2020年3月2日月曜日

すでに起こってしまった未来(5)

 経営学の泰斗ドラッカーが二十世紀から呼びかけた警句「未来予測は不可能でも、すでに起こってしまった未来をいちはやく気づくよう努めよ」に従ってすすめてきた経済社会の変化の検討は、われわれが信奉してきた「自由主義」の経済がこのままでは破綻してしまう危険性を読み取るに至った。危険性の最悪のシナリオは『戦争』であることはいうまでもない。
(2)ビルトイン・スタビライザーとしての戦争
 人類の歴史は「戦争の歴史」とみてもまちがっていない。古代、中世、近世、近代とそれぞれの時代で、一揆であったり内乱・内戦であったり国と国との戦争であったり、貧困と暴虐に苦しめられた人民や貴族や政治家や軍人が、それぞれの時代で極点に達した矛盾を解決する手段として「暴力」に訴えて、戦争という手段で矛盾をチャラにして次の時代へすすんできた。まるで『戦争』は、人類がある発展段階から次の発展段階へ発展するためのビルトイン・スタビライザー・「自動安定装置」でもあるかのように機能してきた
 矛盾、それは「格差」といい直してもよい。「農耕」によって「富の蓄積」が可能になって最初の「格差」が発生するようになった。次に産業革命が起こって生産活動が「自然力(太陽)」から解放されて年一回の収穫から資本力次第でいくらでも生産が可能になって「格差」が飛躍的に拡大した。次に起こった「格差」はほとんど無限大の「格差」になった。現物資源も土地も機械も必要としない「金融」と「情報」という商品は「時間」の制約さえも極小化して生産力を「無限大」に近いところまで拡大できるから、そこから生まれる「格差」はこれまでのそれとは比較にならない厖大なものになってしまう。
 
 これまで市場経済はこの三つの生産物を「同じ市場(特に株式市場)」で流通させてきたがそれは誤りではないのか。自然という制約があって収穫(生産)が年一回(年数回のものもあるが)に限られているものと、資本力次第でいくらでも生産できるものが同じ市場で競争すれば前者(一次産品)が負けるのは当然の結果である。同じことは二次産品と金融・情報産品との間にでも成立する。原料は無形のものだし工場も機械も不必要で事務所と人間とパソコンさえあれば商売になる産業が現物産業と競争すれば勝つのは金融・情報産業になるのは当然なのであり、創業僅か二年や三年の企業が巨大資本を有する製造業の会社を「時価総額」という「電磁情報」で買収するという『理不尽』をなぜ許すのか?
 この理不尽がまかり通った結果が今の「格差」だ。今度の格差はこれまでとは比較にならない圧倒的なもので、世界の最も富裕な8人の資産は世界の約36億人の資産と同じになるほどまで「格差」は拡大している。これを解決するにはこれまでと同じ「仕組み」では無理なことは誰の目にも明らかだ。「矛盾」が極点に達した今の状態はこれまでの人類の仕組みからすれば当然「ビルトイン・スタビライザー」としての『戦争』が機能するはずなのだが、少しは知恵のついた人類はその直前で右往左往している。覇権国アメリカのトランプ大統領は「パリ協定」から離脱すると喚いているし、民主主義のお手本のはずのイギリスはヨーロッパの歴史の知恵の産物「EUからの脱退」を決めてしまった。そのヨーロッパは植民地時代の負の遺産である「難民」に圧し潰されそうな状態に陥っている。中国、ロシア、インドは「旧い価値観の豊かさ」を求める国民の「希望」をいかに満足させるかの難問に為政者は解決策を見つけられないで混迷を極めている。わが日本はこれまでの「豊かさ」を維持することが不可能になっているのにその事実を国民の目から遠ざけようと躍起になっている。
 世界中が極点に達した「矛盾」の解決策が見いだせないままに、右往左往しているのだ
 ではどうすれば良いのか?
(3)節度ある自由主義の構築
 一つになってしまった世界では、すべての国の国民が等しく「幸福になる権利」を有している。しかし、「豊かさ」が幸福の指標である限り「富裕国――1人当りGDP2万ドル以上」になることは不可能である。なぜなら、資源は有限だから、世界中の国がすべて富裕国になるほどの資源量が地球に存在していないから(地球が6つも7つも必要になる)。さらに、その有限の資源を今のように「制限のない自由主義」で配分が決定される仕組みのままではいつまでたっても弱い国――遅れてきた資金力も軍事力もない――は成長に必要な資源を手に入れることができないから。
 
 2018年の1人当りGDP(名目、USドル)で世界の国の豊かさを分類すると次のようになる。①富裕国(2万ドル以上)42カ国②中所得国(2万ドル未満~1万ドル以上)28カ国(中国の9580ドルまでを含めている)③低所得国(中国未満)120カ国(合計190カ国、地域)。最高額はルクセンブルク11万5500ドル、最低はブルンジ307ドル。
 何度も繰り返すが世界の資源を7カ国か8カ国で利用しているうちは『豊かさ』は「幸福の指標」として最適合理性を有していた、世界の生産力チェーンがそれらの国々で完結していたから(植民地を搾取していたが)。第二次世界大戦後、特に1991年にソ連邦が崩壊して社会主義が資本主義・自由主義に敗北して以降、世界が資本主義経済圏として統一市場に編成されることによってすべての国が世界資本主義のプレーヤーとして組み入れられてしまった。そして先進国のあくなき利益追求は「フロンティア(市場経済の未開拓国)」を侵食し途上国をも低賃金労働力供給国と進展しつづける商品需要国として組み込んで、世界を一つにしたのだ。先進国は途上国を「豊かさを共有しよう!」という惹句でコチラ側に引き入れた。山岳地帯を毎朝二時間かけて学校へ通うことを貧しさと思っていなかった人たちに、道を造ってオートバイを走らせることを教えて「われわれの幸福観」を押しつけてしまった。世界中の国の人たちが「豊かさ」を「幸福の指標」として認識し、受け入れてしまった。にもかかわらず、このままでは「豊かさ」を手に入れることができない現実を突きつけたのだ、COP25の「温暖化ガスの排出権」について合意できないことによって。
 
 『豊かさ』を世界のすみずみまで行きわたらせることに意味があるのだろうか?
 
 

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