2022年10月17日月曜日

つながる

  父が死んで33年になります。もうそんなになるのかと時の移ろいの早さに驚きを禁じえません。過去帳を繰ってみると享年82才となっていますが数え齢ですから満81才で亡くなったことになります。ということはとうとう私の年齢が追いついたのです。元中尉さんで頑健な人でしたからもっと長命と思い込んでいましたが、それよりも虚弱な私が父を追い越すことになったのは思いもかけないことです。

 毎日の朝トレでラジオ体操をやっていますが、これは父が戦後すぐに電蓄を響かせて近所の子供たちを集めた「朝のラジオ体操」が今日につづいているのです。また毎朝お仏壇のお世話をして般若心経を唱えていますがこれは小学生の頃お祖母ちゃんに躾られたもので、そう考えると今の私の肉体と心の健康の礎が幼い頃の父と祖母のお陰になりますからその恩は感謝してもしきれません。それに比べて私が子どもたちにどれほどのことを残したかを考えるとその不甲斐なさは恥ずかしい限りです。

 

 毎朝の勤行――勤行と呼べるほどのものではありませんが、とりあえず手を合わせて称名と般若心経を唱え、昨日生かしていただいた事を感謝し昨日あったことの報告をします。今なら孫の成長ぶりが報告のほとんどですが、たまに妻と諍いをしたときはそれも伝えるとともに原因や感情のもつれなども伝えます。すると不思議とわだかまりが解けて妻に普段通り「お早う」と挨拶ができるのです。要するに毎朝ご先祖と話をしているのです。これが精神衛生上とても良い結果をもたらしているように感じています。この齢になると日々の細々とした報告など誰にもできるものではありませんから気持ちの整理ができて新たな今日に向き合えるのかもしれません。

 

 核家族になって、SNSの生活に占める割合が大きくなって、家族などのラディカル空間とSNSのバーチャル空間のつながりの中で、どこまでが「人間関係」と呼べるのかあいまいになっていますがそれでもそれで満足している人が多いのですからそうした状況を認めざるを得ないのでしょう。しかしその関係性は「今、ここ、私」だけで「どこから、どこへ」がありません。つまり「横」の関係はあっても「縦――時間的歴史的」のつながりがないのです。たしかにSNSの関係は物理的な制約を超えてこれまでよりも広い人間関係が結べますが何か「はかない」関係に思えるのは縦の関係――過去とのつながりがないから「浮草」のような頼りなさがつきまとうのではないでしょうか。何人も友だちがあるのに「孤独」に陥るのはこれが原因ではないでしょうか。つまり「どこから」来たのかという自分の出自がつまびらかでないことが一種の「不安」を感じる原因になっているとは考えられないでしょうか。父母、祖父母、そして友だち――みな「今」のつながりです、「今」は瞬間瞬間に消えていくものです。祖父母、父母は自分より先に死ぬのが普通ですし友だちとの関係もいずれは消滅します。「今」のつながりの底には「消えるもの」というはかなさ、頼りなさが潜んでいるのです。これが「孤独」感を生みだしているのです。

 核家族になる前、先祖とのつながりが当たり前だったころ、未開の呪術的支配が優勢だったころ――卑弥呼のまだ以前から戦後間もないころまで先祖との交わりは生活に確然とした影響を及ぼしていました。こんなことをしたらご先祖に叱られるとか、ひとに後ろ指さされるようなことをしたらご先祖を汚すことになると言った風に。もっと具体的には今と違ってサラリーマンは少なく家業を継いで生計を営む家庭が多かったから先祖の残してくれた仕事を粗末にしてはバチが当たると懸命に家業に勤しむ人が多かったのです。高度成長の頃から地元で親の後を引き継ぐより東京へ出て、都会へ出てサラリーマンとして働く傾向が全国的に広まりました。今ではサラリーマンの割合は9割に近くなっていますし都市(東京、大阪、愛知、福岡圏)への集中度は7割近くに上っています。サラリーマン化都市化核家族化はこの70年で究極まで進展してきたのです。これを即「孤独化」と結びつけるのは早計ですが、多くの日本人の先祖とのつながりが希薄になっていることはうかがえます。

 

 今年4月に初孫を授かりました。思いがけないことで「有頂天」を実感しました。何カ月か経って、多分三ヶ月頃だったと思います。いつも通り仏壇に手を合わせて先祖に話しかけている時突然「つながった」という感情が走ったのです。先祖と私が未来という見えない時間の先に「つながった」と感じたのです。子どもたちはいずれ死ぬ――私との血脈が途切れるにちがいないという予感が絶えずありました。ところが孫はその先に広がる未来が、私の力の及ぶずっと先までつづいているのです。私の支配の圏外に私がつづいているのです。「つながった」という感覚は「私」というものの「存在圏」が無限に拡大する可能性に接続したのです。

 

 現在のわれわれは「今、ここ、わたし」に止まって自分という存在をそれ以上に拡大することがありません。「今」は瞬間瞬間に消えていく時間――発生(誕生)から消滅(死)までのブツブツした有限な線分にすぎません。いかに多くの友人とつながっているように思っても宙に浮遊するはかない点と点のつながりです。どこまでいっても頼りなさがつきまといます。だから現代人の孤独は癒しようがないのです。これが過去から未来へつづいた幅広の線のつながりとなった時ズッシリとした安定感が生まれるのです。

 

 その第一歩はは先祖とのつながりです。毎日仏壇に手を合わせるのもよし、墓参りで先祖と再会するのもよし、自分という存在を過去と結びつける習慣をもつことが精神の安定をもたらし孤独におちいる頼りなさから救ってくれるのです。

 最近そんな思いを抱くようになりました。老いのせでしょうか。

 

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