2024年9月9日月曜日

先祖について

  農業が生れてから――発明されてから実際に農業社会が成立するまで約7千年の移行期間があったという歴史を知った時の驚きは今でもありありと覚えています。学校で習った歴史では狩猟採取時代から農業社会へ今から約1万年前に移行したと教えられ何の疑問も抱いていませんでしたから衝撃でした(日本以外の大陸では牧畜が農業と同等の重要な産業構造変化の要因になっています、それは「牧師」ということばの存在でもわかるのですが、ここではそれも含めて「農業」という言葉を使用します)。しかし考えてみれば納得いくことで、目の前に豊かな果実と捕獲可能な動物があって巨大動物の食べ残しの肉もあるのですから好き好んでシンドイ労働が必要な、そして天候に左右されて必ずしも収穫が安定的に保障されているわけでもない農業に生業を移行する必要がなかったのは当然なのです。しかし人口爆発があって、絶対的な食糧不足に迫られて農業に依存しなければならなくなった「大転換」の衝撃は強烈だったにちがいありません。

 

 先祖という概念が狩猟採集時代にあったかどうかに想像をめぐらすと、どこにどんなものがどれくらいあるかの「採集暦」や気象知識の言い伝えは重要でしたから「伝承の蓄積」の源としての「先祖」はあったと思います。しかし自然現象は変動しますから必ずしも伝承が絶対価値ではなかったのでその時のリーダーの権威も同様に尊敬されたでしょう。死者の埋葬は重要で労働の仲間として助けたり助けられたりしましたから悲しみの感情は強く労働力の喪失は集団として哀悼する感情が共有されたにちがいありません。しかし移動が生活の基盤でしたから墓地はなく相続は原則ありませんから先祖意識は希薄だったか無かったかもしれません(狩猟採集の後期には一定程度の定住が見られましたから墓地があった可能性はあります)。

 農業社会になって定住化が進み先祖意識が定着しました。農地の開拓と生産性の向上は先祖からの継続が前提でしたし収穫余剰の蓄積は財産をもたらしましたから相続が重要な社会基盤となります。ヒエラルキーが構築され神話の伝承が階級の固定化に機能しました。埋葬と先祖祀りが繋がって社会の重要な仕事になりました。宗教が発生して、経典・教会・葬儀で人間社会を規定するようになります。権力と結合した宗教が管理システムとして社会化します。わが国の場合仏教が幕藩体制に組込まれ宗門改めと檀家制度で彼岸と新年の墓参が強制され移動の制限と家制度の維持(労働力管理)の役目を担わされました。先祖祀りと墓地の維持管理は強制され権力者の寄進と檀家制度で寺の経済基盤は強固に保たれました。

 工業化と都市化は核家族化を促進し、家業の衰退は家計(個人)の賃労働依存を高め地域社会血族社会は脆弱化して企業社会がそれに変わりました。地方(農村)から都市への労働力の流入――生家と就業地の分離は家族(血族)の分解と先祖意識の希薄化をもたらし「先祖墓」と「自分墓」の分離や「墓じまい」、墓地・墓の多様化を招来しています。

 

 私たちの墓に対する既成概念(先祖に対する考え方も)はほとんど江戸時代の宗門改めと檀家制度の残滓です。宗門人別帳は今の住民基本台帳のようなもので長男は自動的に戸籍筆頭者になりましたが部屋住みの次男三男も分家・独立すれば人別帳に登録されねばならず当然墓も旦那寺につくらねばなりませんでした。彼岸と新年の墓参は強制でそれによって人別帳との照合が行なわれ異動が更新されました。

 現在でも大体長男が墓を引き継ぎ別所帯を持った次男以下は別に墓をもつのが通例となっているのは檀家制度の名残です。檀家制度に存続理由はありませんから各人が自由に墓地を選択し墓をつくればいいのです。しかしそうなると「先祖」をどう考えるのか、先祖との関係はどうなっていくのかという問題が発生します。核家族で親子の就業地が同じでないことがほとんどですから相続(主として家屋)問題はあまり重要ではなくなっていますし「格差の固定化」の問題がありますから相続財産は原則廃止(又は小額化)の方向に進んでいくかもしれません。先祖意識は相続と血脈の継続性の保持が大きな要素ですからそのどちらにも重要性を感じていない現代人にとって「先祖」とどう向き合っていくかはきちんと考える必要のある問題です。

 

 「墓じまい」や葬儀の簡略化、不要論などが最近の風潮となっているのをどこかさみしく、違和感さえ感じていました。考えを整理していて墓については何とか納得のいく「理屈」を見つけたのですが先祖についてはまだ答がみつかっていません。なぜかと考えてみると私たちに一神教の国のような「宗教」が無いことが影響しているように思えてきました。あれらの国では「神と先祖と私」が「教会という場」で結びついているのではないでしょうか。それに比べて仏教と現在の私たちの関係は非常に希薄ですし、神道(私たちの神さん)と一神教の神は異質のものです。ということで先祖と今の自分を媒介するものが「不在」なのです。しかしこのまま答を見いだせずにうやむやのうちに「先祖とのつながり」が消滅してしまうのは耐えられません。

 

 柳田国男の『先祖の話』にこんな一節があります。

 少なくとも国のために戦って死んだ若人だけは、何としてもこれを仏徒の言う無縁ほとけの列に、疎外しておくわけにはいくまいと思う。もちろん国と府県とには晴れの祭場があり、霊の鎮まるべきところは設けられてあるが、一方には家々の骨肉相依るの情は無視することが出来ない。家としての新たなる責任、そうしてまた喜んで守ろうとする義務は、記念を長く保つこと、そうしてその志を継ぐこと、及び後々の祭りを懇ろにすることでこれには必ず直系の子孫が祀るのでなければ、血食と言うことが出来ぬという風な、いわゆる一代人(いちだいびと)の思想に訂正を加えなければならぬであろう。(略)次男や弟たちならば、これを初代として分家を出す計画を立てるもよい。ともかくも歎き悲しむ人がまた逝き去ってしまうと、ほどなく家無しとなって、よその外棚(ほかだな)を覗きまわるような状態にしておくことは、人を安らかにあの世に赴かしめる途ではなく(以下略)(『先祖の話』「二つの実際問題」昭和二十年五月二十三日

 これは第二次世界大戦で散華した――特に外地で戦死して遺骨の収集もままならない引き取り手のない若い戦死者をどう葬るかについて柳田の語った一文です(日付が終戦の前になっていることに注目して下さい)。祀る人が無くなって「家無し」となってしまった霊を迷わせるのは「人を安らかにあの世に赴かしめる途ではなく」と言っていることは、今ここで答えを求めている「先祖をこれからどう祀るのか」という問題と通じています。

 

 先祖とのつながりが絶えてしまうと、わが国の歴史と自分の歴史(ルーツ)との断絶が今以上に決定的」なものになってしまって、今以上に「いま、ここ、わたし」になってしまうのではないか。そんな不安をどうしても払拭できないのです。

 

 

 

0 件のコメント:

コメントを投稿