2023年1月2日月曜日

八十才になると

 昨年一年八十才を生きてみて「歳をとるっていいことだなぁ」と思うようになりました(12月2日で81才ですが)。

 勿論わが家では初孫の誕生や長女のマンション購入などめでたいこともありましたし私自身も父の三十三回忌を務めて一応長男としての役目を果たすことができて安堵と解放感を得るという事情もあったのですが、それを差し引いてもそう感じるのです。コロナという特殊事情も大いに影響しているのはまちがいありませんが、「ムダなもの」が無くても生きていける、それも結構楽しく暮らせるのだということを知ったのです。

 生きていく上で欠かすことのできないもの、最低限の衣食住を満たすもの以外をムダとすれば、たとえば旅行であったりショッピングのような「お金を費う愉しみ」を私たちは長い間「豊かさ」と誤解してきました。しかし「コロナ自粛」は強制的にそうした「快楽」を「強奪」してしまったのです。考えてみると戦後の窮極の「貧しさ」から脱却するために懸命に働いて「成長」という「果実」を獲て、「持ち家」「3種の神器(3C・カラーテレビ、カー、クーラー)」という「欲望」を提供されて、それを手に入いれることで「幸せ」になれると「幻想」してここまで来ました。国内旅行が海外旅行へ、規格品がブランド品へ、義務教育から名門大学へと欲望は膨張の一途をたどりました。「世界第二位のGDP」に上りつめ「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という称号も獲得できました。しかし「バブル崩壊」で一挙にどん底に突き落とされ、以来「失われた30年」がつづくなか更に「コロナ」という災厄に打ちひしがれたのです。

 しかし、そこで、われわれは「ムダなもの」はなくても生きていける、それも結構楽しく生きられるということに気づいたのです。

 

 そんなことが言えるのは「年金生活者」だからだと決めつけられればそうなのでしょう。そうだと思います。仕事もせずに毎月生活に困らないだけの年金が支給されるのですから結構なご身分です。でもこれまでは「安い」だの「もっと増やして欲しい」とか文句ばかり言い募っていた年寄り連中も、コロナ不況で失職に追い込まれて困窮する若い人たちの窮状を間近に見て「贅沢」を言ったら申し訳ないという気持ちになったというわけです。

 気づけば戦後間もないころと同じように「半径1キロの生活圏」を歩きと自転車で過ごして、毎朝の散歩で行き通っている何の変哲もない町の公園が春の桜も秋の紅葉も美しいことに気づき、妻の手作りの料理でのむ「家呑み」で十分酔えることを知り、バーでなく互いの家を訪ねあう友人同志二三人の飲み会が半年一回もあればそれが愉しみでそこで交わされる会話の中で刺戟を受ける心地よさを知ったのです。

 ムダを削ぎ落した「コロナ生活」。その結果仕事を失った若い人たち。非正規雇用でアルバイトを2つも3つもかけ持ってようやく生活できていたシングルマザー。そんな人たちをドン底に追い込んだコロナは「ムダを生産」しなければ「成長」できない、成長しつづけなければ成立しない「資本主義」という制度の欠陥を剥き出しにしました。そして「市場の自由」にまかせた「資源配分」で運営される「資本主義」では「コロナワクチン」が貧しい国には行き渡らないことも分かったのです。

 

 「ムダなものを生産しなくても成り立つ資本主義」と「市場の自由な資源配分にまかさない資本主義」。これを創造することが「21世紀の課題」なのです。

 

 2022年は「プーチンの狂気――ウクライナ戦争」の年でした。しかしロシアだけでなく世界中で「行政の暴走」が蹂躙しています。プーチンも習近平も金正恩も独裁者ですから行政だけでなく立法権も司法権も独占していますがトランプの「行政の暴走」は近々指弾されることでしょう。そしてわが国の安倍、菅の「行政の暴走」は岸田に至って極限に達しました。本来国会で熟議されるべき「軍事大国化」も「原子力発電の縮小から最大活用」への大転換も「内閣の独断」で強行されようとしています。これほどの重大な政策が2021年の総選挙では公約にされていなかったのですからこれは「民主主義の冒涜」以外の何ものでもありません。「新しい資本主義」という美名で国民を欺き「国民の声」に耳をかさず「派閥の領袖の顔色」ばかりをうかがっている「聞く力総理」には本気で「新しい資本主義と民主主義」を構築して欲しいと願って止みません。

 

 明けましておめでとうございます。ウクライナ戦争、コロナ、物価高、軍事大国化、原発利用の拡大と明るい見通しのまったくない2023年を迎えるに当たって何とか希望を見いだそうとしたとき、八十才の昨年一年に感じたことを書いてみようという結論に至りました。実際この三年(コロナが2020年1月にわが国で発症して以来)、恵まれた友人、知人たちとの格差が消滅して一切のわだかまりがなくなったように感じます。あれもこれもと追い立てられるような日々が無聊の一日の連続に変化して、でも、これでもいいかというあきらめ、開き直りがめばえて昨年暮れの「行動制限のない」年末年始にもあわてて海外旅行に出かける友人もなく穏やかな年越しを迎えたようで好ましい新年になったことを喜びながら今年最初のコラムにすることができました。四月には九百回を迎えることができそうで目標の千回を目指して精進していく所存です。

 本年もよろしくお願いいたします。

 

 

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