2022年10月24日月曜日

自白しない政治家は罪にならないのですか

  「記憶にない」といえば政治家は罪にならないようです。旧統一教会(以下統一教会とする)の創始者や幹部との写真や教会の大会で挨拶する動画、教会への賛辞を記した文書などがいくつ提示されても「記憶がない」といえば政治家は罪にならないという何ともおかしな論理が政治の世界でまかり通っているのです。司法の現場では「自白偏重」を見直して取り調べの可視化や客観的事実を示す証拠重視の制度改革を推進しているというのに政治の社会はまるで逆を行っているのです。この摩訶不思議な論理をマスコミも知識人も一切不問に付しているのはどうしてなのでしょうか。この論理の淵源を辿ると1976年のロッキード事件で贈収賄の嫌疑をかけられた小佐野賢治被疑者が国会の証人喚問で「記憶にございません」の一言で逃げ切ったことにあります。以来政治家は糾弾の場でことごとくこの「記憶にない」を多用して犯罪を糊塗してきつづけているのです。しかしどう考えても厳然とした客観的事実を示す証拠が提示されているのを「記憶にない」という一言で逃れるという論理はありえません。こんな論理――自白偏重の論理をヌケヌケと展開する政治家の姿を見た子どもたちに我々大人はどう説明すればいいのでしょうか。(統一教会がらみの政治家の言動が厳密に罪に相当するかの論議はここでは省略します)。

 

 もうひとつ、論理的におかしいのが現今の「円安、物価高」の対策です。150円を超える円安をアメリカのインフレ対策としての大幅な利上げと金融緩和継続を維持する我が国との金利差にもとづくドル買い円売り相場を直接の原因とし、円安による輸入物価の上昇が物価全般の上昇を引き起こし家計や企業経営を直撃している一方で国力低下に伴う「日本売り」も影響していると分析しています。政府はガソリン代の補助や電気・ガス代などのエネルギー価格抑制策、子育て世帯や低所得層への現金給付で対応しているが、そうした小手先の対応は一時しのぎの弥縫策であり、経済構造を根本から立て直すことが不可欠だとして、脱炭素やデジタル化などで世界の潮流を先取りする事業を強化し政府がそれを後押しして国力の向上につなげる戦略が求められる、というのがおおよその今の論調になっています。こうした論調の問題点をふたつ上げることにします。

 

 まず第一は「アメリカの身勝手」です。アメリカは世界経済の主導者です。だから「基軸通貨国」という絶大な『権力』を付与しているのです。どんなに「国力低下」――工業生産力が劣化して我が国に追い越されても、GDPが低下する危機に瀕しても、ドルを無尽蔵に刷ることができるという『特権』で時間稼ぎして「金融」「情報」という次世代技術を涵養する余裕をもつことができたのです。

 それだけにアメリカは世界経済の主導者という『責任』があります。自国の経済政策が世界経済にどれほどの影響を及ぼすかを分析して冷静に行動する責任があるのです。今回のインフレ対策としての「利上げ」は正当性の認められる政策です。しかしそれにも限度があります。アメリカはFRB(アメリカの中央銀行)の3会合(FOMC)で連続0.75%利上げを実施したのです。その結果アメリカのFF(フェデラル・ファンド)の金利は3.0~3.25%になりさらに年末には4.0%を目ざすと言われています。通常利上げは0.25%を幅として段階的に切り上げられます。ところがアメリカはその3倍の0.75%を3度も実施したのです、余りの物価騰貴になりふり構わず国民の不満を抑えるために利上げしたのです。我が国の物価上昇ばかりが報道されていますがヨーロッパを含めて世界中が物価高に見舞われているのです。勿論ウクライナ戦争の影響は無視できません。しかしドル建てて国債を発行して財政運営している経済弱小国の被害は「国家経済崩壊」クラスです。たしかにアメリカの物価騰貴は激烈ですがそれは「金融要因」だけに拠るものではありません。それこそ「構造要因」によるものも多分にあるのです。それを解決するのはアメリカ政府です。それをせずに、する能力もないバイデン政権がすべてを「金利アップ」という金融政策だけで解決しようとしているのです。ヨーロッパはこうしたアメリカの「わがまま」にこれまで何度も抗議してきました、今度もしています。我が国は一度も「反抗」したことがありません。唯々諾々とその軍門に下って――国民を犠牲にしてアメリカに服従してきたのです。どうしてマスコミや知識人はアメリカを非難しないのでしょうか。今回もまた国民と中小零細企業だけが泣かされるのでしょうか。

 

 二つ目、「国力低下」って何のことですか。「指標」を上げて具体的に示してください。これまでも繰り返してきたように経済力の総合指標である「GDP」は世界第3位を維持しています。確かに1位2位のアメリカ、中国との差は拡大の一途です。だとしたらドイツもイギリスもフランスも国力低下しているというのですか。そうは誰も言わないではないですか。

 我が国の現状は『経済問題』が原因ではないのです。国全体――社会制度であったり学校制度であったり文化の問題も関係しているのだということにどうして目が向かないのでしょうか。大体今の経済制度は高度成長期からのもので半世紀以上経過しています。この変化の激しい時代にそれではグローバル化に適応できるはずもありません。女性の力が半分も活用されていない、学校制度は高度成長期に求められた「単一モデル」の大量生産システムのままです。言葉上は「グローバル化に適応した」多様性、創造性を謳っていますが入試制度が50年前からまったく同じ評価尺度では変化するはずがありません。労働組合を企業経営の阻害要因と捉えて、政治も加担して組織率低下を図ってきたのですから経営力の「多様性」が損なわれて当然です。若者の活用の半分は非正規雇用ですから新しいものを生み出す力が衰えるのも当然で、おまけに教育への公的資金の投入量がOECD最低では成長力を望むこと自体がまちがっています。純経済問題と捉えて日銀を「子会社化」して中央銀行の「国債引き受け」という禁じ手を10年間実施したのですから我が国が世界で一番「インフレに弱い国」に成り下がって当然です。ここからの脱却は至難の業で日銀黒田総裁の責任は重大です。

 

 国難国難と政治家は時局を都合のいいように利用しますが現在のわが国の状況は生やさしいものではありません。「国のかたち」を本気になって改革する覚悟がないと立ち向かうことはできません。自分を国に差し出すつもりで――自分の有利な立場を投げだすことを厭わずに率先垂範できる政治家が今ほど求められている時代はないでしょう。「記憶にない」と自分の過ちの責任を負わない政治家など今すぐ退場願いたいものです。

 

 

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