2022年10月31日月曜日

見えないもの、分からないこと

  プーチンは卑怯者だと思います。この期に及んでたとえニ十万三十万の兵を手当てしたところで戦況好転の可能性はほとんどなく、ましてわずか三日ばかりの訓練で武器も糧秣も不足する状況では、戦地に送り込むということは「自殺」に追いやるに等しく、そこまでするプーチンの狙いは絶対的不利な状況のなかで停戦の時間稼ぎをして少しでも自分に有利な条件を引き出そうとする他にありません。このまま泥沼の長期戦がつづけば敗戦は必至でそうなると自分の生命も危険にさらされることは自明の理ですから、プーチンは必死で命永らえる策を得んがために無辜の国民を戦地へ赴かせようとしているのです。

 なぜプーチンがこのような無謀な戦争に突き進んだかといえば、見えないもの、分からないことへの畏怖の精神がなかったからです。「傲慢」だったのです。狂信的な世界観(ロシア正教的宗教感と歴史観に基づく)とそれを補強する情報のみを収集(イエスマンの取り巻きから)して戦術を組み立てたからです。結果として同盟関係にある中国、インドとさえ価値観を共有することができなかったのです。

 

 しかしこうした傾向は決してプーチンだけではありません。ここ3世紀ほど人類を制御し世界を蹂躙してきた主たる考え方――工業化を土台とした欧米の近代主義は概ね「科学主義」を奉じて「見えないもの」から目を逸らし「分からないこと」を分からないままに「結果」だけを功利的に利用してきました。その最悪の例が「原子爆弾」と「原子力発電」です。原子核のエネルギーを一挙に解放してその破壊力を活用したのが「原爆」であり、原子核のエネルギーをコントロールしてその熱エネルギーを電力に転用したのが「原発」です。しかし爆発がもたらす破壊力以外の原子核エネルギーの人体や自然への影響を解明する過程は研究せずに実用化してしまいました。発電したあとの廃棄物の処分、発電装置の廃棄技術は分からないままに世界中に原発を設置してしまいました。「安全神話」は分からないことを放置したまま偽装されたものです。そこには「見えないもの」を「畏れ」る精神は微塵もなかったのです。

 科学は「科学の方法」で分かるもの、分かり易いものに特化して発達してきました。北朝鮮がミサイル実験を繰り返していますが、これは超音速における空気の流体力学のロケットが飛ぶのに必要な知識だけをうまく利用しているのですが、超音速流体力学についてのその他の現象についてはほとんど分かっていないので実験を繰り返しているのです。流体力学でいえば、ビルの屋上からチリ紙を落としたときの「軌跡」と「落下地点」を現在の科学で予測することはできません。ヒトゲノム解析が99.9%完成したと言われていますが、機能不明な暗黒物質(ダークマター)というDNA配列が存在しこれらの分子が制御する生命機能の全体像はまだ解明されていないのです。 

 私たちは理科の教科書を勉強すれば科学のすべてが分かるように思い込んでいますが実は「見えていないもの」「分かっていないこと」の方がずっと多いということに気づいていません。というかそんな教育を受けてこなかったのです。だから「専門家」のいうことに疑問を持つという習慣がないのです。原子力の専門家が「安全」だといえば信用してしまいますし、医者に「あなたの余命は3ヶ月」ですと告げられるとそうなのだと覚悟するのです。しかし原発は安全ではなかったし、ガンの余命宣告を受けても2年も3年も生きた患者は決して少なくありません。

 

 突然変なことを言いますが、人類が知性を持つ以前、自分の頭で考えることができる前、さらにいえば意識を持つまでは、どのようにして行動していたのか考えたことがありますか(この3つは厳密にはまったく異なる現象ですが今は深く突き詰めないでおきましょう)。「本能で動いていた」というひとが多いでしょうがでは、本能はどう行動に結びついたのでしょうか。

 人間の脳は右脳と左脳に分かれています。論理的思考などの知的な機能は左脳が、一方右脳は感性に基づく芸術などの機能を担っています。読み書きや会話などは左脳の分野ですし顔や図形の認識、声や音の認識は右脳の働きです。古代の人たちは太陽の光や温度、風の感触や音の認識を右脳で受けてそれがDNAに埋め込まれている食糧を獲得する動作や有毒な食物を避ける本能などを刺激されていたのでしょう。今と違って右脳が人類の行動の多くを支配していたにちがいありません。やがて言語を習得し文字を発明するなど左脳の領域が拡大して今日に到っているのです。

 古代で活躍していた右脳の働きが退化して左脳ばかり酷使されているのが現代なのです。

 

 現在の国際的緊張も見方を変えると経済や戦力など左脳領域ばかりで考えているから解決不能に陥るのであって、右脳を働かすと西側の価値観と異なる中国やロシアなどの文明の力が増大してこれまでの従属に耐え切れなくなった『文明の衝突』と捉えることが可能になります。そうなると戦力による暴力的な解決ではなく「文明の融和」というより大きな視野でこの危機を乗り超える展望も開けてくるのではないでしょうか。

 

 「秩序」というものはそれで守られている人にとっては心地よいものでしょうがそこへ後から入った人には居心地の悪いものですし理不尽でもあります。別の言い方をすれば「秩序という価値」を共有できる人とできない人がいるということです。今の世界はわれわれ「西側の人間」にとっては勝手の良い「秩序」ですが中国やロシアにとっては理不尽なものと映っているにちがいありません。

 

「秩序」というもので「見えなくなっているもの」があることに気づかないといつまでたってもひとつの地球をつくることはできないことに気づくべきです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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