2023年1月16日月曜日

おもちゃがない

  8ヶ月を超えた孫は「人見知り」真っ最中、月に2回ほどしか会っていない私は致し方ないとしても、娘に頼まれてホイホイと嬉しそうに世話しに通っている妻には少々気の毒な気もしますが徐々に見知り度が緩和してきていますからもうちょっとの辛抱と我慢しているようです。赤ちゃんのこの時期はやっと他者の認識ができるようになって「母親」という絶対的な保護者に依存する成長段階ですから「人見知り」は大事な過程です。周りのおとなの辛抱強い愛情が必要な時期でもあります。

 

 お年玉に「たいこ」をあげようと、珍しく妻と意見が一致して探したのですがこれが難事業でした。胴が木製で革をはった昔ながらの「太鼓」をイメージしてあちこち探し歩いたのですがありません。そもそもいわゆる「おもちゃ屋さん」がないのです。ゲーム機やゲームソフトを扱っている玩具店や大型玩具ストアはあるのですがそんなところに和風太鼓はあるはずもなく、ほとんどのおもちゃは電池式電子音付きのタイプばかりです。それでもなんとか見つけた大型店のすみっこに陳列してあったプラスチック製の片側だけ「面」のある「たいこ」には「3才~」というシールが印刷してありましたが他にイメージに合う「たいこ」がなかったのでこれに決めました。

 はじめて子ども連れで正月挨拶にきた娘夫婦はそれなりの雰囲気をただよわせていてなかなかのものでした。予想通りシクシク泣き出した孫でしたが案外早く場になじんで、大勢にかまってもらって満足な様子であっちへいったりこっちにきたりと愛想をふりまいています。頃合いを見計らって「たいこ」を見せたのですがほとんど興味を示さないばかりか、ではと「堂本ひさお(尚郎)」の画集を渡すとこれが気に入って分厚い本を手当たり次第にページめくりしはじめたのです。装丁がしっかりしていて表紙がちょうどいい厚さでめくりやすく中身の絵のページがしっかり目のアート紙で手に合ったのでしょうか、抽象画に見入っているようにおとなしくしていたのが突然ビリビリと破ってしまったのです。そして破いた紙片をヒラヒラさせたりじっと見つめたりしているのです。パタンと表紙を閉じてまた切れ端をはさんだりとしばらく遊んでいました。「おとうさん、これ3才以上て書いてあるやん」、箱の年令制限をみて娘はちょっとムリかなといいながら「たいこ」を持って帰りました。

 ところが翌日娘から動画付きで届いたLINEには、付属部品を一切取り外した「たいこ」だけを投げつけたり転がしたりしてキャッキャと笑い転げている孫の姿がありました。投げつけるたびにドンドンと太鼓の音がしてコロコロしていく後を笑い声をあげながら素早くハイハイで追いかけていく姿はシンから楽しんでいるように感じられました。「スティックとヒモは危ないからはずしたら急に遊ばはるようになった」と娘の説明。孫はおとなたちの「押しつけの遊び」を否定して思いもかけない「あそび」を発明したのです。

 

 この太鼓にはスティック2本とヒモが付いていて、太鼓を首から吊るして2本のスティックで叩きながらブラスバンドのように行進する「あそび」をイメージして「3才~」の「おもちゃ」と設定したのでしょう。しかし我が孫はそうした大人の思惑をはみ出たところで0才8ヶ月なりの遊びを見出したのです。これは「叩く」ことに興味をもって床といわず壁といわずテーブルも箱も叩きまくっている孫の姿に「よし太鼓をお年玉にやろう」と思い込んだジジ、ババの思いとそれとも知らない孫がとんでもないあそびを発明したのです。

 大体子どもの遊びが「おとなの制限」内におさまると考える方がおかしいのです。「ゲーム」の悪影響でしょう。子どもはいつでもおとなの思惑を超えて手こずらせてきました。大人の考える「遊び道具」がひとつもない状況でも子どもはあそびを発明し勝手に楽しむものです。それでこそ「子ども」なのです。与えられる「おもちゃ」は少なくて子どもたちが思い思いで「つくり出した」遊び――道具のある場合もない場合も――で楽しんだものでした。それがいつの間にか「全部」が「与えられた」おもちゃで遊ぶようになったのです。「3才以上」という「制限付きおもちゃ」ばかりになってしまってその結果年齢と共に「おもちゃ」は増え続け、子ども部屋の一角は使われなくなったおもちゃの収納場所に成り果てているのです。

 

 大人は「無批判」におもちゃ屋さんの年齢制限を受け入れて「年齢制限シール」の貼ってあるおもちゃを与えてそれで良しとしています。その結果本来なら「プラスティック太鼓」単体で1000円から1200円で買えるおもちゃがスティック2本とヒモ付きの「3才~」の「知育おもちゃ」に形をかえて「2300円」で買わされているのです。「福笑い」が輸入物の「福笑い」にとって変わって「顔プレート3枚」と「顔部位」が50個ついて4300円になっておもちゃ売り場に並んでいるのです。

 

 今の社会は「シール(レッテル)」――「レッテル社会」になってしまっています。幼稚園から「名門」というレッテルがあってそれが小学校から大学まで拡張されてそのゴールは「大企業」というレッテルに結びつくのです。「あそび」は「買う」もの「消費するもの」に成り果てて「年齢制限付き知育おもちゃ」から「ゲーム」になって「ディズニーランド」と「USJ]になり「パック旅行」までがラインナップされた「商品」が提供されています。そうでありながら「創造力」のある人材が求められ「失われた30年」からの脱却は「創造力」をもった「若者」が救うのだと「教育改革」がすすめられているのです。 

 

 「3才以上」と制限のつけられた「たいこ」を投げて音と転がりを楽しんで、ジジの画集を乱暴にめくり遊んでページを破いて喜んでいる8ヶ月の孫。このまま成長して欲しいと願いながら「変わった奴」と「仲間はずれ」にされるのではないかと心配している「ジジとババ」が世の中にどれほどいるのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

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