2024年9月30日月曜日

読書離れ

  元旦に大地震に見舞われた能登半島にまた記録的な豪雨が襲い被災者が暮らす仮設住宅が床上浸水の被害にあいました。しかもこの仮設住宅は洪水リスクの高い想定区域に建設されていたのです。当初から指摘されていた立地のリスクが現実になったことになり行政の責任は明らかです。史上まれにみる惨状を経験した被災者が追い打ちをかけるようにまた被災する――高齢者も多い被災者の今後が気遣われます。それにしても石川県馳知事の県政運営はあまりに杜撰かつ無計画すぎます。少なからぬ部分は人災ですから責任を明確にして謝罪すべきです。

 

 本を月に1冊も読まない人の割合が6割を超えたという発表がありました。文化庁の「2023年度国語に関する世論調査」によるもので2008年以降の調査で最も多く5割を超えたのもはじめてです。

 一方で出版社の業績悪化も著しく2023年度には36.2%が赤字となり過去20年間で最悪の状況に直面しているという報道もあります。全国で書店が減少しつづけている現状もあり読書を取り巻く環境は極めて厳しいものがあります。

 

 80才を超えてそれでも健康に過ごしているご同輩も結構多く彼らがどんな晩年を送っているか興味があるのですがどうも「老後を持て余している」感が強いのです。私の周りは大卒が多く知識産業(職種)に勤務していた割合も多かったのですが――60才前後から70才頃(嘱託も退いて仕事から離れる時期)にかけてリタイア後の話をすると多くが「晴耕雨読」を口にしていましたが最近は「目が衰えた」「根気が続かん」とほとんど読書から遠ざかっているようです。先の調査で0冊の割合を年代別に見ると20代71.1%、30代73.5%、40代80.2%50代85.1%60代91.5%になっていますから統計的にも高齢者の読書が低調なのが分かります。

 

 読書離れの理由はインターネット・スマホに時間がとられるやSNSがあげられますが――直接的な原因としてはそれが正しいのでしょうが、意外と忘れられているのが大学の「教養学部の廃止」ではないでしょうか。1991年に大学設置基準の大綱化あって卒業に必要な一般教育の単位数の規定がなくなるとともに多くの大学で教養学部が廃止され2023年4月現在国公立大学では東京医科歯科大学に唯一教養部が残っています。大綱化の詳細は省きますが学習と卒業の安易化――入るのは苦労するが卒業は誰でもできるというこれまでの弊害が一層強まっているように感じます。

 高校までの受験勉強一色から解放されて好きな勉強ができる――目新しい学問分野や全国から参集したレベルの高い同期と先輩の読書量の多さに圧倒されて少々恐れをなしながらもそれ以上に学習意欲に駆られて猛烈に読書に打ち込んだ「教養学部時代」がその後の人生の修養・修練の期間であったように覚えています。そこでの先輩同期後輩たち、そして教授との交わりは今でも人生の貴重な糧となって今日に至っています。この時期に読んだ本はその後の人生の基礎図書になっていることが多く、私もE・H・フロム『自由からの逃走』、ジョン・K・ガルブレイス『豊かな社会』は終生の愛読書になりました。社会や国民のニーズに即応した大学の弾力化・柔軟化の美名のもとに行われた「改革」ですが当時の経済界の要求として改革そのものの要因であった「即戦力化」は未だに実現できていません。経済界の求める人材像も時代とともに変化し今では「課題設定・解決能力」「論理的思考力」「創造力」になっていますがこうした能力は、幅広い読書と深い専門性、そして熱い友人関係を通じて醸成される能力で、「教養学部」で練磨されていたように覚えていますし「リベラルアーツ」は欧米の大学の重要な修得学問になっています(ハーバードをはじめとした名門校はリベラルアーツを起源としている大学です)。

 平易化された大学で1年から専門分野ばかりの狭い領域を学習する今の制度では幅広い読書を修練する機会は限られています。

 

 出版社の業績悪化も読書の衰退に影響を与えています。出版科学研究所のデータによると返品率(金額ベース・2019年)は書籍が35.7%、雑誌42.9%になっていますがこれにはベストセラー、ロングセラーも含めた数字ですからこれを除外した書籍の返品率は5割を超えているのが実状です。出版した半分が売れないようでは製造業としては破綻しているといっても過言ではありません。極言すれば「粗製乱造」で毎日毎月氾濫する新刊書をどう選べばいいのか、結局平積みの人気書を選ぶしかなく系統立てた深い読書にはほど遠い環境に置かれた現状は、読書はSNSやテーマパークなど多様なエンターテーメントと競合する立場に追いやられていて、その割に要求される知識技能は多く、面倒くさい選択肢になりますから自然、遠ざけられてしまうのではないでしょうか。

 

 読書はなぜ必要なのでしょう。これまでも多くの人たちが読書をしてきましたし、今活躍している政治家や官僚、企業経営者の多くは人並み以上の読書量と勉強ができた人たちですが、政治は停滞していますし官僚は文書改竄を平気で行ったり忖度を憚ることもなく、企業経営者は多額の報酬を得ながらイノベーションを起こせずに世界で唯一、ゼロ成長を甘受しています。第二次世界大戦という貴重な代償を払って手に入れた「平和」でありながら80年経った今、ウクライナでもガザでも戦争がつづき北朝鮮は原爆の製造を止めようとしません。プーチンもゼレンスキーも金正恩も賢くて豊富な読書をしてきたはずなのに。

 

 ショーペンハウアーが『読書について(光文社古典新訳文庫)』こんなことを書いています。「読書することは、自分でものを考えずに、代わりに他人に考えてもらうことだ。(略)思想体系がないと、何事に関しても公正な関心を寄せることができず、そのために本を読んでも、なにも身につかない。なにひとつ記憶にとどめておけないのだ。」

 本を読んで多くの知識を手に入れても、「何かのために」役立つものだけをバラバラな知識として「暗記」していたのでは、「公正な関心」にもとづく「思想体系」はできません。最高学府を出た政治家や官僚が「不正」な判断をする原因はここにあるのでしょう。

 

 PC・スマホが普及してAIが進化すれば、過剰な情報が「AI検索」によって一方的に「自分の考え」であるかのように提示されることも容易に現実化するにちがいありません。その結果「望まない方向」に無意識に導かれることになる可能性は大いにあります。そうならないように「情報」を「批判的」に収集するために「正しい」読書は有効なのです。

 「愚鈍と不作法はたちどころに広まる」。ショーペンハウアーのことばです。

 

 

 

 

 

2024年9月23日月曜日

死語

  バスの車窓から見える街路樹のイチョウは9月半ばを過ぎても36、37度という異常高温のつづくなかにもかかわらずもう3分ほど黄葉づいています。イチョウはスゴイなぁと思います。現生する樹木の中でもっとも古い、約1億5千万年の歴史をもっていますから――ほかの植物がみな化石になったなか唯一生き残った強烈な生命力をもつ樹ですからこんな異常高温などものともしないのでしょう。バスを降りて昼下がりの住宅街を歩くとほんの十日前まで日陰がまったくなかったのに家の影が伸びて太陽を遮ってくれてわずかな風のそよぎにも涼しさが感じられます。太陽が真上から少し斜めに下りてきているのでしょう。自然は少々の異変などに関係なく悠久のいとなみをくり返しているのです。

 それにくらべて人間はたった50年で節操もなく変わり果てています、清貧、孤高、卑怯者などの言葉が死語になったように。もっとも聞かなくなったのは「清貧」でしょう、たまたま今週終章を迎えるNHK朝ドラ『虎に翼』の終戦直後のシーンで餓死した裁判官が話題にのぼりその死にざまを「清貧」と呼んでいたので思いだした人もあるかもしれません。清貧という生き方は完全に姿を消しています。こんな世相ですから生活に困窮している人は少なくとも2千万人(相対的貧困率15.7%)は下りませんが彼らは好んでそんな状況にいるわけではありません。「労働力の流動化」の美名のもとに「非正規雇用」という「働き方」を《圧しつけられた》人たちです(真ただ中の自民党総裁選で「解雇規制の緩和」を行なって労働力の流動化を促進しようと提案している候補者がいます)。一方「清貧の人」は自分の生き方を貫くために「貧しさ」を選んだのですから根本的に異なります。「孤高」はもっぱら新聞の「訃報」の中で逆境にもかかわらず自説を貫き通した人を尊称する場合に用いられていることが多いように感じます。それに比べて「卑怯者」は今でも使われる機会が残っている方ですがマスコミで「彼は卑怯者だ!」と断罪した人がいました、梅沢冨美男さんです。話題の斎藤元彦知事を「卑怯者!」と称したのです。あまたの識者・コメンターターが歯切れの悪いコメントを繰り返す中で久々にスカッとしたのですが「卑怯者」は彼ではなく片山前副知事に当てはまる表現ではないでしょうか。斎藤知事はもっと悪辣な、人間的に厳しく非難されるべき表現を当てるべきだと思うのです。森友学園問題の佐川財務局長――彼も齋藤さんと同じくその所業によって人を殺していますから――にも当てはまるような言葉を探したのですが『卑劣』以外に思い当たりませんでした。

 

 「卑怯者」には臆病というニュアンスがありますから、まさかここまで自分の悪事が明らさまになるとは思っていなかった片山さんは考えられる限りの権力をかさにきた威圧的でネチネチ、どぎつい詮索・捜査を行なって知事――上役への忠誠心を示し忖度したのです。ですから形勢我に利あらずとみるや尻に帆かけて逃げ出したのですがもっとも似合わない「泣き」まで演じたのですからみっともなさも極まりました。もともとが小心翼々の小役人で保身に関しては臆病ですからまさに「卑怯者」は片山さんに献ずべきなのです。

 前任の井戸知事は5期20年の長期政権でしたから県庁の隅々までその威光は行き渡っていました。長期政権の悪弊は権力構造に歪みをもたらします。そんな中で人事畑を振り出しに企画県民部管理局長、西播磨県民局長、産業労働部長、公益企業管理者などを歴任した片山さんは井戸体制の中をもっとも上手に泳ぎ亘った「役人」の典型です。当然知事の庇護のもと隠然たる権力を保持したでしょうしそれを快く思わない職員も多かったにちがいありませ。事務方トップに上り詰める直前で定年退職せざるを得なかった彼は心残りであったことでしょう。しかし井戸さんと同時に片山さんも県庁から去ったことで井戸体制に批判的であった人や処遇に恵まれなかった職員はヤレヤレと思ったにちがいありません。

 ところが信用保証協会の理事長に収まっていた彼が斎藤体制になるや副知事に返り咲いたのです。改革を期待した職員が失望したのは想像に難くありません。独断専行のキャリア官僚上がりの知事と県庁に張りめぐらされた旧体制の権力構造を熟知した「副知事願望」の極めて強い「役人根性」丸出しの「寝業師」がタッグを組んだのですから最悪の権力体制です。心ある職員は絶望感におそわれたにちがいありません。当然の結果として組織に忠実な「イエスマン」が要職を占めることになります。元県民局長と同時に「捜査」を受けた職員にスマホの「スピーカー」を強要した人事課員はそれが「盗聴」に値する「違法」な行為であることは熟知していたはずです。それにもかかわらず違法行為を断行したのは県庁職員としての倫理観を放棄して「忖度職員」に堕落してしまっていたのです。

 

 長々と兵庫県知事問題を述べましたが、これが今の「“勝ち組”至上主義」を象徴していると思うからです。能力を評価されて組織に生き残る、そして上り詰める。そのためには自分を放棄するのも仕方がない、そんな「価値基準」を信じる人が世間を牛耳っているように感じてなりません。しかしその評価・承認はそのときの「組織にとって」「上役にとって」都合のいい基準に過ぎません。井戸さんに認められる基準と斎藤さんのそれは異なっていることもあるでしょうし10年20年のスパンで見れば組織の評価基準も変化して当然で社会という広い範疇で考えれば30年も経てば価値基準は大きく転換してしまいます。上述の「清貧、孤高、卑怯者」は私たちの子どもの頃までは重要な「倫理」だったのです。それが今や『死語』に成り果てているのです。

 

 トランプ現象に見られるように虐げられた層、恵まれない層の人たちは自分を放棄しても「庇護」してくれる「カリスマ」に『支配』されることを受け入れて『隷従』してしまい勝ちです。それは自分の内なる「価値基準」を持っていないからです。「自立」していないからです。井戸体制の、齋藤体制の「評価基準」よりも「内部通報者保護制度」という「社会の法――制度」の方が上位の価値基準であり尊重すべきであることは通常の神経であれば、公務員になるほどの知識・識見のある人なら分かっているはずです。それが通用しなかったところに「“勝ち組”至上主義」が跋扈している「精神状況」を見るのです。小泉政権から安倍政権とつづいた「新自由主義」の潮流です。

 

 立憲民主党と自由民主党の代表・総裁の選挙が行なわれています。両党の新しいトップのもとで「脱新自由主義」が実現できるのでしょうか。

 

 

  

 

 

2024年9月16日月曜日

キミが主人公だ

  この頃おじいちゃんおじいちゃんやね、ぽつりと妻が言いました。おばあちゃん一辺倒だった孫に変化が表れたのは「シール剥がし」以来です。二才になった頃からテレビが解禁されてアンパンマンにハマった孫はシール貼りに熱中しました。そのうち貼って終わりではなく「貼って剥がして貼る」という面白さを求めるようになりました。しかし紙に貼ったシールを剥がすのは至難の業です。お父さんもお母さんもできなかったのでおじいちゃんおばあちゃんに頼ったのですがおばあちゃんは早々にお手上げです。おじいちゃんはがんばりました。爪を立てて引っ搔いてひっかいて、なんとか一枚剥がれました。半分薄紙がくっついていますが「やったぁー!」と喜んで貼って「もっと」とせがみます。おじいちゃんが特別な存在になった一瞬でした。

 私の健康法の中心は「快適な排便」です、そのためにウチでは放屁を許してもらっています。さすがに婿さんの前や娘の家では慎んでいたのですが習慣ですからつい孫の前でプーしてしまったのです。怪訝な顔で私を見つめます、「おじいちゃん」妻の叱責に「ゴメンナサイ」。何度かそんなことがあって、今プーしたのだれ?という妻の声に「おじいちゃん!」間髪を入れず答えるようになりました。大人でプーするのはおじいちゃんだけ。仲間意識が彼の中で生れたかもしれません。

 

 孫は可愛いといいます、想像以上でした。溺愛という言葉が実感できました。しかし80才にして初めて授かった孫は可愛いだけでなく、驚きであり健気であり畏敬の念さえ覚えます。ヒトというものはこんなに生きようとするものなのか、生命(いのち)はここまで必死に成長するものなのかを教えてくれます。

 娘夫婦の子育ては慎重ですが賢明だと思います。なかでも1歳児保育を選択したのは大正解でした。もちろん娘の職場復帰という必要に迫られた事情はあったのですがめったに主張しない婿さんの強い意向で園にあずけることにしました。既成概念として、3歳までは親が育てた方がよい、育てるべきだという刷り込みがありますし、心情的にも頑是ない幼子を親から引き離して他人にあずけることに不憫さを感じるのですが、こうした考えが幼児の成長にとってまったく根拠のない誤ったものであることをこの1年半の通圓生活が証明してくれています。

 月齢がクラスでもっとも高い(早い?)こともあって成長速度が一番でリーダー的な存在となって、自立心が強く自分で考えて行動する傾向があり個性的でありながら小さい子が好きで面倒見がよい一面をもつようになりました(詳細な連絡帳があり園での行動がよく分かります。先生の努力は並みなみならないものがあります)。考えてみれば当然のことで保育士さんは幼児教育の専門家で素人の普通の親(ましてジジ、ババ)より知識と経験が豊富なのですから子どもの成長に良い結果をもたらしてくれて何の不思議もありません。どうして誤った既成概念がはびこったのでしょうか、そしてその誤った考えで国の幼児教育の施策が決まっているのでしょうか。さし迫った問題として娘の「時短勤務」が来年の3歳の誕生日で打ち切りになってしまうのです。3歳の後先で養育事情になんの変化もありません。少し先には「小1の壁」も控えています。このままでは娘は来年今の職場から時短勤務可能な近所の地元の企業(お店)に転職しなければなりません。キャリアロスと待遇悪化を強いられます。子育て支援、子どもまんなか子ども家庭庁とか掛け声は口当たりのいいことを打ち出していますが実状はこの体たらくです。

 

 どこの親もジジ、ババも幼児の成長を目の当たりにしていると「この子は賢い、天才かも?」と思うものですがそれがどうして成長に従って「十で神童十五で才子、二十過ぎれば只の人」になるのでしょうか(以下の引用は『承認をひらく(暉峻淑子著)』からです)。

 生れたときから評価され、標準到達度をテストされ、他者と比べられる社会/“勝ち組”至上主義という承認基準を持つ社会は、別の意味で生きにくい社会なのではないかと思います。一方では激しい競争社会で査定されつづけ、他方では自由の名のもとに個人はバラバラにされ、依るべきものを持っていません(引用

 ちょっと前まで「いい学校に入っていい会社に就職して」というのが親の願いでした。まだその影響は少なくありませんがこうした価値観は「よその子との比較」であり「世間一般の(他人から与えられた)価値基準」であることに変りありません。

 子どもは大人から見守られ、信頼され、ありのままを承認されていると感じると、自己肯定感を持ち、将来への希望を持つようになります。どの子も自分の能力を発揮して、認められたい、という潜在的な承認欲求を持っているのです(引用)。

 親や大人から管理されるだけでなく、仲間との自由な遊びの時間と空間を合わせ持つことによって、子どもは自分の人生の主人であることの楽しさと喜びを経験します。それが大人になったときの自立の喜びの原体験になっているのです(引用)。

 子ども時代の仲間との自由な遊びを通して、子どもは自発的な能力を育てる。管理から解放された自由な遊びは創造性を育て、個性を育てる。家の中だけでは子どもの精神は育たない……精神が育つためには自由を与えなければならない。自分が自分の主人になったことのないものの精神は自立することがありません(引用)。

 両親や祖父母などの庇護のもと経済的にも豊かに育てられることは一見子どもにとって恵まれているように感じますがそうではないのです。「私は自分の人生の主人公である」という実感を持ったことのある人と優秀なキャリアがありながら不祥事を起こしてしまう人の分かれ目はこんなところにあるのかも知れません。

 

 ああしろこうしろと命令され、褒められたり叱られたりすることを判断の基準にしてしまうと、大人になっても自分で判断する力が育っていませんから、真の意味で自立した人間にはなれません。外側の基準に合わせるだけの人間になります(引用)。

 褒めるということと、人格を持った一人の個性を承認するということは次元が違うことを覚りました。私の経験の中でも、なんとなく感じていた「褒めること」への違和感がはっきりしたのです(引用)。

 「褒めて育てる」が普通になっていますが実は非常に難しいことに気づいている親は多いはずです。やみくもに褒めても自由放任では自己中心のわがまま勝手なイヤな子に育ってしまいます。肝要なところは「人格を持った一人の個性を承認する」ことです。これが難しい、親自身が経験していないこともありますから。

 

 価値観を自分自身で持つこと、そのために「それぞれの子どもが自分の価値に目覚めること(引用)」を目標とする教育がわが国で行われる日が一日も早くくることを願って止みません。

 

 

2024年9月9日月曜日

先祖について

  農業が生れてから――発明されてから実際に農業社会が成立するまで約7千年の移行期間があったという歴史を知った時の驚きは今でもありありと覚えています。学校で習った歴史では狩猟採取時代から農業社会へ今から約1万年前に移行したと教えられ何の疑問も抱いていませんでしたから衝撃でした(日本以外の大陸では牧畜が農業と同等の重要な産業構造変化の要因になっています、それは「牧師」ということばの存在でもわかるのですが、ここではそれも含めて「農業」という言葉を使用します)。しかし考えてみれば納得いくことで、目の前に豊かな果実と捕獲可能な動物があって巨大動物の食べ残しの肉もあるのですから好き好んでシンドイ労働が必要な、そして天候に左右されて必ずしも収穫が安定的に保障されているわけでもない農業に生業を移行する必要がなかったのは当然なのです。しかし人口爆発があって、絶対的な食糧不足に迫られて農業に依存しなければならなくなった「大転換」の衝撃は強烈だったにちがいありません。

 

 先祖という概念が狩猟採集時代にあったかどうかに想像をめぐらすと、どこにどんなものがどれくらいあるかの「採集暦」や気象知識の言い伝えは重要でしたから「伝承の蓄積」の源としての「先祖」はあったと思います。しかし自然現象は変動しますから必ずしも伝承が絶対価値ではなかったのでその時のリーダーの権威も同様に尊敬されたでしょう。死者の埋葬は重要で労働の仲間として助けたり助けられたりしましたから悲しみの感情は強く労働力の喪失は集団として哀悼する感情が共有されたにちがいありません。しかし移動が生活の基盤でしたから墓地はなく相続は原則ありませんから先祖意識は希薄だったか無かったかもしれません(狩猟採集の後期には一定程度の定住が見られましたから墓地があった可能性はあります)。

 農業社会になって定住化が進み先祖意識が定着しました。農地の開拓と生産性の向上は先祖からの継続が前提でしたし収穫余剰の蓄積は財産をもたらしましたから相続が重要な社会基盤となります。ヒエラルキーが構築され神話の伝承が階級の固定化に機能しました。埋葬と先祖祀りが繋がって社会の重要な仕事になりました。宗教が発生して、経典・教会・葬儀で人間社会を規定するようになります。権力と結合した宗教が管理システムとして社会化します。わが国の場合仏教が幕藩体制に組込まれ宗門改めと檀家制度で彼岸と新年の墓参が強制され移動の制限と家制度の維持(労働力管理)の役目を担わされました。先祖祀りと墓地の維持管理は強制され権力者の寄進と檀家制度で寺の経済基盤は強固に保たれました。

 工業化と都市化は核家族化を促進し、家業の衰退は家計(個人)の賃労働依存を高め地域社会血族社会は脆弱化して企業社会がそれに変わりました。地方(農村)から都市への労働力の流入――生家と就業地の分離は家族(血族)の分解と先祖意識の希薄化をもたらし「先祖墓」と「自分墓」の分離や「墓じまい」、墓地・墓の多様化を招来しています。

 

 私たちの墓に対する既成概念(先祖に対する考え方も)はほとんど江戸時代の宗門改めと檀家制度の残滓です。宗門人別帳は今の住民基本台帳のようなもので長男は自動的に戸籍筆頭者になりましたが部屋住みの次男三男も分家・独立すれば人別帳に登録されねばならず当然墓も旦那寺につくらねばなりませんでした。彼岸と新年の墓参は強制でそれによって人別帳との照合が行なわれ異動が更新されました。

 現在でも大体長男が墓を引き継ぎ別所帯を持った次男以下は別に墓をもつのが通例となっているのは檀家制度の名残です。檀家制度に存続理由はありませんから各人が自由に墓地を選択し墓をつくればいいのです。しかしそうなると「先祖」をどう考えるのか、先祖との関係はどうなっていくのかという問題が発生します。核家族で親子の就業地が同じでないことがほとんどですから相続(主として家屋)問題はあまり重要ではなくなっていますし「格差の固定化」の問題がありますから相続財産は原則廃止(又は小額化)の方向に進んでいくかもしれません。先祖意識は相続と血脈の継続性の保持が大きな要素ですからそのどちらにも重要性を感じていない現代人にとって「先祖」とどう向き合っていくかはきちんと考える必要のある問題です。

 

 「墓じまい」や葬儀の簡略化、不要論などが最近の風潮となっているのをどこかさみしく、違和感さえ感じていました。考えを整理していて墓については何とか納得のいく「理屈」を見つけたのですが先祖についてはまだ答がみつかっていません。なぜかと考えてみると私たちに一神教の国のような「宗教」が無いことが影響しているように思えてきました。あれらの国では「神と先祖と私」が「教会という場」で結びついているのではないでしょうか。それに比べて仏教と現在の私たちの関係は非常に希薄ですし、神道(私たちの神さん)と一神教の神は異質のものです。ということで先祖と今の自分を媒介するものが「不在」なのです。しかしこのまま答を見いだせずにうやむやのうちに「先祖とのつながり」が消滅してしまうのは耐えられません。

 

 柳田国男の『先祖の話』にこんな一節があります。

 少なくとも国のために戦って死んだ若人だけは、何としてもこれを仏徒の言う無縁ほとけの列に、疎外しておくわけにはいくまいと思う。もちろん国と府県とには晴れの祭場があり、霊の鎮まるべきところは設けられてあるが、一方には家々の骨肉相依るの情は無視することが出来ない。家としての新たなる責任、そうしてまた喜んで守ろうとする義務は、記念を長く保つこと、そうしてその志を継ぐこと、及び後々の祭りを懇ろにすることでこれには必ず直系の子孫が祀るのでなければ、血食と言うことが出来ぬという風な、いわゆる一代人(いちだいびと)の思想に訂正を加えなければならぬであろう。(略)次男や弟たちならば、これを初代として分家を出す計画を立てるもよい。ともかくも歎き悲しむ人がまた逝き去ってしまうと、ほどなく家無しとなって、よその外棚(ほかだな)を覗きまわるような状態にしておくことは、人を安らかにあの世に赴かしめる途ではなく(以下略)(『先祖の話』「二つの実際問題」昭和二十年五月二十三日

 これは第二次世界大戦で散華した――特に外地で戦死して遺骨の収集もままならない引き取り手のない若い戦死者をどう葬るかについて柳田の語った一文です(日付が終戦の前になっていることに注目して下さい)。祀る人が無くなって「家無し」となってしまった霊を迷わせるのは「人を安らかにあの世に赴かしめる途ではなく」と言っていることは、今ここで答えを求めている「先祖をこれからどう祀るのか」という問題と通じています。

 

 先祖とのつながりが絶えてしまうと、わが国の歴史と自分の歴史(ルーツ)との断絶が今以上に決定的」なものになってしまって、今以上に「いま、ここ、わたし」になってしまうのではないか。そんな不安をどうしても払拭できないのです。

 

 

 

2024年9月2日月曜日

想滴々(24.9)

  もし、琵琶湖の白髭神社前の湖面(私が琵琶湖で一番好きなスポット)や湘南の海(首都圏人の人気海浜)に7万1千本の杭を埋め込んで海底を補強しコンクリートで護岸するという工事をしたら――辺野古で行われつつある工事は地元の人、沖縄県民にとってはそんな感覚ではないでしょうか。そのうえ杭に詰める砂を鹿児島県・奄美大島から調達するというのですから東山(京都の)や日本アルプスを切り崩して砂にするようなものです。大げさに聞こえるかもしれませんが沖縄の人たちの感じ方は多分そうではないかと「想像」するのです。(当初は沖縄で調達する予定だったものがその砂に先の戦争で亡くなった方々の「遺骨」が含まれている可能性が高いという沖縄の方々の反対があって奄美に変更されたのです。しかし奄美の方の感情はどうなるのでしょうか)。

 テレビのコメンテーターはよく事件の報道に接して「想像力の欠如」という指摘をしますが、沖縄県・辺野古沖への普天間基地移転についてはその「想像力」をほとんど働かせていません。私も彼らと同じだったのですが一ヶ月ほど前「7万1千本の杭」という文字を目にしたとき、突然工事の「リアリティ」が湧き上がったのです。婿さんの趣味がスキューバ・ダイビングでそのせいもあって孫の絵本に海のものが結構あって海底の美しさに目ざめさせられたことも影響しているのですが、インターネットの「辺野古港周辺の観光ガイド」で見た辺野古の海に「7万1千本の杭」が、深いところなら海底90米まで打ち込まれる様子を想像すると、さらにその上に「コンクリート壁」が建てられるのですから「想像を絶する」光景が展開するにちがいありません。「紺碧」の海が消えて「飛行場」ができるのです。海底には世界的にも貴重な「サンゴ礁」があるのですがそれが無惨に「破壊」されるのです。これは「人間業(わざ)」ではありません、「狂気の沙汰」です。

 

 東京では「明治神宮再開発」をめぐって大騒動になっていますがせいぜい「100年」のことです、こちらは「地球46億年の歴史」ですから重みがちがいます。この差は途方もありません。

 中国が南沙諸島の岩礁をコンクリートで埋め立てて軍事基地を構築したという報道に接した時「何と野蛮なことを……」と感じたのですが、いま辺野古で行われているのは、自国の領土を、自国の意志で、破壊しているのですから中国のそれとは根本的に異なります。どちらが異常かと問えば答えは明らかでしょう。(神宮外苑再開発については私も反対です。それは先人たちが100年後神域にふさわしい「杜」となるように願って造った「森の樹木」をまさに完成したその時に「破壊」することに反対するのです。先人の「意志」を後人が「拒否」することが赦されるのかという観点からそれは「不遜」だと考えるからです)。

 この工事の完成は2033年、供用はその3年後といわれています。いまの東アジアの緊張がこのまま10年以上「破綻」なく継続するという「仮定」は有効でしょうか。台湾有事がそれまで起こらない可能性は相当低いように思われます。北朝鮮の「暴発」も起こるとすればそんな先のこととは思われません。とすれば工事途中で「有事」は起こることになります。工事は「無駄」になり1兆円近い国税は「無駄づかい」になってしまいます。もしそれまでに緊張が円満に解決に導かれたとしたら完成した「飛行場基地」は「無用の長物」になってしまいます。

 そもそもこの工事は完成するのでしょうか。マヨネーズ状の海底といわれています、いまの工程で終わらずにまた追加工事が必要になる可能性はないのでしょうか。1800メートルという滑走路にアメリカは不満を持っているとも言います。この面からの再工事も考える必要がありそうです。

 「シーシュポスの神話」――神に背いたシーシュポスが岩石を山頂に運び上げるという罰を受け、運び上げたしりから岩石が転がり落ちて彼は「無限地獄」に陥るという話です。この工事はまさに「シーシュポスの神話」そのものではないでしょうか。

 

 地球の歴史から見るとあまりにちっぽけに思えてしまうのですが「自民党総裁選」を喧(かまびす)しくマスコミが報じています。この調子で9月27日の投票日まで「お祭り騒ぎ」がつづけば「裏金事件」が埋没して直後にあるかもしれない「衆議院議員選挙」では自民党が大勝するかも知れません。マスコミの「倫理観」が問われます。

 真っ先に名乗りを上げた小林鷹之氏は49才という若さを前面に打ち出して世代交代を訴えていますが「清新さ」は感じられません。今度の選挙は〈党内問題〉裏金問題の解明と政治資金制度の改正、〈国の問題〉物価高、少子化問題、軍備増強など、二つの争点がありますが小林氏は党内問題は解決済みとしてまったく触れませんでした。もっぱら若さを強調して自民党の再生を打ち出していますが「49才」は一般的には決して若いとは言えません。パリ五輪馬術で銅メダルを獲得したのは「初老ジャパン」でしたが最年長が48才で平均は41.5才でした。わが国の大企業社長の平均年齢は60.5才(帝国データバンク調べ)ですから49才はまあまあ若いかなという程度でとりたてて「若さ」を誇るものではありません。

 今度の総裁選で国民がもっとも期待しているのは「裏金問題」の真相解明です。領収書無しで何億円というお金がやり取りされる政治資金の透明化と公正化も是非実現してもらいたいと国民は望んでいます。しかし今の選挙制度ではそれは不可能でしょう。予想された顔ぶれが揃いそうで乱立はまぬがれませんがいずれにせよ一回目の投票で総裁が決定することはなく決選投票になって、議員票が決め手になりますから「脛に傷もつ」センセイ方が真相解明する人に投票するはずもありません。結局小林氏のように「ほっかむり」してうやむやのうちに裏金問題を無いことにしてくれる候補者が「選ばれる構図」が出来上がっているのです。それをいかに「お祭り騒ぎ」で紛らわすかが自民党の総裁選戦略なのです。

 

 素人の私が見抜くのですから大方の人はお見通しのはずですがそうならないのがこれまでの選挙でした。今回も「表紙」が変わっただけで、自民党は変わったと国民の多くが判断するのでしょうか。

 

 いずれにしても46億年の地球の歴史からみれば「ちっちゃい、ちっちゃい」。