2022年11月28日月曜日

東大一直線でいいのか

  岸田内閣の閣僚辞任ドミノがつづいています。しかしここでちょっと考えてみなければならないのは彼らのやったことは閣僚だから辞任しなければならないのかということです。そもそも国会議員として不適任ではないでしょうか。旧統一教会との不適切な関係とか政治資金の不法な支出などは議員としても責めを負うべき所業として非難されるべきで閣僚が辞任になるなら議員としても不適格になるのでは、と思うのですがどうでしょうか。 

 唯一「死刑のハンコ」発言だけは「法務大臣」として完全に不適格として断罪されるべきです。彼は東大卒の警察官僚のエリートですが、この種の「東大卒の政治家やエリート官僚」の不祥事や倫理的に批判される例は枚挙にいとまがありません。東大に関してはこんな話もあります。東大理三は偏差値78で全国最難関の学部なのですが、ただそれだけの理由で全国の勉強のできる生徒がここを受検するというのです。彼らは自分が全国トップレベルの大学の学部に合格したという「勲章」が欲しいだけなのです。なぜなら今の学校制度の頂点――「共通一次(現在の「大学入試センター試験」)」で最高得点を獲得することを目指しているからです。問題はこの「東大理三」という学部が『医学部』だということです。正式には「東京大学理科三類」といい、同大学「教養学部前期課程」に設置されている科類です。理三の対称にあるのが二浪三浪して医学部を受検する生徒や女子生徒で彼らは「使命感」をもって「医学」の道に進みたいと願って医学部を受検しているのですが不当に差別され排除されています。「適性」も「意欲」も「使命感」もない――希薄なのにただ「偏差値が全国トップ」という理由だけで東大「医学部」に進学する生徒の存在が堂々とまかり通っている現在の学校制度はグローバル化の今、曲がり角に来ていることは間違いありません。

 

 ところが文科省の打ち出した学校制度の改革案が「リスキリング」と「ギフテッド教育支援」なのです。

 「ギフテッド教育」というのは元々はIQ(知能指数)などを基準に「特異な才能のある」生徒を見出してその才能を伸ばそうという教育をいいます(専門的には領域非依存的才能を伸長する教育などと言いますがここでは大ざっぱに先に述べたように表現しておきます)。要するに知能指数が高かったり特定の分野に異常な才能と興味があるために、現行の画一的な教育課程に「なじめない」――レベルが低すぎて学校の学習に興味が湧かなかったり、興味のない教科に意欲がわかなかったりして、落ちこぼれたり登校拒否したりする生徒をすくい上げ、特別学級(学校)に集めて特殊教育を施して才能を伸ばし、発明・発見につなげたり経済のイノベーションに生かしたりしようというのです。

 一方の「リスキリング」は「技術革新やビジネスモデルの変化に対応するために、新しい知識やスキルを学ぶこと」で2020年のダボス会議において「リスキリング革命」が発表されて一躍わが国でも脚光を浴び経産省が主導しています。経済成長のためには企業のDX(デジタルトランスフォーメーション)推進が不可欠でありその人材育成が喫緊の施策であるという認識のもと2021年「デジタル時代の人材政策に関する検討会」を設置して本格始動したところです。現在ではデジタル関係のスキルに限らずイノベーションや個人のキャリアアップのための多面的な支援を図ろうとする動きも起こっています。

 

 果たしてこれらの対策で沈滞したわが国の「経済力」を改善できるでしょうか。劣化した「イノベーション力」を再生できるでしょうか。可能性は極めて低いでしょう、それもほとんどゼロに近い。

 まずギフテッド教育支援策について言えば「選択される人材数」が分母(人口あるいは学齢人口)に対してあまりに少ないですし、選択基準もあいまいで選択する人、組織が信用できるかどうかという問題さえあります。更に教育システムがキチンと整備できるかどうかもあやしいものです。大海に竿を下ろして一本釣りするようなもので何ともあぶなっかしい政策といわねばなりません。

 リスキリング支援策はそもそも「経済成長のため」「DX推進」という制限がかかっている時点で我が国全体の教育レベルアップとイノベーション力向上には結びつかないでしょう。まず我が国の「経済成長」が沈滞から脱却するために何が必要かは今のところ誰にも分っていませんし国民的同意も形成されていません。そのうえ「DX」分野に特定して教育を集中したところで現状の世界レベルに追いつけるかどうかも不安ですしそもそも「プラットフォーム(ITビジネスや文化の場の提供者)」をアメリカに握られている現状を突き破れないならばいくら個人的な知識レベルをアップしたところで国際競争で我が国が成長の最前線に立つことは不可能です。

 とにかく「追いつけ、追い越せ」モデルでない、「目標」が明確でない市場では、政府が上から主導するような成長モデルが機能しないことはこれまでつぎ込んできた何百兆円という予算の無駄遣いで学習しているはずです。

 

 たったひとつ言えることは、高等教育を含む教育機会を平等に汎く国民に与えること以外に停滞脱却の道はないということです。現状は一定以上の所得(資産)を保有する家庭以外は良好な教育環境が整えられていませんし優秀な才能・知能を持っているにもかかわらず高等教育を受けられずそれを社会的に開花せずに終わっている子どもたちが非常に多く存在しているのです。あたら優れた才能が利用されず捨てられているのです。貧しいけれど意欲に溢れた有為の人材が、恵まれた環境でただ「入試学力の誇示」だけのために多くの税金をつぎ込んだ有名大学に入学している人たちに教育の道を妨げられているのです。

 こうした現状を打破するには『教育の無償化(大学まで)』しかありません。現在の教育制度から落ちこぼれている多くの有為の人材をすべてすくい上げるためにはこれしかないのです。そのうえで現状の「東大一直線」の「単線型教育システム」を「複線化(総合学習型、専門学習型、職業技能習得型など)」して多様な子どもの能力を「洩らさない」教育制度に改革するのです。試算ですが「教育無償化」に要する費用はおよそ2兆円――消費税1%アップで賄えると言われていますから国民も気持ちよく増税に応じるのではないでしょうか。

 

 最近10年のノーベル賞受賞者10人を生年月日別に分類してみると、戦前から1951年(小学校入学時点が戦前戦後の貧しい時代に過ごした)までに生まれた方が7人も占めています。貧しいことは教育にとって決してマイナスではなくむしろ「意欲」と「問題意識」を先鋭化するには有効に機能すると見ることも可能なのです。

 政治はウクライナ戦争に乗じて防衛費を5兆円増額することに血眼ですが我が国の100年先――いや30年先を見据えるならむしろ「教育費」こそ最も『戦略的費用』なのではないでしょうか。


 

 

 

 

 

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