2025年6月18日水曜日

少子化問題もう一つの視点

  わが国の出生数が2024年始めて70万人を割り込んで68万6061人(前年より約4万人減)、合計特殊出生率は全国平均1.15で過去最低になりました。国の想定よりはるかに早く80万人割れからわずか2年で70万人を割ったことは少子化の深刻さが放置できないレベルに達していることを示しています。岸田総理の異次元の少子化対策――「加速化プラン」はなにを加速化しようとしたのでしょうか。

 

 これまでの少子化対策は「子どもを生み育てやすい環境づくり」にまとめられます。そして待機児童の解消、放課後子ども総合プラン、多様な保育サービスの充実、、希望の教育を受けることを妨げる制約の克服といった子育て支援策が打ち出されました。それは若者の雇用安定・待遇改善、働き方改革の推進、非正規雇用の待遇改善といった働き方支援のかたちで充実が図られ経済的な支援としては児童手当の充実、育休・時短勤務の推進、出産費用の補助、高等教育費用・奨学金の拡充が行なわれました。

 にもかかわらず少子化に歯止めはかからなかった、のです。

 何故かと考えると少子化は「晩婚化、未婚化、晩産化、無産化」といった社会的な風潮の結果であるにもかかわらず国は見当違いの支援や方策を繰り返してきたからとはいえないでしょうか。

 

 そこで視点を変えて一つの指標に注目してみようと思います。「婚外子比率」です。婚外子とは結婚していないカップルの間に生まれた子のことで非嫡出子ともいいます。(戸籍上は母親の戸籍に入ります。父親の認知は戸籍とは別問題です)

 世界の主な国別「婚外子比率」次のようになっています。

 フランス61.0%スウエーデン54.5%イギリス48.2%アメリカ40.0%イタリア35.4%ドイツ33.3%。これを出生総数から実数を換算するとフランス41万人スウエーデン32万人イギリス32万人アメリカ149万人イタリア14.5万人ドイツ74万人になります(婚外子率はイギリスは2017年、その他は2019年のもです。出生数は2021年のものを使用しました)。

 これに対してわが国は2.4%(2020年)婚外子数19,600人です。この圧倒的な差はどうでしょうか。もしこの比率が25%になれば約20万人、40%なら約30万人になりこれを70万人に加えれば約90万人から100万人になります。少子化は一挙に解決です。ちなみに韓国は2%から4.7%がここ4、5年の傾向で中国はデータがありません。

 

 この数字をどう考えるか、です。わが国では「戸籍」に登録する結婚を前提としてその後の出産・子育て・教育への支援を行なうことで少子化を脱しようとしてきました。当然のことながら経済的・社会的権利や補償・補助も結婚届を出す出さないで大きな差が生じる体制になっています(戸籍制度があるのはわが国以外では韓国と台湾だけですがこれもわが国の植民地化や統治の影響です)。ところが世界の先進国は「事実婚」が趨勢となっており半数を超える国や4割を超える国がほとんどです。

 ということは「出産」に至る道が多様化しているということです。婚姻届を出して「家」を継承し「同一の家(氏)」を家族連帯の基礎とすることを「出産」への唯一の選択肢(僅かな事実婚はあるものの)としている現在のわが国の社会的状況では少子化対策にいくら予算をつぎ込んでも「少子化」を止めることはできないということを意味しているのではないでしょうか。「選択的夫婦別姓」でさえも保守層の一部の頑強な反対で実現できないでいる今のわが国では少子化は加速化こそすれ歯止めなどできるはずもないのです。

 

 生殖に至る性行為は個人的かつ生理的(動物的)衝動にもかかわらず現在わが国で行われている「少子化論」は社会的・経済的側面が主でありかつ偏った伝統的道徳観との整合性が論じられています。「事実婚」は今のわが国では社会的承認以前に止まっていますし経済的地位もあやふやで伝統的道徳観に固執する一部の保守層からは非難さえ受けているのが実情です。欧米先進国では最低でも4、50万人、ドイツでは70万人アメリカに至っては150万人近くを占めている「婚外子」を排除するわが国の「少子化政策」が、その費用対効果において膨大なる「ムダ」を流しつづけているのは至極当然の結果なのです。

 「少子化問題」の本質は極めて「道徳的・倫理的」であり「個人的な幸せ」の問題なのです。事実婚を受け入れる「道徳的(倫理的)」土壌を醸成しどんな「幸せ」を結ばれる「ふたり」に約束できるかという問題として論じられるべきなのです。

 

 上に述べましたが韓国も我が国同様婚外子率が極めて低いのですが中国はつい最近まで「一人っ子政策」を厳格に実施していましたから婚外子の多いはずもありません。さらにこの三国はジェンダーギャップ指数が先進国中最低ランクという共通点もあります。韓国は94位中国106位、わが国は何と118位です(2024年)。そしてあえて付け加えるなら一時代前までこの三国は儒教思想が非常に強く残っていた側面もあります。

 こうしたことを前提にわが国の社会経済状況を考えてみると、離婚割合(離婚数/婚姻数)が3組に1組以上(18万3千組/47万4千組―2023年)と非常に多い上にシングルマザーの収入(年)が約306万円と子どものある非離婚家庭(745万円)の半分にも満たない低所得にあえいでいる現状があります。

 

 こうしたわが国の状況をまとめてみるとこんな風に言えるのではないでしょうか。

 結婚をしないカップルが子どもを持とうとした場合男性はそうでもないのに、女性に対してはふしだらだとかだらしがないといった蔑視の非難が強く、子どもが欲しいという願望が強くあえて子をもうけても離婚の可能性は決して低くなくシングルマザーの年収は300万円少々と低所得を覚悟しなければならないのです。

 これでは女性が婚外子を持とうという決断をためらうのは当然ではないでしょうか。

 

 もし子どもが「社会の宝」だというのなら、そのカップルが婚姻届けを出しているいないで祝福されないカップルの子どもという烙印を押されるような差別はあり得ないのではないでしょうか。婚外子の誕生を社会がこぞって祝福するような寛容で包摂的社会を実現することが多子社会を実現するもっとも可能性の高い道なのです。

 選択的夫婦別姓はそのような社会を実現するための最初の一歩に過ぎないのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2025年5月26日月曜日

渡来人のことなど

  古事記の〈中つ巻〉「応神天皇」の段に別に章を設けて「渡来人」についての記述があります。概要を記すと次のようになっています。

 新羅から渡り来たった人びとを使って武内宿禰が百済池を造った。亦百済王に「賢しき人」を貢上(たてまつ)れと命じて和邇吉師(わにきし)という人が論語と千字文をわが国にもたらした。又秦造(はだのみやっこ)、漢直(あやのあたひ)の祖(おや)、仁番(にほ)亦の名、須須許理(すすこり)が渡来した。この須須許理は醸造の業をわが国に伝えた人である。

 秦氏などの渡来人は土木業にすぐれた技を伝えその後のわが国の国家建設に絶大な影響力を及ぼしましたし論語と千字文を伝えたことで「文字」をもつことのできたわが国は「野蛮」から「文明」の段階に成長できる礎を築くことができたのです。

 西郷信綱の『古事記注釈』によると、秦氏とは百済の百二十県の人びとを率いて帰化した氏族で、秦始皇帝三世孫・孝武王の出自であるとあります。もちろんこれを額面通りに信じることはできませんが、秦氏の多くが渡来人でありながら伴造に任じられるに至った経緯を神格化したものと解釈すべきでしょう。また漢直についても十七県を率いて渡来したとあるのは秦氏と同じ論理でしょう。

 この渡来人の章で特に目を惹く記述があります。「平安初期に作られた『新撰姓氏録』には、京畿に住する有力千八百八十余氏の出自を(略)かかげているが、うち中国系を称するもの、朝鮮半島系を称するものそれぞれ百六十余氏、併せて三百三十氏に及んでいることをいっておく」

 

 京都を中心とした畿内の1880氏の内の330ですから単純に言って17.5パーセントを渡来系が占めていたというのですからこれは驚きです。京都の右京区は秦氏の根拠地で太秦(うずまさ)という地名が今もありますし、近くの蚕ノ社は秦氏のもうひとつの主業養蚕と職(はたおり)の主神で、また松尾大社稲荷神社を奉じ殖産と致富にたけた大族であったことは周知のところですがそれにしても渡来系の人たちが二割近い人口を占めていたという事実は無視できません。当然同じ地域に住しているのですから異種族間の婚姻も多く成立したでしょうから何世代も累ねるうちに完全な混血種に変貌し今日に至ったとみるのが正常な見方でしょう。

 私たちのちょっと上の世代――昭和ひとけた生れ以上の人(戦前の教育を受けた世代)には学歴に関係なく桓武天皇の母后――高野新笠(たかののにいがさ)が渡来人二世であったことは常識になっています、少なくとも京都では。

 

 又「仲哀天皇」の段には「神功皇后の新羅征討」の章があります。これが後に「神功皇后の三韓征伐」となって日本不敗神話の嚆矢となり、蒙古襲来、日清・日露と不敗を誇る我が日本は神国であるから聖戦「大東亜戦争」は負けるはずがないのだとして第二次世界大戦へ突入していった、そうした戦前の国民思想の源流となったとしたら『古事記』は不幸な読まれ方をしたものです。曲がりなりにも戦前世代に属する私も長い間「不敗神話」を信じていました、周りの大人からのまた聞きの知識としてですが、それが二十年ほど前「白村江(はくすきのえ)の戦い」を知って呆然としました。天智2年(663年)新羅に滅亡された百済からの要請にこたえて救援軍を送った日本・百済連合軍と唐・新羅軍が白村江(現在の錦江河口付近)で戦闘、わが国連合軍が完敗した戦争です。学校の歴史でも習わなかったし歴史小説にも白村江の戦いは出てこなかったのでまったく知識をもっていませんでした。60才を過ぎて日本史の専門書を読んでこの「百済の役」を知ったのです。考えてみれば秀吉の朝鮮出兵も結果的に軍を引かざるを得なかったのですから敗戦に他なりません。出世譚太閤記として神格化されてきましたから「敗戦」ということばの使用を憚られたのでしょうか。

 

 永らくわが国では「不敗神話」と共に「万世一系の単一民族」という神話が罷り通ってきました。それがベースになって今の「ヘイト」につながっています。しかし上に述べた渡来人の記録を真摯に受け止めれば「日本民族」は大和民族と中国系と朝鮮半島系の渡来人との混血と見るのが正当な考え方でしょう。文字や仏教の伝来という日本文化の基礎も渡来人によるものですから保守の一部の層の中国や韓国(朝鮮半島人)を敵視する考え方が馬鹿馬鹿しくなってきませんか。明治維新政府が作った歴史――特に戦前政府の戦争貫徹のための「皇国歴史」から脱却し東アジア史のなかの日本歴史という視点を子どもたちには教えてやりたいものです。

 

 古事記を読んでいてつくづく思うのは「権力者は歴史をつくる」ということです。自己の権力の正当化のために都合よく歴史をつくるのです。ひとつ例を挙げれば古事記における「出雲」の扱いです。実際は勢力均衡して永い「権力闘争」があって正邪の関係が成立したのですが古事記では完全なる従属関係で出雲は描かれています。

 

 ここで持ち出すのも憚られるのですが最近の自民党西田昌司参議院議員のひめゆりの塔をめぐる「沖縄発言」と「歴史の書き換え」を一緒くたに論ずることはできません、まったく次元の異なる問題です。彼の発言は単なる勉強不足、無学・蒙昧の極み以外の何ものもありません。彼は京都選出の議員ですが沖縄戦の最激戦地であった「嘉数(かかず)の戦い」の主力部隊、第62師団石部(いしぶ)隊の多くが京都出身者で編成されていたことを知っているでしょうか。その嘉数台公園にある「京都の塔」に2563柱の霊が合祀されておりその碑文にはこう記されています。

 高台附近は主戦場の一部としてその戦闘は最も激烈をきわめた。(略)この悲しみの地にそれらの人びとの御冥福を祈るため京都府民によって「京都の塔」が建立されるにいたった。/再び戦争の悲しみが繰りかえされることのないようまた併せて沖縄と京都とを結ぶ文化と友好の絆がますますかためられるようこの塔に切なる願いをよせるものである。

 もし彼が京都の歴史を学ぶなかから政治に志すに至っていたとしたら沖縄に行ったらしい30年前であったとしても京都の塔を訪れていたはずですが彼はそうはしていなかったようです。

 

 そんな彼ですから北陸新幹線延伸計画で「京都縦断ルート」という「千年の愚行(京都仏教界)」を与党の「整備委員会」委員長として推進しようとしたのです。

 京都盆地の地下には約211億トンという琵琶湖に匹敵する豊富な水量の水瓶(京都水盆)があります。この水のお陰で京都の産業と文化は栄えてきました。西陣織や京友禅、伏見のお酒も京豆腐、京湯葉と数え上げればキリがないほどそのめぐみは豊かです。またこうした地下水による「均衡」が京都盆地の安定につながっているかもしれません。工事は「大深度地下(地表から40米以下)」を貫く工法が予定されています。当然地下水への影響は無いとは言えないでしょうし万が一「濁り」がでるようなことがあれば産業への悪影響は免れませんし発生する大量の「残土」はどうするのでしょうか。地下水の移動が起れば地盤は均衡を保ったままでいられるのでしょうか。

 不安満載のこんな計画を詳細な調査も行なわず市・府民への説明不十分なまま何故断行しようとするのでしょうか。彼は京都の人なのでしょうか。郷土愛――京都を愛しているでしょうか。

 

 

2025年3月17日月曜日

大団円

  晩年の読書を始めるに当たって、というほど大げさなものでなく目的とか大方針などというものなく、ただ60才もすぎて閑もできたから読書を生活の中心にしようという程度のものでしたが、『草枕がちゃんと読めるようになりたい、くずし字が少しは書けるくらいの素養は身につけたいという願いは微かに秘めてスタートしました(漱石の『草枕』の漢詩のところでいつもつかえるのがもどかしく展覧会などで「書」を見てもほとんど読めないのを日本人として恥ずかしいと思っていました)ただ「読書履歴」を記録すること、買った本の奥付に購入年月日、読了したらその日と簡単な感想を裏表紙(表3)に書くようにしました。相前後してこのコラムの連載を始めたのですから今ある私の背骨のようなものを意識してでなく、今から思えば巡り合わせのように何となく始めていたのですから「行きあたりばったりの人生」の私らしい転機でした

 もう一つ、これははっきりとこれからの人生の指針にしようと決意させてくれたの立花隆さんの「私は勉強が好きなんですね」という言葉です。NHKの彼のドキュメントの中でちょっとはにかむように呟いた一言でしたが私には響きました。読書の三分の一以上は専門書で「学びが好きで読んでいましたが「勉強」という言葉に気恥ずかしさを覚えて人には「知識欲」と言葉を装うところがあったのですがこの立花さんのことばを聞いたあとは心から勉強楽しめるようになりました。多分私の他にも好きなこと、得意なことが勉強(もっと上等な人なら研究)――本人は気づいていないかもしれませんが――多いはずです。それなのに定年後の生活をいかに過ごすかを新たな趣味に求めたり慣れないボランティアを始めたりして不本意な晩年を送っている向き多いのではないでしょうか。そんな人に心から「勉強は楽しいですよ」と言ってあげたい、トーマス・モアも「ユートピア」に書いているではありませんか、「精神の自由な活動と教養を習得することこそ人生の幸福だ」、と。

 このコラムを20年つづけてきてつくづく思うことは、我々ほどパラダイムシフトの変遷に翻弄されてきた世代はないのではないかという感慨です。戦争、戦後民主主義、高度成長、バブル、失われた30年、新自由主義、コロナ、そして生成AIと少数与党。この間にオーム真理教の地下鉄サリン事件と3.11福島原発事故があって戦後が精神的、物質的に否定され、更にリーマンショックがアメリカ資本主義の失敗を突き付けました。しかし残念なことはこれらの経験が蓄積となって思想として統合されずに「上書き」されてきたことです。前のパラダイムは無かったこととして今の流行に被われてしまいそれは又次に書き換えられる……。

 いまトランプ大統領は「外交」を「ディール」と言い換えアメリカを振りかざして混乱を楽しんでいるようですが「外交はディールではない」のです、いやあってはならないのです。それがふたつの全面戦争を経験した人類の英知なのです(国連はその重要な達成のひとつです)。よしんばディールだとしても彼は「優越的地位の濫用」を行なっていますから「正当なディール」ではありません。どうして世界中が彼の「ディール」を認めてしまうのでしょうか。

 中国の海洋進出、ロシアのクリミア略奪とウクライナ侵略、そしてトランプの傍若無人なアメリカ第一主義。大国のエゴだったはずの「グローバル主義」が結果として小国の存在意義を高め無視できない勢力として浮上する中で「無極化」を受け入れられない大国の最後の「あがき」はいつになったら終局をむかえることができるのでしょうか。

 

 2006年4月13日「二番札の知恵」で連載を始めたこの「市村清英のコラム」も今日で1000回を迎えることができました。先輩の勧めで建設関係業界紙のWeb版の片隅に載せてもらってから20年、200回を過ぎたあたりで新聞との関係が切れて頓挫しかかったこともありましたが、誰の束縛も受けない生活の「けじめ」がなくなると折角「晩年」を無為にしてしまいそうで怖いという怯(おそ)れがあってその臆病さが支えとなって今日まで継続することができました。上にも書きましたがスグに「リーマンショック」があって東北大震災、安倍一強にコロナがあって長いデフレがつづいて、右傾化と価値観の多様化が現出、「格差の拡大と分断」が進行して週一回のコラムでは収まりきらないほどつぎからつぎへと問題噴出の20年でした。やっつけ仕事はしたくなかったので読書とデータの裏づけを欠かさない毎日が80才を過ぎた老書生には忙(せわ)しなくなってきました。

 そんな時期に丁度1000回が来たのは巡り合わせかもしれません。思い切ってコラムの連載をここで終わりにしようと思います。人生百年時代の83才は「晩年前期」という区切りにもふさわしいころ合いです。

 今後についてですが、インプット(読書)はこれまで通りつづけますからアウトプット(発表)もするでしょうが、不定期に――気ままに、そしてもっと深みのあるものを書きたいと思っています。そのためではないのですが今の楽しみのひとつはわが国の古典(学校で習った古文)を注釈書を手引きに読むことです。これが面白いのです。古代や中世の日本人の感じ方や考え方が現代に生きるわれわれの深層心理に息づいているのが分かるのです。今は『古事記』を西郷信綱の注釈で読んでいますが全八巻の第六巻に至るのに半年かかってのんびり楽しんでいます。もうひとつは「手習い」です。つづけ字で百人一首を毎日一首、漢字は三体千字文の一句を三年ほどつづけていますがようやく筆が手になじんできました。これからが精進です。最近になって孫に絵本を書いてやりたいとイラストのまね事をはじめました。これを入口に絵も描いてみたいですね。

 晩年後期はからだ次第です。明日ベッドに臥せざるを得なくなるかもしれません。反対に5年10年先まで健康に恵まれて晩年を楽しんでいる可能性もあります。ご同輩の皆さんの一日も長い健康を祈っています。長いあいだ御つき合いいただきありがとうございました。

 

 

 

2025年3月10日月曜日

健康日誌

  80才を過ぎてから急にガタが来ました。これまで軽度の高血圧以外にこれといった持病のなかったのが奇跡みたいなものでここにきて肉体の衰弊が一挙に表面化してきたようで一昨年(81才)5月の連休前に肺炎、昨年(82才)は夏に左膝を痛め今年(83才)は早々に痔核(イボ痔)に罹るに及んでさすがの楽観輩も老いを自覚せざるを得なくなりました。幸い肺炎はかかりつけ医の好診断で十日で完治、膝は最低でも一年はかかるといわれていたのが年末にはほぼ旧に復し痔核も三月中には平常に戻りそうです。重篤な症状に至らなかったのは「早期発見早期治療」のお陰でその因は「健康日誌」にあると思います。

 三十年ほど前に高血圧を告げられ以来降圧剤の服用を続けていますが症状は安定していて二ヶ月に一度の受診は施薬を受けつつ定期健康診断の意味もあって今では生活の一部になっています。25年ほど前にPCを使うようになって「血圧測定表」を作り、その際血圧だけでなく体重(体脂肪率共)、体温も項目に加えました。備考欄を設け体調の変化に気づいた時には記入するように努めました。どの項目も当たり前すぎるものですが意外と体調の異常を伝えることに気づきました。体重は簡単に1kgほどは変化するもので食事を注意することで1kgの範囲内に制御すれば正常といえます。体温は個人差があることを知り36度を境に3分程度の高低は気にする必要はなく風邪を罹いたときの高熱も私の場合は37度台で留まることを把握していました。それが肺炎の時は38度を超えたので医師に相談したらスグに検査してくれて早々に肺炎と診断、施薬、点滴と安静で短期に快癒することができました。痔核も便通の僅かな違和感を日誌に書いて、1週間経ってもそれが消えないので医師に大腸がんの検査の相談をしたところ肛門科の受診をすすめられ指示に従った結果痔核と診断されたのです。

 

 高齢を累ねれば身体に衰えが現れるのは生理の当然で、それを感じ正しい対処をするのが「百年時代」の「健康年齢維持」の要諦です。感じるためには「計測値」があれば自覚的に感じられ数字に表せない体調の変化を書くことで微妙な異常を摘出することにつながります。「書く」ことは重要で、面倒くさい計測を無理なく行えるようになり体調の変化に敏感になって身体と会話ができるようになります。「自分の身体のことは自分がいちばん分かっている」とよく言いますがその通りなのですが、「気づき」をほったらかしにせず「書く」ことで情報化しておけば違和感や異常を感じたときに論理的に判断がつき、医師にも系統立てて情報を伝えることができますから診断が精確になるはずです。

 60才を超えて、幼少時に小児結核を患い幸運にも抗生物質の出現に救われ生年(しょうねん)を重ねることができましたが健康には根本的に自信がなく老年を迎えて細心の注意でもって当たろうと考えました。内科は高血圧の定期検診でまかなえるとして眼科と歯科の定期検診を受けることにしました。お陰で今でも自前の歯で食事を味わえていますし目が健康ですから根気よく読書もできています。また年とともに全身がカサカサになり不快感がつのるようになりましたので皮膚科も受診しています。体力は最低レベルでしたからテニスをはじめることにしそのための肉体改造を試みました。鍛錬というものに人生初めて挑戦し、毎朝太陽とともに起床、ストレッチとインターバル速歩などで1時間ほどの運動に努めました。決まった時間に食事を摂り晩酌を控えるようにし休肝日を月3日もうけることを目標にしました。禁煙は意外と簡単に64才で達成できました。

 成り行き任せで生きてきましたが晩年を迎えるにあたって「健康」という目標を立ててから約20年、曲がりなりにも継続できて今日の健康に繋がったと思います。虚弱な私を支えてきてくれた妻に、経済的に報いることはできませんでしたからせめて晩年はそんな不安から解放して仲の良い五姉妹の交流が楽しめるようにしてあげたいという思いがあったからつづけられたと思います。

 

 健康を考えるとき「喫茶店」は私にとって欠かすことのできない習慣でした。22才で社会人になって東京の神田に勤めるようになって近くの「サボール」という喫茶店に通うようになって以来の習慣ですからもう60年になり生活の一部です(いつだったか歌手の谷村新司が若いころ馴染みの喫茶店がサボールだったと言っているのを聞いて驚いたことがあります)。晩年になって喫茶店で過ごす毎日1、2時間のとりとめのないおしゃべりは恰好の気散じです。なにより60才を手前に西陣から桂に転居してなんの屈託もなく地域に溶け込めたのは喫茶店のおかげでした。その喫茶店も三年前に店じまいすることになりどうなることかと案じましたが初孫を授かるという僥倖に会いこれまで経験したことのない生きがいを得ることになったのは何という幸運でしょうか。

 年に1、2回会って酒を酌み交わし馬鹿話をする友人が何人かいます。年に数回の交歓は若いころそのままの話題が齢を忘れさせてくれて日の高いうちに呑み始めて夜の9時10時に及ぶこともあって楽しみな年中行事です。

 毎朝のトレーニングの最後は近所の公園でラジオ体操をしますが20年以上顔を合わすメンバーがいます。深いつき合いはありませんが二言三言交わす言葉で互いの健康を喜び合う毎日です。この公園のゴミ拾いと野球場の管理も20年近くつづいていますがこうした「つとめ」があるから少々の体の変調があっても朝トレを休まずつづけられているのです。

 精神的な健康を考えるとき毎朝お仏壇に向かって般若心経を誦唱する習慣は重要です。病弱だった私に祖母が仏さんのお世話と般若心経を唱えさせたのが今に至っているのですが、晩年になって先祖と向き合う五分ほどの時間は心を「空」にする貴重な時間になりました。瞑想に近い数秒の精神状態が身体にもたらす影響は私の健康に少なからず恵みを与えてくれていると思います。

 

 「百年時代」になって自身も「晩年前期」から「晩年後期」に至らんとする時期になってみて、健康年齢が維持できているこれまでを振り返って見ると、「測る」「書く」「話す」がうまく機能してきたことに気づき、これからは自覚的にこれを継続していけば「満願上がり」できるかも知れないと思った次第です。

 

2025年3月3日月曜日

AIとSDGs

  トランプ大統領の野蛮で暴力的な言動やイーロン・マスク氏の軽薄で浮かれポンチな振る舞いを見ていると超大国アメリカの断末魔の叫びを聞いているような思いに駆られます。第二次世界大戦が終わって世界が破壊と疲弊にあえいでいる中で唯一無傷のアメリカがそのアドバンテージを謙虚に受け止める恭謙さもなく圧倒的な経済力と軍事力を振りかざして世界を睥睨しました。あまつさえ「世界の警察」を気取り発展途上・復興途上の国家・民族の軋轢に容喙しながら結局中途半端な責任放棄の挙句混沌を世界に撒き散らして現在に至っているのです。世界標準と乖離した豊かさを浪費する「アメリカンスタンダード」は製造業のグローバル競争において完敗を招き「ラストベルト」という格差と分断をもたらしました。それを挽回すべく金融と情報という「新産業」を産みだしたのですが裾野の狭さは製造業ほどの雇用創出につながらず、そこに包摂されなかった層との間に「富の偏在」による「格差と分断」に拍車をかける結果に陥り、とうとう「トランプとマスク」という最悪の「政治状況」を現出してしまったのです。

 アメリカの混沌につけ込んだイスラエルはハマスの愚挙をこれ幸いと「確信犯的」なジェノサイドと復興不能な壊滅的な破壊を行いガザからパレスチナを強制的に退却させようとしました。世界的な批判にもかかわらずアメリカが野放図なイスラエル支援を継続したのは、自らが招いた混沌の中東にあって「唯一の橋頭堡」イスラエルを失えば中東をきっかけとしたグローバルサウス勃興が抑制不能におちいりその結果「世界の強国のひとつ」に成り下がってしまうかもしれない「恐怖」にかられたからです。それはプーチンのウクライナ侵略に対しても同じ構図で、ある意味でアメリカを見限ったヨーロッパをこれ以上「反アメリカ」に傾斜しないようにロシアを対抗勢力として配備することでヨーロッパに睨みを利かせる効果を図る意図が見え見えです。それは対中国戦略としても有効で、今やアメリカの10%にも満たないGDP世界11位の老大国ロシアを「核兵器大国」としてユーラシアに残しておくことで「米中ロによる世界均衡」を保持しようという危険な賭けにトランプ・アメリカは踏み出そうとしているのです。

 

 戦争・紛争・内乱はウクライナとガザだけでなくスーダン、シリア、イエメンでも長期化しておりハイチ、レバノン、コンゴ民主共和国の人道危機は深刻化しています。ミャンマーの軍事独裁政権によるアウンサンスー・チー氏の幽閉も4年になろうとしていますが解決の見通しはたっていません。こうした現状を鑑みると「平和」を享受している国は世界のほんの一部に限られていて、何らかの不安定要素を帯びた国々を含めて世界は未だに「戦争と飢餓」の人類の宿痾から解放されていないのです。経済・社会の発展段階に注目すれば農業・漁業を主産業とする段階に止まっている国から製造業を主とする産業資本主義の段階を超え金融・情報産業に進展した「ポスト産業資本主義」の国まで「多層」な国々が併存しているのが現在の世界状況です。にもかかわらず「AIを装備した新自由主義的資本主義」の「グロ-バル化」を「自由放任」にまかせて野放図に放置しておけば発展段階の遅れた弱小国はひとたまりもなくその暴力に飲み込まれてしまうにちがいありません。折りしもトランプ大統領はガザを富裕層のリゾート地化したSNSを自ら黄金像とともにアップしましたが現在のトランプ・アメリカを放置しておけばそれは決して絵空事ではないのです。

 

 そもそもSDGsはそうした現状に危機意識をもった世界の知性の警告であったはずです。従来のままの「生産」「消費」を繰り返していたらその影響は地球規模の環境の悪化や貧困の深刻化、生態系の破壊などの形で現れることになります。それでは人類の持続可能性が危ういので、「持続可能な開発目標」を共有して人類の調和ある発展を期そうと定められたのです。その17のゴールをここで発表する煩は避けますが「貧困」と「飢餓」からの脱却はそのゴールの最上位に位置づけられています。にもかかわらず2015年に定められたこのゴールは10年経ってむしろ遠ざかってしまっているのではないでしょうか。G20に象徴される先進大国はその経済力と軍事力を暴力的に行使して国家間の「格差」を拡大する方向に暴走しています。環境破壊はむしろ悪化していますし「難民」は「包摂」から「排除」に追いやられつつあります。

 

 トランプ大統領のアメリカの危うさはSNSのプラットフォームとAIを独占しているところにあります。先進国の人口減は製造業(農業を含めて)や政府機関(地方公共団体を含む)の業務のAI化ロボット化を必然化します。「効率化」は極大化され「生産性」はそれ以前と比較できないほど向上するにちがいありません。そうした先進国が「ニューフロンティア」を求めて発展途上の市場に土足で踏み込めば弱小国は「従属」せざるを得ないでしょう。しかしアメリカは「基軸通貨国」としての『責任』を完全に『忘却』して『放棄』して暴力的に「世界支配」しようとしているのです。少なくとも「トランプの4年」は既定の事実として暴走することでしょう。

 

 AIに対してヨーロッパは自制的に取り組んでいます。わが国はAIの発達を当然化してそのデータセンターに要する厖大な電力需要を満たすために3.11の教訓を投げ出して「原発回帰」を「国民の審判」を経ることもなく推進しようとしています。

 免許を返納して歩行と自転車が移動の手段となって気づいたことは、厖大な高速道路整備を含めて駐車場などの「自動車関連資産」へどれほどの税金を投入してきたことかということです。間接的な恩恵はあるとしても「自動車産業」という一産業の発展のために国家財政を限りなくその「育成と保護」に投入してきたのです。そして今度は「AI産業」です。しかもそのすそ野は自動車産業とは比較にならない狭い産業です。格差は今以上に広がることは明らかです。

 

 SDGsはこの10年間あらゆる分野で推進に努められたような印象を抱いていますが17のゴールのほとんどが未達成で、現状はますます遠のいていく方向に進んでいます。

 きれい事でなく「人類の知性」のマイルストーンとして世界が前向きに取り組むようわが国が働きかけることを願った止みません。

 

 

2025年2月24日月曜日

おもちゃがあぶない

  80才にして初孫を授かるという僥倖に恵まれて彼のまぶしいばかりの成長と急激な老いに見舞われる我が身との余りの落差に呆れるしかありません。80才というのはまぎれもなく人間の肉体の転換点であらゆる機能が衰えどんなに抵抗しても一段づつ、ハッキリと老いていくのをどうすることもできません。ところが彼はわずか十日も見ないと驚くべき成長を遂げていて、もどかしかったおしゃべりに論理が通るようになったり走るスピードがおばあちゃんが追いつけないほどにアップしていたりと圧倒される2才10ヶ月です。

 

 おもちゃと能動的に関わりだしたのはヨチヨチ歩きのころで、おじゃみと太鼓がお気に入りでした。おじゃみは最初3個で遊んでいましたがのちに6個になるほど遊びが広がったのは意外でした。それは太鼓も同様で、おもちゃ売り場では「3才~」のシールが貼ってありましたが与えると自分で遊びをつくりだして、特にバチは今でもいろんな用途に使っています。鬼のツノだったりロボットの足に見立てたりと。

 孫に大きな影響を与えたはじめてのおもちゃは「バイキンマン」のぬいぐるみでした。2才になる3ヶ月ほど前にやっとテレビが解禁になって「アンパンマン」にどはまりして、なぜかバイキンマンが大のお気に入りになりました。そして2才の誕生祝いに母親からもらったバイキンマンのぬいぐるみがそれまでの強度の「人見知り」を一挙に解消したのです。思うに、母親との「一体感」――母体との一体感がなかなか抜けなかった彼はおば(母親の姉)にどうしても懐かずそれどころか顔を見ると泣き出す始末です。想像するに遺伝的に母親と同じものを感じて母親が二人いるような思いに襲われて不安と恐怖を感じていたのではないでしょうか。そんな彼の自分と他者の分離感が、いつもテレビで見ているバイキンマンが自分の手の中にあるという経験がバーチャルとリアルの弁別を植えつけ、そのことで自分と他者との弁別――母親から切り離された自分という存在を無意識に認識できたのではないでしょうか。それで母親とは別におばちゃんという存在があることを受け入れ可能にし、他者というぼんやりとした不安な存在も受け入れられるようになって人見知りの解消に繋がったのではないかと思っています。

 

 知能の飛躍という意味では父親の与えた「バイキンマンUFO」と「バイキンマンロボット・だだんだん」です。機械音痴の私なら絶対に与えない(2才にはムリだろうと敬遠する)おもちゃ――「UFO」は最低でも3才、「だだんだん」は3才後半いや4才でもちょっと手こずるであろう難度の高いおもちゃです。とりわけ「だだんだん」は部品点数が30コを超える組み立て、電動式おもちゃです。その「UFO」をやすやすと操作すると、「だだんだん」の部品を根気よく黙々と組み立ててスイッチを操作して動かして、分解して、また組み立てるのです。半端でない根気と集中力で知能を活用、進化させて彼はこのおもちゃを征服しました。

 

 三つめは私が与えた「磁気式のお絵描きボード」です。親の与えたクレヨン(外国製の安全仕様)は使い勝手が悪く彩色がつきにくいので「描きたい意欲」が満たされず不満を感じているように見えたので2才になって間もなくのころプレゼントしました。実は「磁気式」でない紙に絵の具で描くものが欲しかったのですが売ってなくて仕方なく購入したのですがこれが良かったのです。力が要らないから筆運びが自在で、好きに描ける上にサッと消せる機構になっているのでジャンジャン書きまくれて大喜びです。ちょうどフォルム認識ができる時期と重なったのかお絵描きが格段に上達しました。絵が上手なお父さんと一緒にお絵描きを楽しむようになり保育園で先生に褒められてご満悦だったようです。

 

 バイキンマンの縫いぐるみ、UFOとダダンダン、お絵描きボード、どれも親(おとな)の想像を超えた能力を発揮させました。ところが今の「玩具」は「知育玩具」という位置づけでおもちゃに「おとなの用意したあそび」が指定されていて「適用年齢シール」が貼り付けてあります。親たちもシールを頼りにおもちゃ選びしています。しかしおもちゃは「あそび道具」です。子どもを見ていると何が面白くて?と思わされることが度々あります。遊びは子どもの創造力がもっとも発揮される領域でそれは大人の想像をはるかに超えるものであってほしいのです。その創造力を「知育」の名のもとに「限定」するような「おもちゃ」を選んで、あたら子どもの成長を「限定」しているのが今のおもちゃを取り巻く環境になっています。

 さらにおもちゃ屋さんが少なくなりました。「トイザらス旋風」が吹き荒れたのはもう30年以上前でしたが町のおもちゃ屋さんが一気に減って、百貨店のおもちゃコーナーも狭くなって、しかしその「トイザらス」も今や縮小傾向です。トイザらスは年令別にカテゴリー化した知育玩具と高額化で品目を増加させましたが子どもの創造性を生かせる「汎用性」のあるおもちゃ(だいたい安いものです)は少なく、つまるところ子どもにとって「おもしろい」おもちゃがすがたを消したのです。子ども部屋はおもちゃであふれかえっていますが年齢とともに「用済み」になったおもちゃの行く末は片隅(か地下室)のゴミ箱です。 

 

 おもちゃで遊ぶ創造力を限定され、幼稚園から塾と習い事で「与えられる」ことに慣れてしまった幼児期の子どもたちが、学校教育で創造性を発展させることは可能でしょうか。

 今、おもちゃがあぶない。初孫を授かって、老婆心ながらそんな歎きをつぶやきつつ成長を願っている今日この頃です。

 

 

 

2025年2月17日月曜日

地方創成のもうひとつの見方

  晩年の読書の成果の一つは「歴史というものの見方」を得たことです。司馬遼太郎さんをはじめとした歴史小説は最も娯しんだジャンルでした。専門書も宮崎市定、宮本常一、網野義彦のオーソドックスな歴史学の後に中沢新一、柄谷行人、吉本隆明を読めばこんな見方もできるんだと驚かされ柳田国男をはじめとした民俗学や人類学まで触手を伸ばせば歴史を見る眼が広くなって自分ながら受験歴史とは異次元に到達できたと感じたものでした。司馬さんに淫しなかったのは少年時代貸本屋で講談や山手樹一郎、五味康介、柴田錬三郎そして吉川英治の洗礼を受けていたからだと思います。

 受験歴史ということばを使いましたが高校時代、日本史の教師から「マルクス歴史観」を教えられて――勿論教科書から逸脱した授業でしたが――歴史という教科に面白さを感じました。暗記ものという固定観念でいましたからこんなアプローチもあることを知って歴史を見なおしました。その後教科がどんな変遷をたどったか詳らかに知りませんが2022年から「歴史総合」という選択肢ができたことは一大進化と思います。近現代の日本史・世界史を総合して従来の歴史像に近代化、大衆化、グローバル化を反映させることによって、今を生きるわれわれの「現在地」を明らかにして「科学」としての「歴史」を学ぼうという視点は受験歴史を一変させる可能性を感じます。岩波新書の『世界史の考え方』はそんな「歴史総合」をそれぞれの専門家の平易で専門的な論述で把握させてくれる必須の良書です。

 最近読んだ『日本の近代とは何であったか――問題史的考察(岩波新書)』は政治学者の三谷太一郎さんの著作ですが私が晩年の読書で追い求めてきたテーマに明確な解答を与えてくれました。

 岩波新書のこの二冊は晩年の読書の貴重な収穫です。

 

 地方創生は平成25年(2013年)第二次安倍政権の目玉政策として打ち出されて以来すでに10年以上経過していますがまったく成果らしい成果は上がっていません。地方創生の表裏の関係として「東京一極集中」はコロナ禍にみえた一時の転出超傾向は2024年再び転入超過に戻り、なおかつ供給源としての地方大都市圏からの増加が顕著になり大都市以外の地方の人口減と若年労働者の払底(出るべき人はもう出尽くした)が事態が深刻化したことをうかがわせます。

 なぜ地方創生が進捗しないか。それはわが国国土を見る歴史的観点が欠如しているからです。今ある国土の在り方の歴史的分析に基づいた未来図が描けていないからです。限界集落とか消滅都市とか衝撃的なネーミングだけを一人歩きさせて「地方住民」の不安をかき立てておきながらその来たる所以を明確に提示せず、歴史的必然性としての将来の展望を明らかにしないから「国民的合意」が形勢できないでいるのです。人口減という事実(ファクト)とわが国の歴史的趨勢を総合した未来図を国民に提示して合意を形成する。「地方創生」は単なる「政治問題」ではないという認識をまず醸成すべきなのです。

 

 徳川幕藩体制は「農業社会」として世界最高の成功を達成しました。国土を220余に分割し地方分権体制に基づいて地方を活性化させ国土の生産性を極限まで高めたのです。天候不順による飢饉が発生し一時的な食糧不足はあっても定常的には食糧自給体制が保持され260年有余の平和の時代を築いたのは世界的に稀有な例です。世界史年表を見れば1600年から1800年後半まで世界中にどれほどの戦争、内乱、紛争があったでしょうか。この中世から近世という波乱の時代に「飢餓と戦争」という「人類の宿痾」を克服した徳川幕藩体制はその後の近代化の準備を整備した意味でも世界に誇れるものといえます。

 生産性の高い農業社会の有効性は戦前まで持続し先進西欧国家に伍して成長を果たし非西欧国として唯一の近代化に成功しました。しかしこの成功が今、足かせになっているのです。戦後の急激な製造業中心の産業資本主義化は工業化・都市化を推進し農業の余剰労働力を都市が収奪し、人口の減少と無産業化を農村に押しつけたのです。第三次産業化、情報社会の出現はさらに地方の自立を困難にします。

 

 幕藩体制の強制力でそれまで人の住んでいなかった場所まで農地化して藩としての経済力の向上に寄与せしめた徳川の遺制は、製造業、情報産業、第三次産業主体の現状のわが国の産業構造には適さない「国土経営」になっています。しかし「食料の自給体制」「国土の維持・保安と美観の保持」という視点からの「日本全土の経営」はこれからも「日本国の経営」の要諦であり続けます。その上で「無人化した村・町・都市」は止もう得ざる「必然」として覚悟せざるを得ないのです。人口問題は事実(ファクト)としてそのデータを示しています。私有財産制、国土デザインの合意など乗り越えなければならない課題は山積しています。しかしそれを解決し「国民の合意」を形成しなければ未来図は描けないのです。

 仕事を通じて生活資料を確保するという今の経済システムは修正を迫られる可能性が高いかも知れません。医療と学校(学習)が「市場原理」に委ねられる体制はもう限界かも知れません。政治家だけではなく哲学者も含めた広い英知を集結(学術会議を活用して?)しなければこの難関は乗り越えられないでしょう。

 

 歴史というものの見方からすると現在の日中韓(朝)の関係は余りにも「不毛」です。中国は長兄、韓国(朝鮮)は次兄、我が日本は末弟。最近そんな感慨を抱いています。三国の歴史学者――だけでなく英知がひざ詰めで話し合えば新たな歴史観に基づいた国家関係を生みだすことができるのではないでしょうか。輻輳し緊迫する国際関係を打開するためにはまず近隣友好から。

 司馬さんの『菜の花の沖』を読んでからもう40年になるのでしょうか。