意すべきは国土の形状が「四角」なことです。我が国との比較でこれは重要なポイントになります。加えて地続きなことから「地上戦」が主戦場になったことです。ミサイルで大型爆弾をバンバン撃ち込む戦術であったならウクライナはとっくに制圧されていたにちがいありません。今後どうなるかは予断を許しませんが「地上戦」である限り戦況の長期化は免れないでしょう。

 翻ってわが国は弓状に狭く長く延びた島――本州(22.8万㎢)と3つの大きな島と幾つかの小さな島で構成されています(国土総面積37.8万㎢)。ということは「地上戦」は最終段階です(勿論他国への侵略や友好国との集団的自衛権行使の場合は別です)。考えられる初期のわが国への攻撃は空母や艦船からのミサイル攻撃か敵国基地からの長距離ミサイル攻撃になるはずです。原爆を初期攻撃に使用する可能性は少ないでしょうが、原爆でない爆弾の進歩はいちじるしく「全ての爆弾の母」と呼ばれる「MOABモアブ(米海軍保有)」や「全ての爆弾の父」という「モバリック爆弾(ロシア保有)」などTNT換算(広島型原爆は15kT相当)で11トン、44トンの超大型爆弾もある現状は、国家機能の中心部を狙い撃ちで攻撃されたらたちまち我が国は機能麻痺に陥るでしょうし、ロシアのように非戦闘施設を爆撃しておきながら「軍事施設」と虚偽の弁明を行ったり「誤射」と称して「原発」を攻撃されたらその被害が甚大なるのは間違いありません。アメリカが他国との戦争状態に至れば我が国の基地が攻撃目標になるのは覚悟しておくべきで全国にくまなく張りめぐされた基地網は「日本壊滅」の被攻撃地図となることでしょう。

 弓状の長く狭い国土は「防衛」を考えるとき究極の『脆弱』要素として重く受け止めて「戦争論」を展開すべきです。

 

 最後に「シビリアンコントロール」についてですが、われわれ国民は言葉の上で「自衛隊がシビリアンコントロールのもとにある」と知っているように思っていますが、本当でしょうか。敵国のミサイル攻撃で首都が攻撃された、というような「緊急事態」が発生したとき、一体シビリアンコントロールがどのような「経路」でどれほどの「速さ」で実行されるのかはほとんど知られていません。防衛費が倍増されて10兆円規模に達そうかというとき、シビリアンコントロールについての論議は併せて行なわれるべきです。

 

 軍事の専門家あるいは防衛の専門家にとって、現代戦においてわが国ほど防衛の困難な国はないでしょう。防衛の脆弱性は私のような素人にも明らかなのですから専門家にとって「解決不能」に近いかも知れません。ここにきて「敵基地攻撃能力」であったり「反撃能力」がさも「合理性」があるかのように装って論じられているのは、もはや「攻撃されてからの防衛」では国土を防衛することが不可能だということが明らかになってきたからにちがいありません。

 

 「軍備増強」が「国土防衛」に直結すると考えるのは「幻想」です。世界で唯一の「被爆国」というわが国の『原点』をもとに「核保有国」を巻き込んで「戦争をしない国際秩序」を樹立する『外交』に全力をそそぐべきなのです。

 「原爆の日」「敗戦の日」を前に「不戦の誓い」を強く思いました。

 

 

 

 

 

 

 

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