2022年8月1日月曜日

人間は自分の意志で動いているのか

  私は今だにどうして禁煙ができたのか納得がいっていません。2006年1月11日と日にちまではっきり覚えています、深夜に目が覚めて煙草を喫おうとしたのですが枕元のショートホープは空でした。いつもなら起き出して近くの自販機まで買いに行くのですがその時は「まぁいいか、出勤のときに買えばいい」とそのままにして寝てしまいました。そのあと出勤時の道端の自販機は「会社にいってからでいいや」となり、仕事がはじまると一段落してからと次から次と先延ばしして結局一日が過ぎ、二日が過ぎしていつの間にか今日に至っているのです。

 三年ほど前に妻がヘルペスに罹り、結婚してから風邪で一度寝込んだことがあったきりでまったく健康体であった妻が肩をすぼめて小さくなって果敢なげに前を歩く姿を見て、虚弱を言い訳にして面倒見てもらうのが当然と考えていた、その妻の頼りない姿にショックを受けて「禁煙しよう!健康になろう!」と決心しました。禁煙外来にもいき「禁煙ガム」「禁煙パッチ」などあれこれ試して挑戦したのですが結果をあげられずにダラダラと「禁煙修行」の毎日だったのです。それが突然1月11日の深夜を発端として何の「決意」もなくこれといった「手法」を用いるでもなく「禁煙」できたことが未だに疑問なのです。

 

 もうひとつ、その年の10月から始めたテニスも何の「脈絡」もなくある日ラケットを握っていたのです。勿論近くの公園に「壁打ち」の壁があったということや、禁煙して体調が良くなってスポーツをやりたいという意欲が湧いていたという前提はあったのですが、妻も娘たちも猛烈に反対したにもかかわらず「まぁちょっとやってみて、体力が追い付かないと観念したらスグ止めるから」と軽い気持ちでクラブに入会したのが10年もつづいたのですから我ながら驚きです。入門コースからゲームクラスまでいったのは予想外の展開でした。驚くのはその「取り組み方」で、食事、鍛錬、練習と生活の全方向をテニスの上達――技術だけでなく激しい運動に耐えられる体力アップと維持にストイックに挑戦しつづけたのです。

 幼年期に二度死線をさまよった、学校へ上れるまで生きられるかどうかさえ危ぶまれて小学校三年まで体育の時間はほとんど「見学」だった虚弱体質がテニスを続けた十年間で体重は52kgから58kgに、その他あらゆる健康診断項目が良化して生まれて今がいちばん「健康です」と明言できるほど健康になったのですから「テニスさまさま」です。

 

 80才になって、コロナもあって、ほとんど「自分の世界」のなかで生活するようになって、「世間のしばり」とか「向上心」とかから「解放」されてほとんどが「習慣化――ルーティン化」された時間の過ごし方が占めるなかで時折「隙間」ができ「思索が浮遊する」ことがあります。そんなとき「定説」にとらわれない「自由」な「自分の考え」がまとまることがあります。このコラムで「常識」や「定説――通念」とかけはなれた意見を述べることが最近多かったと思うのですが、すべてそうした時間に生まれたものです。

 「理論」にはすべて「前提」があります。それが明示的なこともありますし暗黙の了解事項として共通認識する過程を経ないこともありますが理論を構成するための「条件」は必ずあります。理論を勉強した人は前提を当然として受け入れていますが、ちょっと距離を置くと「あれ、この前提はおかしいぞ」というような「前提」「条件」も少なくないのです。齢を取るにしたがってそうした「解放」を経験する人とますます「固執」する人と二分されるようです。

 

 さてでは私はなぜ「禁煙」「テニス」に踏み出したのでしょうか。最近こんな風に考えるようになりました。「神の声」のお陰だったのではないか、そう思いだしたのです。ちょっと科学的な言い方をすれば「右脳」に届いた声が影響したのではないかと思うのです。

 人間の脳は「右脳」と「左脳」で構成されています。左脳は論理的思考をする分野で右脳は感覚的直観的な役割を担い芸術などが得意な分野です。赤ちゃんは生まれてスグは「右脳」で活動しています。考えてみれば当然のことで「論理展開」する能力が赤ちゃんに備わっているはずもありませんから。赤ちゃんだけでなく原始の時代の人類もほとんど右脳で動いたことは想像できます。巫女や呪術師も右脳に声を聞く能力が特異的に強力に備わっていたにちがいありません。今でも右脳は働きつづけているのですが左脳が強すぎて右脳の受け取った「声」を消してしまうのです。ところが左脳が休む睡眠時に夢を見たり起きている時に受け取った情報の整理や総合に右脳は機能しているのです。

 

 今の時代は「効率」や「生産性」が強く求められます。これらは「左脳」領域の機能です。我が国は長期低迷が続いていますがこれを「左脳」のせいにするのは乱暴でしょうか。人間に備わっているふたつの「脳の能力」の片方ばかりを活用していたのでは「全脳」を活用している国に後れを取っても当然です。たとえばGAFAの発明のいろいろは「右脳」が生みだしていると考えた方が納得がいきます。

 もしそうなら「左脳」能力ばかりをターゲットとしている現在のわが国「教育体系」は「失われた30年」を回復するためには不適当な教育と言っていいのではないでしょうか。

 

 安倍元総理を暗殺した犯人は論理的に殺人計画を遂行しながらたえず「右脳」に「安倍を殺せ」という神の声を聞いていたかも知れません。論理的思考だけで「問答無用」に至ったとするには無理があり「蛮行」の理由づけにならないのです。

 

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